俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

養殖

2011-07-19 15:27:04 | Weblog
 哺乳類などの恒温動物は食物から得たエネルギーの3%しか体に蓄積されないそうだ。一方、変温動物なら30%が肉になるそうだ。恒温動物は体温を維持するために大量のエネルギーを使うからだ。
 このことを考えるなら牛や豚などの哺乳類や鶏などの鳥類を飼育しているのは非常に無駄なことだ。変温動物を飼育すれば肉を得るための餌代は1/10で済む。
 勿論私はイナゴやカエルを養殖すべきだと言うつもりではない。文句なしに最適の動物がいる、魚だ。マグロやウナギなどの養殖は経済性を考えれば最も有利な動物性食資源だろう。
 かつて日本では蚕をウナギの餌にしていた。蚕の繭を茹でて生糸を取ったあとのゴミとなる幼虫が餌だったから非常にエコロジカルでエコノミーな仕組みだった。餌に群がるウナギの姿は壮観だ。お互いに押し合い圧し合って団子状態になって餌を漁る。
 ウナギは不思議な魚だ。形態も奇妙だし生態も奇妙だ。ウナギは元々は深海魚だったらしい。深海の魚が浅瀬どころか川や池のような淡水でも生きている。物凄い生命力だ。これほど生命力のある魚なのだから栄養価が高いのも当然と言えよう。明後日(21日)は土用の丑の日だ。今年は随分値上がりしているようだがやはり夏のスタミナ食の定番だろう。ウナギには未知の栄養素があっても不思議ではないとさえ思える。

群集心理

2011-07-19 15:10:57 | Weblog
 なでしこジャパンの快挙にケチを付ける気は全く無いが、スポーツバーなどで大はしゃぎする集団は気持ちが悪かった。
 全員がなでしこを応援するのだから感情は共有される。個々のプレーに対して全員揃って一喜一憂できる。本人達は連帯感を持っているつもりなのだろうが私には醜い群集心理としか思えない。
 本当のファンもいるだろうが俄かファンも少なくなかろう。俄かファンはそれまで女子サッカーになど全く関心が無かったにも関わらず日本代表が勝つことだけに関心を持つ。一緒に騒いで連帯感を得たいだけだ。
 反原発の盛り上がりにも同じような違和感を覚える。反原発のムードがあるから反原発という多数派になろうとする。2年前の衆院選での民主党の地滑り的勝利のようなものだ。理性ではなく情緒で社会が動いている。
 喜びを共有したいという欲求が、多数派になりたいという欲求に変わる。勝ち馬に乗りたいという欲求がファッションとなりファッショへと繋がりかねない危険な国民性だ。
 日中戦争も日米戦争も決して軍部だけの暴走ではない。日本人という群集が強い日本を望み、国民の熱狂的支持があったから軍部は勝ち目の無い戦争であろうとも戦わざるを得なかった。日本軍は国民の期待を一身に背負っていた。日本軍の暴走は日本国民の群集的熱狂が招いた悲劇だ。犠牲者は浮かばれない。ムードに流されてメダカのように同じ方向へと向かおうとするのが日本人の最大の欠点だ。

努力主義

2011-07-19 14:49:59 | Weblog
 日本では成果主義ではなく努力主義を採る。成果と努力に関しては次の公式が使われていると思われる。成果=能力×努力+運。
 この式を組み替えると努力=(成果-運)÷能力となる。頑張った人を高く評価するという国民性からすればこれは妥当なものと言えよう。この式を使えば個人の努力を正当に評価することができる。高い能力を持っている人が努力せずに成果を挙げても評価しないのだから公平に努力度を評価することができるという理屈だ。
 考え方としては賛成できるがこれはとんでもない矛盾を抱えている。能力のある人ほど評価されないということになるからだ。その一方、能力が乏しいのに成果を残した人は過大に評価される。
 かつて巨人に江川卓という投手がいた。「怪物」と呼ばれたとおり高校時代の能力は桁違いで、対戦するチームはいかに攻略するかではなく「いかにしてノーヒットノーランを免れるか」に的を絞って戦略を練ったそうだ。その後、法政大学ではかわすピッチングを覚え、プロ入りしてからは「手抜きの江川」という有難くないレッテルを貼られた。その象徴的なプレーはオールスター戦だった。8人連続三振で終わったからだ。本気で投げていれば9人連続三振は可能だった筈だと非難された。
 努力が大好きな日本人のメンタリティからすれば江川投手は好ましからざる人物だ。そのせいか現役引退後は監督にもコーチにも就任していない。
 しかし野球解説者としての江川氏は素晴らしい。単に才能に頼っただけではなく聡明な選手だったことがよく分かる。才能に対する過大評価が実績に対する過小評価を生んでいる。努力主義は能力のある人を潰すという弊害を持っている。むしろ努力も能力も評価する成果主義のほうが合理的だ。