中国には「上に政策があれば下に対策あり」という諺がある。権力者が国民から搾取しようとして法を作っても国民は面従腹背というやり方で法を骨抜きにしてしまうという意味だ。
中国人は昔から法律が大嫌いだ。秦を倒した劉邦は法三章を宣言して熱烈に歓迎されたと言われている。法三章は殺人・傷害・窃盗のみを罰するという内容で、モーゼの十戒と比べて遥かに寛容なルールだ。それだけ秦の民は悪法に苦しめられていたのだろう。
もし法律が権力者による民衆の支配のためのものでしかないなら法律など少ないほど良い。しかし総てをそう考えるのは誤りだ。古くはイギリスの大憲章、これは貴族が王に課したルールだ。法律は権力者のためだけではなく民衆のために定められたものも決して少なくない。
道路交通法などはその典型だろう。道路交通法を定めることによって権力者が得る利益は余り多くない。あくまで民衆の交通をスムーズにするためのルールだ。道路交通法に違反することが反権力闘争になるなどと主張するのは暴走族だけだ。
道路交通法は民衆のためのルールだから権力者の利害の絡む法律と比べて取り締まりが緩い。長年放任されてきた飲酒運転は悲惨な事故をきっかけに世論の批判が強まりまともに規制されるようになった。スピード違反は今なお放任されている。歩道の自転車は最早無法状態になっている。権力者はザル法を作って責任逃れをすることによって法律を守らない者のモラルの問題に摩り替えている。これはモラルの問題ではない。ルールの問題だ。
中国人は昔から法律が大嫌いだ。秦を倒した劉邦は法三章を宣言して熱烈に歓迎されたと言われている。法三章は殺人・傷害・窃盗のみを罰するという内容で、モーゼの十戒と比べて遥かに寛容なルールだ。それだけ秦の民は悪法に苦しめられていたのだろう。
もし法律が権力者による民衆の支配のためのものでしかないなら法律など少ないほど良い。しかし総てをそう考えるのは誤りだ。古くはイギリスの大憲章、これは貴族が王に課したルールだ。法律は権力者のためだけではなく民衆のために定められたものも決して少なくない。
道路交通法などはその典型だろう。道路交通法を定めることによって権力者が得る利益は余り多くない。あくまで民衆の交通をスムーズにするためのルールだ。道路交通法に違反することが反権力闘争になるなどと主張するのは暴走族だけだ。
道路交通法は民衆のためのルールだから権力者の利害の絡む法律と比べて取り締まりが緩い。長年放任されてきた飲酒運転は悲惨な事故をきっかけに世論の批判が強まりまともに規制されるようになった。スピード違反は今なお放任されている。歩道の自転車は最早無法状態になっている。権力者はザル法を作って責任逃れをすることによって法律を守らない者のモラルの問題に摩り替えている。これはモラルの問題ではない。ルールの問題だ。