俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

適者生存

2009-09-22 18:16:05 | Weblog
 進化は「適者生存」であり決して「優勝劣敗」ではない。その性質が優れているかどうかではなく、今の環境に適応するかという基準で進化は促される。人間の基準なら「劣化」としか思えないような特性であろうとも環境に適応していればその方向へと進化する。
 イギリスでこんな事実がある。大気汚染のせいでビルの壁が黒ずんでくるとある種の蛾は黒っぽい個体が多くなり、大気汚染が改善されて壁が白くなるとその蛾も白くなったそうだ。壁と似た色のほうが鳥の目に付きにくいので壁に煮た色の個体のほうが生存率が高いということからこんな変異が起こった。
 この現象は「進化」と呼べるほどの変異ではないが進化も同じメカニズムによって促される。
 この蛾にとって色が白いか黒いかということは優劣ではない。ただ単にその環境に適応できるかどうかだ。環境が変われば「適者」も変わる。
 進化は試行錯誤の積み重ねだ。たとえ試行錯誤であろうとも多数の個体の犠牲と膨大な時間さえあれば進化へと向かう。結果的には合理的と思われる進化も非合理的なほど膨大な無駄を経て達成される。

「私」の意味

2009-09-22 18:04:06 | Weblog
 「私は何のために存在するのか」という問いには「意味も無く存在する」と答えざるを得ない。人は意味も無く生まれ意味も無く死ぬ。
 絶対的な価値が無い限り個々の存在は意味を持ち得ない。意味が無い存在に意味を与えようとすれば事実を捻じ曲げることになる。キリスト教であろうとイスラム教であろうとオウム真理教であろうと、事実を捻じ曲げるということでは同罪だ。
 意味も無く存在するという事実を否定することは不可能だ。これを事実として肯定したうえでそれを出発点にすれば良い。無理やり意味を捏造せずに意味が無い中でどう生きれば良いか考えれば充分だ。
 生とは「場」だ。「場」が無ければ何もできない。それは舞台と俳優の関係に似ている。どんな名優でも舞台が無ければ名優たり得ない。「場」は「何か」をするための「舞台」であり「舞台」を失えば総ての可能性が失われる。
 凶悪な犯罪者も死刑を恐れる。たとえブタ箱で一生を終えようとも舞台を失くすよりはマシだからだ。
 もともと意味の無い個人の生には自分で意味を与えて自分で満足するのが唯一の正しい選択肢だろう。

減反政策

2009-09-22 17:41:23 | Weblog
 食料の生産を制限している国は多分世界中で日本だけだろう。世界中で食料が不足してどこの国でも生産力強化のために補助金を出している中で、日本だけはわざわざ米の生産を抑制するために補助金を出している。信じられないほど馬鹿馬鹿しい話だ。
 世界に類を見ない減反政策の目的は価格の維持だ。米を高値安定させるために生産量を抑えている。その結果として日本人は世界一高い米を食べざるを得ない。
 これは「ノー政」と揶揄された食管制度の歪みが現在にまで及んでいるせいだが、過去の失政を非難しても仕方がない。コロンブスの卵のような発想の転換で米の増産と農家・消費者の利益の両立を考えるべきだろう。
 私の本音は大規模農家の育成による米の生産コストの軽減だが、こんなことが一朝一夕にできるものではない。また大規模農家が生まれたら小規模農家は駆逐されてしまうだろう。
 食料自給率が僅か40%の国は国内農産物の生産と消費を奨励する必要がある。そのために、例えば米の消費税をゼロあるいはマイナスにすることも検討して良かろう。国内での米の消費量が増えれば減反する必要は無くなるし消費者にもメリットがある。米の消費が増えれば輸入に依存する小麦の消費量は減るだろう。
 食料を輸入に頼ることはかなりリスキーなことだ。需給のバランスが少し崩れれば価格は乱高下する。買うほうが偉いと思い込んで「買ってやる」というスタンスでいると思わぬ「売り渋り」に会いかねない。
 仮に穀物生産高の2割を輸出している国が天候不順のために1割減産になったら輸出量はどうなるだろうか。1割減ではない。5割減る。
 この国の生産高を100万tとするなら輸出は20万tだ。生産量が90万tに減れば、特殊な独裁国家以外は自国民の生活を優先するのが当然だから、輸出量は10万tに減る。輸入に頼ることはこれほど天候に振り回される危険な行為だ。