俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

予防

2011-01-21 15:51:33 | Weblog
 治療よりも予防のほうが望ましい。例えば切断した腕を縫合するよりも腕を切断するような事故が発生しないように備えるべきだろう。
 事故の予防なら合意できるが感染症の予防となると意見が分かれる。予防接種にはリスクが伴うからだ。予防接種とは加工した病原菌を化学物質と共に体内に入れることでありノーリスクということはあり得ない。副作用があるということを前提とすべきだろう。従ってメリットとデメリットを秤に掛けることが必要だ。
 予防接種のメリットはその感染症に罹りにくくなるということだ。一方デメリットは副作用や金銭的負担などであり、その負担をしても感染症から免れられるとは限らない。予防接収の功罪はかなり曖昧なものだ。
 医療とはそういうものだろう。薬であれ手術であれリスクを伴うにも関わらず治療できるとは限らない。それどころか薬や手術のせいで死ぬということさえあり得る。しかしリスクを伴うことを無条件に忌避することは「注射は痛いからいやだ」と言う子供と同等の幼稚な発想だ。秤に掛けねばならない。
 かつて天然痘やポリオ(小児マヒ)に対して予防接種は絶大な効果を発揮した。そのお陰でこの2つの病気はこの数十年日本では自然発生していない。そのイメージがあるので予防接種の大好きな人が多いが、インフルエンザの予防接種はどうだろうか。多分最も効かないローリスク・ローリターンの薬の1つだろう。
 普通のインフルエンザは安静にしていれば治る病気なのだから、余程強毒性のウィルスに変異しない限りは副作用の危険を冒して予防接種するには値しないように思える。 

草食動物

2011-01-21 15:35:58 | Weblog
 草食動物が戦うことは滅多に無い。戦うという戦略は合理的ではない。攻撃すれば自分も痛いし怪我をすることもある。相手に怪我をさせても自分には何のメリットも無い。
 最も賢明な戦略は戦いを避けることだ。孫子は「戦わずして勝つ」ということを最善策とした。そのために多くの草食動物では戦うという本能が退化しており、逃げるということで危機に対応する。草食動物の多くが早く走って逃げるということを進化の方向性として選んだ。
 肉食動物の場合は事情が異なる。相手を殺さなければ自分が飢え死にする。獲物を狩るという手法はハイリスク・ハイリターンの戦略だ。
 ごく稀に象とライオンが戦うことがある。両者の動機は全然違う。ライオンにとっては食料を得るための狩りだが、象にとっては戦う理由が殆ど無い。言わば火災や洪水などの天災のような災厄であり、一刻も早く逃れたいというのが本音だろう。そのために逃げる象をライオンが後ろから襲うというケースが多いようだ。
 人間も危機において2つの選択肢がある。感情としては怒りか恐怖であり、行動としては戦うか逃げるかだ。前者はハイリスク・ハイリターンであり後者はローリスク・ローリターンだ。概して男性は前者を好み、女性は後者を好む。男性のほうがつまらないことで死ぬ可能性が高いのはこの性質が原因だろう。
 私も戦いは避けたい。それでも後ろからライオンに襲われる象のような惨めな姿を曝したいとは思わない。弱い敵なら無視できるのだから、敵が強い時こそ断固たる覚悟で戦いたいものだ。

トイレの神様

2011-01-21 15:21:03 | Weblog
 嘘に頼らずに生きたい。
 天国も地獄も無いし最後の審判も閻魔大王も妄想だ。トイレには神様など住んでいない。
 嘘によって秩序が保たれるなのなら嘘も方便だという考え方がある。しかし私は嘘によって保たれるような秩序など欲しくない。事実に基づいたら相互殺戮や人肉食が横行する悲惨な世界になるのならそれも甘んじて受け入れよう。
 実際にはそんな殺伐とした世界など現れない。人類は最も優しい動物だからだ。
 「猿団子」という言葉がある。これは決して猿の挽肉で作った団子のことではない。寒くなると猿は集まってお互いの体温で温もり合おうとする。そんな猿の塊を猿団子と呼ぶ。
 人類も温もりを求めて抱き合う。群居動物である人類は一人で暮らすことはできない。抱き合わないまでも人の大勢集まる場所に引き寄せられる。それが都会だ。
 群居動物である人類は他人の感情を読むことが巧みだ。他人の喜びを自分の喜びと感じるような動物離れした高度なテクニックまで身につけている。
 蛇でさえ相手が痛がると知っているから咬む。蛇よりもずっと高度な知性を持つ人類は他人の喜びを感知する能力を持っている。従って嘘に基づく秩序などいらない。神という嘘を殆ど持っていない日本人が世界で最も優しい民族の1つであるということがそれの証拠と言えるのではないだろうか。