俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ドーピング

2008-11-01 16:36:28 | Weblog
 ドーピング違反による繰上げによってハンマー投げの室伏選手の北京オリンピックの銅メダル獲得がほぼ確実になった。前回のオリンピックでもドーピング違反による繰り上げによる金メダルだった。
 ところで今後、遺伝子操作によるアスリートが現れた場合IOCはどう対処するだろうか。
 考えるのもおぞましい話だが、ゴリラの遺伝子を持ったボクサーやレスラー、ノミの遺伝子を持ったジャンパー、あるいはイルカや魚の遺伝子を持った水泳選手などはオリンピックへの出場資格を持てるのだろうか。
 全く議論されたことが無い話だが、遺伝子操作ではなく突然変異体ならどうだろうか。もし手が4本のボクサーやレスラーが現れた場合、彼らはどう扱われるのだろうか。
 手が4本という選手は多分、2本だけしか試合に使えないという条件を課せられるだろう。それなら異常に足の長いジャンパーは制限されなくても良いのだろうか。明らかに形状が異なるのでなければ認められるということだろうか?

公益(2)

2008-11-01 16:25:09 | Weblog
 私益より組織(企業)益、それよりも更に公益が優先されるのはある程度当然だろう。
 サラリーマンは自分の都合を犠牲にして企業の発展に貢献する。企業は儲けを基準にするからサラリーマンは企業の儲けのために自己を犠牲にする。
 公務員は公務(公益)のために働く。この行為は企業の儲けのために働くサラリーマンより尊い筈だが必ずしもそうとは思えない。
 公益(1)に書いたとおり公益はかなり分かりづらい。マスコミは中央官庁について「省益あって公益無し」と批判するが何が公益なのか分からないのだから省益を追及するのはやむを得ない。
 しかし決して許されないのは、公益が分からないという理由で私益を追求する役人だ。賄賂を貰って業者と癒着したり公金を横領する役人が跡を絶たないのは判断の基準が無いからだ。何をすれば良いのか分からなければ何をしてはいけないかも分からなくなってしまう。
 かつてある公務員がこう言った。「我々が公金を使えば官の金が民に移る。我々公務員は金を使うことによって社会に貢献しているのだ。」
 馬鹿も休み休みに言え!と言いたい。民間人は公務員に飲み食いや道楽をさせるために税金を納めている訳ではない。公務に使うために収めているのだ。
 儲けなくて良いということを錦の御旗にして公務員は公金を無駄遣いする。「儲ける」すなわち収入を増やして無駄遣いを減らすという最低レベルの基準まで無くなってしまえば私利私欲が判断の基準となる。
 共産主義という公益最優先の筈のシステムが権力者の私益に乗っ取られて崩壊したように、曖昧な「公益」は私的利益のための隠れ蓑として使われる。

公益(1)

2008-11-01 16:06:47 | Weblog
 公益とは何かと考えるとハタと困り果ててしまう。これは極めて定義し難い概念だ。
 高齢者や障害者に対する福祉は公益となる筈だがやり過ぎると公益に背くことになる。増え過ぎた高齢者を養うために現役世代の負担が過剰になれば公益ではなくなり、福祉制度も医療制度も介護制度も見直されることになる。
 橋1本架けることでも大変だ。A地域に架けるかB地域に架けるかが問題になる。民間企業なら悩む必要は無い。収益性に基づいて、迷わずに一番多くの人が通ると予想される場所に橋を架ける。お役所の場合は「地域の活性化」も考慮せねばならないから簡単には決められない。こんな事情から本四架橋は3種類の案が検討されて最終的には3本とも架けられることになったのだろう。そして多分3本とも未来永劫赤字を生み続けるだろう。
 お役所の仕事には民間の「収益性」のような明確な基準が無い。基準が無いからやりたい放題になる。ずる賢い者の恣意的な判断が罷り通る。公益を隠れ蓑にして私益(役得)が横行する。
 多くの公務員は志高く公益のために働きたいと思って公務員という職を選んだのだろうが、現実はその逆ではないだろうか。
 ブッシュ大統領でさえ決してアメリカを崩壊させようと志した訳ではない。アメリカの国益(公益)のための最善策を選んでいると少なくとも本人は思っている。世界で最高の権力者であるアメリカ大統領でさえ何が公益なのか分からないのだから、一般公務員に分かる筈が無い。