俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

人格

2009-06-23 16:53:56 | Weblog
 人格は独立したものではなく「関係」の中で捕らえられるべきものだ。
 善良な人との関係では善良な人格となる。利害一点張りの人との関係では利害重視の人格になる。
 親の前では「子」の人格になり、子の前では「親」の人格になる。これは日本人に限ったことではなく世界中で普遍的に見られることだ。西洋人の男がレディの前ではどれほど堂々とした態度を取ることだろうか。
 最近妙に人気のある太宰治は自分の愛想良さを偽善と位置づけて悩んだ。しかし相手の善良さに同調することは偽善ではない。相手の善良さと自分の善良さが同調して増幅されているだけのことだ。それは悪い友人とつき合って「朱に交われば赤くなる」ということと同じだ。
 偽善とは何らかの邪悪な意図を持った行為であり、特定の人の前で善意が強化されたペルソナが現れるのは不自然ではなく、むしろ両者が共に善意に満ちていることの証明とさえ言えるだろう。

大麻

2009-06-23 16:36:15 | Weblog
 昨年、慶應義塾大学や早稲田大学などの学生が相次いで「大麻取締法」の容疑で逮捕された。マスコミはこれを大学生のレベルの低下として扱ったがそんな問題だろうか。
 まず「大麻」という単語が悪い。麻薬の「麻」から連想して大麻とは麻薬よりも悪いものだと想像する人もいるようだが、大麻と麻薬は全く関係が無い。大麻は麻(リネン)の原料で、麻薬はケシの実から抽出した薬物だ。因みに「麻生」という姓は多分「大麻」とゆかりのある姓だろうが「麻薬」とは全く関係は無い。
 「大麻取締法」という法律も奇妙な法律だ。日本で大昔から栽培されている大麻には薬効成分(つまり「毒物性」)は殆ど無い。薬効性(毒物性)があるのはインド大麻など一部の大麻だけだ。こんな法律ではヒナゲシを栽培しただけで「ケシを栽培した」として逮捕されるようなものだ。
 大麻そのものもマスコミが騒ぐほど危険な薬物ではないようだ。アルコールや煙草やカフェインよりも依存性も禁断性少ない単なる嗜好品らしい。
 こんな変な法律で人の一生を台無しにして良いのだろうか。大麻を栽培したぐらいで社会的に葬られるのは、イスラム教の国で酒を飲んでムチ打ちの刑に処せられるのと同じくらい不合理な話だ。
 悪法であろうと法である限りそれが「犯罪者」を作ってしまう。こんな法律に基づいて逮捕するよりは歩道を暴走する自転車を取り締まったほうが何百倍も社会にとって有益だろう。

ターザン

2009-06-23 16:21:01 | Weblog
 ターザンという不気味な物語がある。今なら人種差別意識の塊の話として出版禁止や上映禁止となりそうな偏見に満ちた物語だ。
 こんなあらすじだった。
 白人の学者夫婦の遺児がアフリカの奥地で猿に育てられる。その子供は獣のパワーと「白人」の知恵を兼ね備えた超人に育ち「ジャングルの王者」となる。つまり圧倒的な能力差で「土人」や野獣を支配するという話だ。
 この話はデタラメだ。もし白人が猿に育てられれば「デキの悪い猿」になる。図体ばかりデカくて運動能力は猿以下、知力においても猿並みにしかなれない。アヒルに育てられた白鳥は所詮「醜いアヒルの子」になるようなものだ。
 今春ロシアで、親が子供を犬・猫と一緒に育てたという事件があった。保護のために駆けつけた人々が見たのは四つ足で吠える「人間」だった。
 人間は育てられて初めて人間になる。本能(先天的能力)において人間には必要最低限の能力しか与えられていない。育てられて初めて人間は人間になる。
 本能が壊れた動物である人間は育成されて初めて人間になる。本能があらゆる動物の中で最低レベルでしかない人間は人間社会の中で育てられない限り潜在的に持っている能力を発揮し得ない。