俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

地球温暖化(2)

2009-01-17 15:52:06 | Weblog
 冬になると「地球温暖化」の話を余り聞かなくなる。多分、寒い冬には「もっと暖かくなってほしい」と考える人が多いので温暖化がポジティブに受け取られる恐れがあるからだろう。
 しかしこのやり方はずるい。環境問題はあくまで理性に対してロジカルに訴えるべきであり、感性に対して感情的に訴えるべきではない。
 私が「地球温暖化」を眉唾ものの似非科学だと感じるのはこんなやり方をして恥じないからだ。理論として正しいなら夏だけではなく年中、堂々と主張すべきだ。大衆の感情に訴えるやり方は霊感商法や催眠商法と同じ卑劣な手口だ。
 理論的整合性を欠いているからこそ論理を避けて感情に訴えようとする。根拠の乏しい理論ほど人の感情のブレを利用しようとする。これはヒットラーが夕刻に的を絞って演説したのと同じ手口だ。
 本当に地球温暖化が危険ならこんな姑息な手段を使わずちゃんと筋道を通して説明すべきだ。「南洋の島が水没する」と彼らは騒ぐが日本の潮位が上がったという話は全く聞かない。島が沈むほど海水量が増えれば日本の海岸線も大きく変化する筈だがそんな兆候は見えない。環境活動家たちはシーシェパードと同様、良い嘘なら許されると考えているのだろうか。

病気

2009-01-17 15:41:00 | Weblog
 「代理ミュンハウゼン症候群」という聞き慣れない病名が報道されている。これは京大病院で、自分の子の点滴に異物を混入した母親に与えられた病名だ。つまり一所懸命に世話をする親を演じるために子供の病気を悪化させることも厭わないという病気らしい。今後、裁判になれば弁護士は「病気なのだから罪は無い」と主張するだろう。
 名付けただけで分かったつもりになる人間の性癖のくだらない実例だ。
 もし父親殺しを「エディプスコプレックスにより」とか少女暴行を「ロリータコンプレックスにより」行われた犯罪として無罪を主張して誰が納得するだろうか。
 人間の心は分かりにくい。しばしば不合理な行動をする。それを理解するために多種多様な「コンプレックス」や「症候群」が想定されるがこれらは単なる「解釈」であって「病気」ではない。
 そういう例があったということだけを根拠にして安易に病気をでっち上げるべきではない。「無差別殺人症候群」といった病名が捏造されたら裁判は一体どうなることだろうか。

殺生

2009-01-17 15:28:55 | Weblog
 殆んどの宗教は殺生を嫌う。殺生を否定することはそれなりに正しい。しかし「生きるために殺生をしなければならないから人間は罪を背負っている」と言われると「戯言を言うな!」と声を荒げたくなる。
 人間は動物か植物を食べなければ生きて行けない。常食される鉱物は多分、塩(塩化ナトリウム)だけではないだろうか。
 人間が生きるためにせざるを得ないことを「罪」と主張するのは犯罪的なほど不合理だ。これは「便を出すから人間は本質的に汚い」とか「排泄器を使うから生殖は醜い」とか主張するようなものだ。
 このこと以上に怒りを感じるのは彼らの隠された意図の存在だ。唯一実在する「この世」を誹謗中傷することによって彼らの説く「架空世界」の魅力を高めようとするからだ。彼らの撒き散らかした戯言のせいで「この世」を否定しようとする人は決して少なくない。
 殺生を戒めるだけなら構わない。いや大いに結構だ。しかしそれを利用して妄想の世界へと人を引きずり込むのは止めてもらいたい。