俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

鳥ガラ美女

2008-11-04 13:58:13 | Weblog
 空港で2人連れの鳥ガラ美女を見た。抜群のスタイルとファッションセンスから見て間違いなく2人ともモデルだろう。多分海外で撮影するために空港にいたのだろう。
 しかしそばで見てゾッとした。頬はこけ、肌は荒れ、手足などの露出部分は骨と筋ばかりが目立つ。まるでミイラのようだった。遠くから見ると美しいが近くで見ると気持ち悪い。撮影する時にはスタイリストが思い切り厚塗りに化粧をして誤魔化すのだろう。
 私は自分の美感覚を恥じた。たとえ遠目でとは言えなぜこんな醜い女性を美しいと思ったのだろうか。
 西洋人は日本人と比べて背が高い。日本人は西洋人に対して劣等感を持ち自らを劣等民族と思っているから西洋人に近いということに「美」を感じる。西洋人をそのまま小さくしたようなプロポーションが日本女性の美の基準となっているようだ。
 しかし脳や心臓の大きさは日本人も西洋人も殆ど違わない。従ってもし理想の体重を想定するなら背の高い人は細く、背の低い人は太いということが必要になる筈だ。臓器が正常に機能するためには縦に伸びるか横に広がるかのどちらかを選ぶ必要がある。背の低い者が細くなれば脳や心臓以外の臓器は極小化されざるを得ない。こんな状態で健康を保てる筈が無い。

タダが無駄を生む

2008-11-04 13:40:55 | Weblog
 タダのものは無駄遣いされる。スーパーのレジ袋はタダだからゴミが増える。食べ放題や飲み放題の店では必要以上に飲み食いするから贅肉と便が増える。あり得ない話だが、もし借金の金利がゼロになったら町は借金まみれの人で溢れ返るだろう。
 デパートの過剰包装が治らないのは包装がタダのせいだ。意地汚い消費者はタダの物なら何でも貰おうとする。邪魔になったらゴミにすれば良いと考える。欧米の小売店ではラッピングは有料だ。客はラッピングショップで包装紙とシールを買って自分で包む。
 最近では簡易包装が増えて包装の無駄は随分減ったが、中元・歳暮の「のし」には何の意味があるのだろうか。ゴミにしかならない。誰からのどういうギフトなのかは添付される配送伝票を見れば分かるのだから、「のし」は配達された直後にゴミになる。
 スーパーのレジ袋と同様、デパートの「のし」を無駄の象徴として見直してはどうだろうか。「のし」は再利用できないのだからレジ袋よりも無駄だ。
 私はレジ袋の有料化には反対だ。逆にレジ袋を使わない人にはそれに相当する金額を返すべきだと考えている。企業の負担が減るのだからそのメリットは消費者に還元すべきだ。同様に「のし」不要の客には例えば5円割り引いてはどうだろうか。
 たかが5円の値引きで客が喜ぶとは思えないが、これが環境改善に繫がってしかも少しとは言え金が貰えるのだからゴミを買うよりはずっとマシだ。ケチと評価され勝ちだが実は合理的な大阪人ならある程度支持してくれると思うのだが。

水と魚

2008-11-04 13:21:24 | Weblog
 魚は自分が水の中にいることに気付かない。水の中だけが魚の住む世界だから水の外の世界を想像することさえできない。
 人間は通常、空気の存在を感じない。風が吹いた時やバイクなどで高速移動する時にのみ「風」として空気を感じる。
 人は「常識」を空気のように感じる。常識が動かなければ違和感を覚えず、常識が変化すれば空気の変化を感じる筈だが必ずしもそうではない。
 実際には人は常識という電車に乗っているようなものだ。常識は常に動いている。立ち止まろうとすれば逆に猛烈な風圧を受ける。空気に流される人はどんどん考えを変えるが流されているので自分が変わって行くことに全く気付かない。
 例えば性道徳は大きく変わった。官公庁は信頼されなくなった。女性の就労は当たり前になった。女性美の基準は顔一辺倒からボディ特にバストに移った。
 このような常識の変化は本当に妥当なのだろうか。
 常識の変化を感じない人は危険だ。彼らは完全に「流され」ている。流されているから何の疑問も感じない。北朝鮮人民よりも酷く洗脳されてしまう。
 誰が流れを作っているのだろうか?マスコミか、それとも陰の支配者なのだろうか?