俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

科学の驕り

2009-12-01 15:54:03 | Weblog
 科学は知恵が累積されるから確実に進歩する。先人の業績を踏まえてそれを応用すれば新しい成果が生まれる。
 人文科学(私は「科学」とは思わないが)ではそうならない。カントやニーチェの素晴らしい業績があっても、人はそれを理解するので精一杯で更に発展させることなど至難の業だ。
 科学は確実に実績を残すから人々から信頼される。一時期は公害などの問題を起こして科学万能主義の神話が崩れかけたが、科学自らがそれを解決することによって信頼を取り戻しつつある。
 科学はなぜ成功したのか。「実験」を通じて「事実」を積み重ねたからだ。実験によって再現できるものだけに基づいたからだ。つまり再現できないものを科学の領域から排除することによって厳密な「学」としての地位を築いた。これは数学が数値化できることのみを対象にすることによって最も厳密な学となったのと同じ手法だ。
 しかし昨今、科学がオカルト化しつつある。科学に可能な領域を越えて情報発信をしようとしている。権力者と組んだ偽科学が社会に広まるという憂うべき事態がしばしば生じる。足利事件では誤ったDNA鑑定が行われた。トランス脂肪酸を不飽和脂肪酸として奨励したこともあった。あるいはダイオキシンを超危険物質と決め付けて日本社会から焚き火を駆逐してしまった。CO2による地球温暖化など正に眉唾物のオカルト理論としか思えない。
 医学では「エビデンス(根拠)主義」として治療効果を科学的に検証する動きが広まっているが、科学そのものも原点に戻る必要がある。科学のための科学などは、哲学における壮大な形而上学と同様の無用の長物になりかねない。
 

罰の抑止力

2009-12-01 15:39:02 | Weblog
 ある本に次のように書かれていた。
 殺人犯145人に尋ねたところ「犯行時に死刑を念頭に浮かべた者はただの一人もいなかった。」従って「死刑には威嚇力がほとんどなく」「殺人の防止には、刑罰を重くするだけでは駄目」だ。
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 うっかりしていると納得してしまいそうな理屈だが、このデータはサンプルを選び間違えている。風俗店の店内で「風俗営業は必要か」と尋ねるようなものだ。あるいは禁煙集会で喫煙率を調べるようなものだ。
 実際に殺人を犯した人はその行為に対する罰を、どういう訳か予想できなかった人と見るべきだろう。もし予想できるような正常な心理状態だったら殺人など犯さなかったとも言えるだろう。
 抑止力が働いた人は殺人者にはならない。殺人や傷害を起こしそうになった時にその後の罰(家族の苦しみを含む)を考えた人は思い留まっただろう。逆上したりしてそういう理性を失った人が殺人犯になったのだ。
 罰を重くすることによって明らかに減った犯罪がある。危険運転致死傷罪だ。この法律によって飲酒運転事故だけではなく飲酒運転そのものも大幅に減った。
 罰が犯罪に対する抑止力を持つことは確実だ。しかし国家による殺人とも言える死刑が正当かどうか私は判断しかねる。

終身刑

2009-12-01 15:27:01 | Weblog
 無期懲役は「無期限」懲役ではない。「不定期限」懲役と言ったほうが日本語として正確だろう。無期懲役は仮釈放を前提とした刑罰だ。
 この仮釈放という制度に不満を持つ人は終身刑の新設を主張する。しかし終身刑はそんな合理的な刑罰だろうか。
 将来に「希望」を持てる若き犯罪者にとっては二度と娑婆に出られない終身刑は恐ろしい刑罰だが、職も家も家族も無い高齢の犯罪者にとっては快適な公営・無料老人ホームではないだろうか。
 終身刑になれば住居も寝床も食事も提供され医療設備も整っているし自分の葬儀の心配をする必要も無い。これはホームレスでいるよりずっと快適な生活環境ではないだろうか。これでは終身刑になりたいために犯罪を犯す人さえ現れかねない。
 人は自分が嫌なことは他人も嫌がるだろうと勝手に思い込む。幸せな人々はそんな嫌なことでさえも快適と感じるような最下層の人がいることを想定しない。
 終身刑が行き場の無い老人の最後の安住の地として利用されるならば、これは凶悪犯罪を奨励するようなものだ。