俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

民営化の効果

2009-05-22 13:48:09 | Weblog
 格安チケット店での切手の相場が下がっている。ほんの2・3年前までは額面金額の98%ぐらいが相場だったが、90%を割る店まで現れ始めた。
 かつては切手は第二の通貨だった。雑誌の有料の懸賞に応募する場合には現金か切手を送ることが求められた。
 現在の第二の通貨の地位は百貨店共通商品券やクレジット会社のギフトカードやクオカードあるいは図書カードなどが取って代わってしまった。
 なぜ切手の価値が下がったのか。これは民営化の影響が大きい。民間企業では社員にノルマを押し付ける。営業部門だけではなく事務部門にも情け容赦なく押し付ける。ノルマを押し付けられた社員は自腹を切らざるを得ないこともある。自腹を切って購入された切手は格安チケット店に流れる。供給が増えれば価格が下がるのは当然のことだ。
 郵政民営化がチケット店での切手の相場を下げるとは誰も予想しなかったことだろう。

ミクロとマクロ

2009-05-22 13:32:39 | Weblog
 「木を見て森を見ず」という諺があるように、ミクロの視点よりマクロの視点のほうがレベルが高いと考えられ勝ちだ。しかしこれらは相互補完的な関係でありどちらが高尚かという問題ではない。木も森も見るべきだ。
 トヨタには「言われたとおりにやるな」という名言があるが、私はこれを「マクロの視点からの方針をミクロの視点から補正せよ」という意味に解釈している。トレンドに基づいた発言は多くの人の共感を得易い。しかし常に逆のトレンドも存在しているのだから、大きな流れに流されることは新しい芽を摘んでしまうことにもなりかねない。
 重箱の隅を突くような批判は見苦しい。全体が見えない人に限って枝葉末節に目を向けたがる。しかしミクロの視点が不必要な訳ではない。大作「最後の審判」においてミケランジェロは細部を軽んじただろうか。ミクロとマクロは併せ持つべきものだ。
 ところでいしいひさいち氏の漫画「がんばれタブチ君」にこんな話がある。
 当時は暗いイメージがあった王監督が試合中にマウンドへ行って投手を指導しようとした。コーチは「監督が余り細かいことを言うと選手が萎縮する」と言って諌めた。王監督は「分かった」と言ってマウンドへ向かいたった一言「優勝するのだ」と暗い顔で言った。
 私はこれを読んで大笑いしたが残念ながら私の拙い表現力ではこの面白さの1/100も伝えられない。ぜひ原典を読んで欲しいが、ミクロとマクロのギャップを見事に描いた傑作だと思っている。
 

寄生体

2009-05-22 13:19:30 | Weblog
 ウィルスや細菌の多くは独立して生きることができない。他の生物に寄生して生きる。宿主の中で充分に増殖してから宿主を通じて他の動物に感染する。
 こういうメカニズムで繁殖するのだから強毒性であることは増殖のための必要条件ではない。むしろ弱毒性のウィルスや細菌のほうが増殖し易い。宿主にクシャミや咳や下痢を起こさせることは寄生体の増殖の機会を増やす。こうやって宿主以外にまで寄生を広げる。しかし宿主を死なせてしまっては元も子もない。宿主が元気に活動して寄生体の子孫をバラ蒔いてくれなければそのウィルスや細菌は増殖できない。宿主を死に至らしめる病は自滅する。
 マスコミは新型ウィルスの強毒化の恐ればかりを強調するが、強毒化とは実は劣化であり弱毒化こそ進化だ。
 今回の豚インフルエンザは当初メキシコでは強毒性ウィルスとして発生した後、弱毒性ウィルスに進化して世界に広まったと考えられる。もはやメキシコのインフルエンザとは別物であり、メキシコでの死亡率を根拠にして騒ぎ立てることは誤りだ。