「安物買いの銭失い」とか「安物は高物」とかいった諺がある。どちらも安い商品はその価格相応の価値しかなく、結局は損をする、という意味だ。しかし本当にそうだろうか。
誰の創作か知らないが昔からこんな話がある。
関東人は価格の高さを自慢し、関西人(特に大阪人)は安く買ったことを自慢するという。例えば関東人は「このバッグは20万円した」と自慢する。一方、関西人は「このバッグなんぼやと思う」と尋ねて答えを得てから「それなら10個買える」と言って自分の目利きを自慢する。
私は関西人の感覚のほうが健全だと思う。商品の価値は使用者が決めるべきであり「安くて良い物」は幾らでもある。大阪の「食い倒れ」のコンセプトは「安くて旨い」だ。安くて良い物を見つけ出せる人こそ「違いの分かる人」だ。違いの分からない人に限って、自分で判断できないから価格やブランドに頼らざるを得ない。
あるデパートには時々こんな客が来るそうだ。「一番高いスーツをくれ」と言って現金で買っていくそうだ。高いということは付加価値も高いに違いないと思っているのだろう。こんな違いの分からない人に買われていればそのブランドの価値も下がる。
誰の創作か知らないが昔からこんな話がある。
関東人は価格の高さを自慢し、関西人(特に大阪人)は安く買ったことを自慢するという。例えば関東人は「このバッグは20万円した」と自慢する。一方、関西人は「このバッグなんぼやと思う」と尋ねて答えを得てから「それなら10個買える」と言って自分の目利きを自慢する。
私は関西人の感覚のほうが健全だと思う。商品の価値は使用者が決めるべきであり「安くて良い物」は幾らでもある。大阪の「食い倒れ」のコンセプトは「安くて旨い」だ。安くて良い物を見つけ出せる人こそ「違いの分かる人」だ。違いの分からない人に限って、自分で判断できないから価格やブランドに頼らざるを得ない。
あるデパートには時々こんな客が来るそうだ。「一番高いスーツをくれ」と言って現金で買っていくそうだ。高いということは付加価値も高いに違いないと思っているのだろう。こんな違いの分からない人に買われていればそのブランドの価値も下がる。