俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

漫画雑誌

2008-11-18 13:51:48 | Weblog
 日本の漫画雑誌は非常に粗末な紙を使っている。カラーページが大半を占めるアメリカのコミック誌とは全然違う。
 皮肉なことに、この粗末な紙が世界に冠たる日本の漫画文化の向上に大きく貢献した。安い紙を使うから漫画雑誌の価格は安く設定できる。安いから読者は読みたいページだけを読んで読み捨てることができる。
 こんな事情から出版社は熱心に新人作家を発掘した。原稿料の安い作家を使って当てればボロ儲けできるからだ。こうして様々な感性を持つ新人漫画家が続々登場した。
 一方、テレビの媒体費は高い。高いから一般人が参加することは難しく敷居の高い媒体だ。テレビ媒体は特定の業界人だけが独占するから新しい才能が流入せずマンネリ化が進んだ。
 ネットの媒体費は非常に安い。安いから誰でも参加できる。新人漫画家が続々登場したように新人思想家も参加し易い。「2ちゃんねる」のような便所の落書きのようなガラの悪いものではなく真面目な論壇がネット上で育つことを期待している。

収支

2008-11-18 13:40:35 | Weblog
 企業の決算発表で売上高が5%減った結果、経常利益が半減したと発表されることがある。経営を全く知らない人は、たった5%の減収でなぜ?と思うかも知れない。これは収支の構造を考えれば簡単に分かることだ。
 収入から支出を引けば収支が算出できる。話を分かり易くするために小売業を例にすれば、収入は販売額から仕入額を引いた差引額であり、販売額イコール収入という誤解を招かないためには粗利益額と言い換えたほうが良いかも知れない。
 例えば粗利益額1億円で諸経費が9千万円の企業の収支は1千万円だ。ところが売上高が5%減れば粗利益額も大体5%減る。この場合の粗利益額は9,500万円となり諸経費が変わらなければ収支は5百万円に半減する。
 こんな事態を招かないために、企業では収入が減ったら支出を減らす努力をする。家賃や減価償却費などの固定費は減らせないから、自主裁量が可能な経費、例えば投資や宣伝費や人件費などを大幅に削らざるを得ない。これが企業努力だ。間違っても借金を増やして乗り切ろうとはしない。そんなことをすれば金利という支出が構造的に増えて以後の収支は更に悪化する。
 日本の国家財政は長年に亘って赤字国債を発行して散々借金を増やし、借金で首が回らなくなると増税に走る。こんな行為は泥縄であってデタラメだ。大阪府の橋下知事のように、まず支出を見直すことが必要だ。肥大化した国家組織のリストラ(前の(次の?)記事「リストラ」参照)が最優先課題だ。

リストラ

2008-11-18 13:22:54 | Weblog
 リストラという言葉は人員削減の同義語として使われることが多い。しかしこれは根本的に間違っている。restructureを辞書で引けば「再編成(再構築)する」と書かれている。つまり企業における構造改革のことだ。
 新しい事業を起こしたり、逆に事業を改廃あるいは売却することが本来の意味でこれは経営者が主体的に行うべきことだ。
 「社員」にテーマを絞るなら、社員が余っている企業では新規事業を起こしたり、アウトソーシングしている業務を自前化することなどが挙げられる。こうすることによって社員の有効活用を通じて、収入増または支出の削減が図られる。例えば広告や警備などの業務を外部に委託している企業がそれを自社の社員を使って自前でやれば良い。
 逆に社員が不足して残業が慢性化している企業ならアウトソーシングすれば良い。業務をプロ集団に委託することが却って経費削減になることもある。但しアウトソーシングの是非はその企業が置かれている状況によって異なるからどうすることがベストの選択になるかは一概には言えない。
 要するに自前でやるべきこととやるべきでないことを明確に峻別して自社としてやるべきことに経営資源を集中投下すべきだ。それができずに、馬鹿の1つ覚えのように、社員を削減して生き延びようとする無能な経営者こそリストラされるべきだ。
 トヨタの奥田相談役は「社員の首を切る経営者こそ腹を切れ」と言った。構造改革ができない無能な経営者はその企業を破綻に導く。

アンチテーゼ

2008-11-18 13:06:12 | Weblog
 青い光は無色光に青い色を着色してできる訳ではない。青以外の色を遮蔽することによって青い色だけが濾過されてその結果、青い光となる。従って青い光より元の無色光のほうがエネルギーが大きい。
 思想を表現する時にも同じようなことが起こる。テーゼが成長する時にはアンチテーゼも成長する。しかしこのアンチテーゼをうまく濾過しないと読者に考えが伝わらない。しかしそうすることによって思想のエネルギー量は減少する。
 アンチテーゼを踏まえてテーゼを主張するには、ドストエフスキーのようにテーゼとアンチテーゼを主要人物に代表させるか、プラトンのように対話編のスタイルを取ることが必要かも知れない。