俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

政策と対策

2009-12-15 15:55:06 | Weblog
 中国には「上に政策があれば下に対策あり」という諺がある。権力者が国民から搾取しようとして法を作っても国民は面従腹背というやり方で法を骨抜きにしてしまうという意味だ。
 中国人は昔から法律が大嫌いだ。秦を倒した劉邦は法三章を宣言して熱烈に歓迎されたと言われている。法三章は殺人・傷害・窃盗のみを罰するという内容で、モーゼの十戒と比べて遥かに寛容なルールだ。それだけ秦の民は悪法に苦しめられていたのだろう。
 もし法律が権力者による民衆の支配のためのものでしかないなら法律など少ないほど良い。しかし総てをそう考えるのは誤りだ。古くはイギリスの大憲章、これは貴族が王に課したルールだ。法律は権力者のためだけではなく民衆のために定められたものも決して少なくない。
 道路交通法などはその典型だろう。道路交通法を定めることによって権力者が得る利益は余り多くない。あくまで民衆の交通をスムーズにするためのルールだ。道路交通法に違反することが反権力闘争になるなどと主張するのは暴走族だけだ。
 道路交通法は民衆のためのルールだから権力者の利害の絡む法律と比べて取り締まりが緩い。長年放任されてきた飲酒運転は悲惨な事故をきっかけに世論の批判が強まりまともに規制されるようになった。スピード違反は今なお放任されている。歩道の自転車は最早無法状態になっている。権力者はザル法を作って責任逃れをすることによって法律を守らない者のモラルの問題に摩り替えている。これはモラルの問題ではない。ルールの問題だ。

熱い水

2009-12-15 15:37:01 | Weblog
 外国人がウェイトレスに「熱い水が欲しい」と日本語で言ってキョトンとされ、何度言い直しても通じず、最後に`hot water'と言って初めて意思が通じたという話を聞いたことがある。
 もし私が当事者のウェイターだったらどうだろう。「アツイミズ」と言われても何のことか分からない。水は日本では0℃~約30℃ということが常識だからだ。約30℃を超えれば「湯」と呼ばれる。
 つまり「水=water」ではない。「水=cool or cold water」と捕らえるのが正しいのだろう。
 このように翻訳はしばしば勘違いを招く。「日本人はウサギ小屋に住むエコノミックアニマル」という言葉はその典型例だろう。ウサギ小屋(cage a lapins)はフランス語ではマンションの意味だ。エコノミックアニマルは「イエローモンキー」などとは違って侮蔑語ではない。「人間は考える動物だ」と言っても人間を侮辱したことにはならない。
 英文でteachable animalという言葉に出会ったことがある。勿論これは「教える獣」という意味ではない。その文章は「高等教育を受けた人は創造者かティーチャブルアニマルになる」という内容だったから「教育者」と訳するのが正しかろう。
 キリスト教原理主義者とは違って、人間が動物の一種であることを疑わない日本人が「アニマル」という語に偏見を持つのは奇妙な話だ。「ケダモノ」という侮蔑語があるせいだろうか。

飢餓の輸出

2009-12-15 15:14:29 | Weblog
 地球の人口65億人は多すぎる。資源配分の不備があるとは言え、現実に8億人が栄養不足の状態であり、毎年、数千万人が餓死している。もっと人口が少なければ平和に共存できるだろう。
 ではどうすべきか。人口が多い中国やインドがヤリ玉にあげられるがこれは必ずしも合理的ではない。中国もインドも食料自給率が100%を超えている。領土が広ければ人口が多いのはある意味では当然のことだ。
 むしろ人口密度の高い国が率先して「人減らし」に励むべきだろう。人口密度の高い国は食料が自給できないので自ら飢えに苦しむか、他国から食料を買い漁ることによって「飢餓を輸出」している。
 では人口密度の高い国はどこか。①バングラデッシュ②台湾③インド④日本⑤フィリピンだ。バングラデッシュとフィリピンは飢えと貧困に苦しみ、日本と台湾は食料品を輸入することによって飢餓を輸出している。今のところインドは例外で食料自給率は130%らしいが国内の飢餓人口は1.2億人だそうだ。こんな国が人口を減らすことこそ最大の国際貢献だ。
 日本では人口減少を問題視する声が多い。少子化対策の大臣までいる始末だ。しかし国際的に考えても国内的に考えても日本は人口を減らすべきだ。
 人口が減れば水も空気も綺麗になるし、食料自給率も高まり失業率も下がる。総額としてのGDPは減るかも知れないが個人当たりのGDPは増えて今よりも豊かな国になる。そして何よりも飢餓の輸出が減る。
 確かに過渡期においては年金の不足や過疎化などの問題が生じる。しかしこれは言わば産みの苦しみであって将来の幸せのためには必要なことだ。人口の拡大再生産は問題の先送りに過ぎずまるでネズミ講のようなものだ。無限連鎖に頼った一見合理的に見える国策が日本と世界を不幸へと導く。