俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

チーズ(ゥ)

2009-05-05 15:19:26 | Weblog
 集合写真の撮影の際「チーズ」と声をかけることが多い。しかしこれは必ずしも成功していない。「イ」で口が横に広がれば笑顔に見えるのだが「ズゥ」で口を尖らせてしまう人が少なくない。
 英語でcheeseと発音すれば問題は無いのだが、日本語で「チーズゥ」と発音すれば締め括りの口の形が「ウ」になってしまう。
 笑顔らしく見せるための言葉でグローバルスタンダードに従う必要は無い。日本語では必ず母音を伴うのだから「チーズ」ではなく「ビー」でも「キー」でも「シー」でも良い。「チーズ」という掛け声をこれらの言葉に代えるだけで集合写真での笑顔(に見える顔)が大幅に増えるだろう。

豚々病死

2009-05-05 15:00:23 | Weblog
 「とんとん拍子」と書こうとして変換を誤ると「豚々病死」と表示されることがある。
 4月30日から突然「豚インフルエンザ」が「新型インフルエンザ」と言い換えられ出したのは世界各国の畜産業者の要望に基づくらしいが、感染源が豚であることが確かなら内容の無い「新型」より「豚」と呼んだほうが伝わる情報量は多い。こんな変な言い換えはすべきではない。
 誰が統制するのか知らないが日本では病名に関して変な言い換えがしばしば発生する。精神分裂病は統合失調症に、痴呆症は認知症に、神経性下痢は過敏性腸症候群に、盲は「目の不自由な人」に言い換えられた。どの病名もわざわざ意味を分かりにくくしてしまっている。
 今回のインフルエンザが長期化するか短期で終息するかの鍵はオーストラリアとニュージーランドが握っていると思う。夏に向かう北半球の地域では割りと早い時期に終息するだろうが南半球では事情が違う。南半球で感染が拡大すれば1918年から始まって長期化したスペイン風邪のように大流行する恐れがある。日本もメキシコに医療物資を贈るようにオーストラリアとニュージーランドにも贈って危険を回避すべきだろう。
 ところでエジプトでは国内の豚35万頭の全頭処分が決まった。勿論エジプトでは豚インフルエンザは発生していない。イスラム教徒は豚を穢れた動物と考えているから、この豚インフルエンザを憎き豚を殲滅する絶好のチャンスと捕らえたのだろうか?豚にとっては迷惑な話だ。

私らしさ

2009-05-05 14:41:25 | Weblog
 「あなたらしい」とか「A氏らしい」と言う場合、「あなた」や「A氏」が私や周囲の期待や予測に沿った行動をしたことを意味する。
 ところが「私らしい」と言った場合は「私」が①私か②周囲の期待に応えることを意味する。②のケースなら問題は無い。例えば著名な芸術家が「私らしい仕事をしたい」と言えばこれまでの名声にふさわしい立派な仕事をしたいという意味になる。
 問題なのは①の「私が私の期待に応える」という意味で使われる場合だろう。私の私に対する期待は周囲の誰にも把握できない。「私」に期待される「私」も2種類ある。①あるべき私と②あるがままの私だ。
 ①のあるべき私に基づいて「私らしさ」を追及するなら意味がある。今の自分が充分に自分に成り切れていないから自己の成長を通じて本来の自分の姿を獲得するという意味だ。ところが②のあるがままの私に基づいた「私らしさ」とは一体何だろうか。この場合は今の自分を絶対視することであり、ルールもマナーも超越した「唯一者」としての「私」という意味になる。実は超越している訳ではない。ルールもマナーも無視した我が儘そのものの「私」に過ぎず、「自分は常に正しく、自分が周囲と対立するのは常に周囲が悪いからだ」という傲慢な考えにもとづいて、「勝手気ままに振舞う」ということを意味するに過ぎない。
 「私らしい生き方をしたい」と言えばいかにも哲学的なテーマのようだが、その多くは気紛れに好き勝手に行きたいということ以上の意味を持たない。
 私らしさの追及とか自分探しとかいった言葉が傲慢不遜な姿勢を正当化するために使われているのは全く嘆かわしい。