俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

クリスマス

2009-12-22 16:19:07 | Weblog
 今日は12月22日。ということは「しあさって」がクリスマスだ。
 何を当たり前のことを、と言われそうだが、「あさって」の24日をクリスマスだと思い違いをしている日本人が非常に多い。24日はクリスマスイブであってクリスマスは25日だ。イエスキリストの誕生日を祝うのなら25日がその日であり24日は前夜祭に過ぎない。
 日本人の習性として祝日はその当日であり前夜祭という考え方は殆んど無い。誕生日や結婚記念日の前夜祭をする人を私は一人も知らない。
 唯一例外と言えるのは大晦日だろう。大晦日は祝日ではないにも関わらず一般の意識は祝日に近い。これは1年の締め括りという意味の準祝日だからであって前夜祭ではなかろう。
 ところで「しあさって」という言葉を「3日後」の意味で使ったが、私の郷土の伊勢では「4日後」を意味する。3日後は「ささって」と言う。多分、語源は「3あさって」だろう。「4あさって」を3日後とするよりも理に適っていると思うのだが中部地方以外ではつかわれていない方言だ。

最高善

2009-12-22 16:06:06 | Weblog
 かつて哲学には「最高善」という考え方があった。しかしこれは最高善に神を据えない限り必ず矛盾を招くのでこの概念を使う人は殆んどいない。
 例えば人命を最高善とすれば死刑は許されないし、テロリストが無茶な要求をしても「人命は地球よりも重い」と訳の分からぬ理屈でテロリストに無条件降伏することになる。
 社会の秩序を最高善とすれば現体制批判は許されず、ファッショ化へと向かう。
 平和を据えれば植民地支配を黙認することになる。
 このように哲学的には破綻した概念ではあるが現実問題を考える時には役に立つことが多い。受験を今の最高価値と考えるなら他のことは犠牲にせざるを得ないし、家族を重視するなら、そのために何をすべきで何をすべきでないかは自ずから明らかになるだろう。
 ところで今、普天間の米軍基地の問題がグシャグシャになっている。各政治家が好き勝手なことを言って収集が付かない状態だ。私は単純化が必ずしも正しいとは考えないが、何を最優先にすべきかを考えれば案外簡単な問題だと思える。私は普天間の住民の安全が最優先だと考えるが、放言する政治家に「何が最優先か」と尋ねるだけで問題点は随分整理されると思う。

言論の責任

2009-12-22 15:50:05 | Weblog
 言論の自由は守られねばならない。個人がどんな過激な発言をしてもそれで罰せられることは無い。しかしマスコミの場合は違う。間違った報道は責任を問われるべきだろう。言論で収入を得ている組織が言論の責任を負わないのは詐欺のようなものだ。
 かつて朝日新聞をはじめ多くのマスコミが北朝鮮を「地上の楽園」として褒め称えた。この報道を信じて多くの在日朝鮮人が北朝鮮に帰国した。そして今、多くの人が飢えと貧困に苦しんでいると現在のマスコミは伝える。
 報道されたことを信じて朝鮮海峡を渡った人に対してマスコミは責任が無いのだろうか。あくまで言論は自由だと言って責任逃れをするつもりだろうか。これはイデオロギーに基づく誤った報道だけに納豆にダイエット効果があるかどうかよりも遥かに重大な問題だ。
 自由と責任が表裏一体だということは(理解しているかどうかはともかく)小学生でも教わっている。なぜマスコミは責任を取ろうとしないのだろうか。損害賠償は無理としてもかつての報道を反省する姿勢ぐらいは示して欲しいものだ。それとも金日成体制では地上の楽園だったが金正日体制になってからテロ国家に変質したと説明するのだろうか。
 戦時中の提灯記事についてはマスコミも自己批判をしている。但し「言論統制が厳しかったから」という言い訳を必ず付け加えている。それでは言論の自由な時代でのこの虚報についてはどう釈明するのだろうか。