俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ナザレのイエス(2)

2009-09-08 15:57:14 | Weblog
 イエスの教えとキリスト教の教えは懸け離れている。イエスの教えを歪めて曲解したものこそキリスト教だ。
 イエスの教えと新約聖書も随分違うだろう。あちこちに捏造としか思えない記述が見られる。
 キリスト教は一応聖書に基づきながらも曲解に曲解を重ねている。多分主な宗教会議のたびに捏造に近いほどの改竄が行われたことだろう。その結果、イエスの教え≠聖書≠キリスト教という図式になってしまった。
 イエスが本当に何を行い何と言ったのか今では分からない。その残滓は歪められた形で聖書に残されているだけだ。
 イエスという人間に興味を持つ人は捏造の書である新約聖書から本来のイエスの人間像を読み取るしかない。しかしこれは古事記や日本書紀から日本史を読み取ること以上に難しいことだろう。

怠け者

2009-09-08 15:44:21 | Weblog
 怠け者であることは素晴らしいことだ。但し彼が賢い怠け者であるならば。
 文明を築いたのは怠け者だろう。電気洗濯機や電気掃除機、あるいはエレベーターやエスカレーターを発明したのは多分怠け者だろう。怠け者だからこそ生活を楽にすることを本気で考える。勤勉な人なら「今のままで充分だ」と考えることも改善しようとする。
 怠け者はどうすれば一番楽になるかを考える。多くの場合「無駄を減らすだけで大幅に楽になる」ということに気付くだろう。
 かつて私は部下にこう指導したことがある。「楽をすることは悪いことではない。しかし本当に楽をしたいなら勤務時間中は一所懸命働け。手抜きをすればやり直しや残業を招く。これは学校の勉強と同じだ。授業時間中に集中していれば予習も復習も減らせる。授業をいい加減に聞いているから家での長時間の勉強が必要になってしまう。」
 勿論、駄目な怠け者もいる。他人に仕事を振って自分だけ楽をしようとする人だ。こんなことをしていればいざという時に誰も助けてくれない。賢い怠け者なら関係者全員が楽になるような仕事の仕組みを考案するから協力者は自ずから増えて仕事は益々楽になる。

免疫

2009-09-08 15:29:58 | Weblog
 今、日本で流行っている新型の豚インフルエンザは毒性の弱いものだ。
 私はこの豚インフルエンザは2種類あると思っている。メコシコやアメリカで広まった強毒性のものと世界中に広まった弱毒性のものだ。後者は猛烈な感染力があるが前者の感染力は余り強くないようだ。
 かなり変な主張と思われるようだが、ワクチンに頼るよりも弱毒性のインフルエンザに感染してしまうほうが良いのではないだろうか。弱毒性のインフルエンザに感染してしまえばその変種である強毒性のインフルエンザに対する免疫ができるだろう。言わば天然のワクチンのようなものだ。
 感染が既に広まったウィルスに怯えて閉じ籠るよりも感染を天然のワクチンと考えて喜んで感染してしまうほうがずっとマシだ。もしこの冬に強毒性の変種が広まったら、弱毒性のウィルスで免疫を得た人は未感染者よりもずっと安全に生活できる。
 病気を敵と考えて断固許さないという姿勢よりも病気と上手に付き合ったほうがメリットが大きいように思える。
 細菌やウィルスを根絶することは難しい。ウィルスと敵対するよりは人間の側がそのウィルスと共存できるように個人的に「進化」したほうがずっと現実的だと思える。