俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

借金のツケ

2008-11-25 13:42:18 | Weblog
 借金は借りた人が返さねばならない。法人でも同じことだ。
 しかし国や自治体の借金はいささか事情が異なる。借金の張本人が返すのではなく、多くの場合その後任者および後の世代だ。
 政治家は人気取りを図る。金のばら撒きと減税を同時に行って財政を無茶苦茶にするが、愚かな大衆は政治家の大盤振る舞いを喜ぶ。
 財政再建はツケ回しにされて、後任者や後の世代がツケを払わねばならなくなる。
 自分が払わなくてよい借金ほど気楽なものは無い。借金まみれになっても責任を取るのは次の世代だ。自分は責任を問われない。国債や地方債は次世代にツケを回す卑劣な政策だ。

たかが自転車

2008-11-25 13:35:05 | Weblog
 自転車は道路交通法上では車両に分類される。免許が要らないために安全対策が充分に図られていないが他者に対する殺傷力のある乗り物だ。
 実は私自身、自転車にはトラウマがある。そのために自動車やバイクの免許を取ろうという気にさえならなかった。
 小学生の頃だ。私は友人と縦に並んで自転車で走っていた。前を走る友人が突然道路に飛び出した子供を撥ねた。友人に過失があったとは思えなかったが彼はひたすら謝り続けた。悪いことをしたというよりは悪い結果を招いたという事実があるから、彼としては誤り続けるしか無かった。幸い子供にケガは無かった。
 私にとっても他人事ではなかった。たまたま彼が前を走っていたから彼が事故を起こしただけで、私が前を走っていたら私が加害者になっていただろうからだ。
 私が妙にこだわる歩道の自転車はエスカレーターの事故とは正反対で過小評価されている。なぜ自転車の人身事故はエスカレーターの事故ほど問題にされないのか不思議でならない。死亡事故数を比較すればエスカレーターよりも自転車のほうが圧倒的に危険であることは間違いない。

止まる人

2008-11-25 13:22:34 | Weblog
 エスカレーターでは急ぐ人のために左側(関東では右側)を空けることがマナーだ。しかし左側で止まる人が少なくない。彼女ら(あえて「女」を使う)は「歩かない自由(権利)がある」と考えて立ち止まる。
 しかし歩かない自由が他者の歩く自由を侵害していることに彼女らは気付かないのだろうか。立ち止まることによって後続の人は歩く自由を奪われる。
 もしトイレが1つしかない飲食店で誰かが長時間に亘って独占すれば他の客は使用できない。彼は言う。「俺にはトイレを使う権利がある。」と。確かに使う権利はあるが他人に使用させない権利は無い。
 細い道で男が寝転がったらスカートの女性は通れなくなる。男は言う。「天下の公道で寝転がって何が悪い。」この行為も他者の権利を侵害している。
 日本では昔から「ヒト様に迷惑をかけるな」と教えられたものだ。この言葉は「他人の権利や自由を侵害してはならない」と言い換えたほうが現代人には通じ易いように思える。

大本営発表

2008-11-25 13:12:38 | Weblog
 現代人は昭和初期の日本人を馬鹿にしている。嘘で塗り固められた大本営発表を信じていたからだ。しかし現代人も全然変わっていない。無責任なマスコミによる情報を妄信している。
 マスコミの姿勢は年々劣化しているように思える。記者クラブで発表された情報や、官公庁や企業の発表をそのままタレ流すだけだ。「○○によると」という言葉が免罪符や錦の御旗になってしまっている。
 「○○によると」とか「○○がこう言った」ということは事実だ。但し事実であるのは「言った」ということだけだ。その内容が事実かどうかを全く検証しなければプロパガンダにしかならない。
 一部の週刊誌のような憶測や邪推に基づいた記事は迷惑だが、権力者が流す情報をそのままタレ流すのもこれに劣らず迷惑だ。マスコミは責任逃れに終始するのではなく、もう少し権力者に対して批判的であるべきだろう。
 マスコミの存在価値は権力者が隠蔽しようとする情報(例えば公務員による業務上の犯罪的行為や企業による欠陥品や毒物混入隠しなど)を知らせることにある。マスコミが権力者の代弁者になって御用記事ばかりを流すことは自らの役割を放棄することになる。これでは北朝鮮の統制報道と同じレベルだ。