俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ジョーク

2014-09-02 10:08:23 | Weblog
 3月31日に書いた「エイプリルフール(2)」のアクセス数が比較的多いようだ。大半の記事が暗くて理屈っぽいので異彩を放つのだろうか。私は元々ジョークとパラドクスが大好きな人間であり、笑えるネタはどこからでも見つける。
 サラリーマン時代、定年退職した部長が事務所に退職の挨拶文を掲示した。そこには「お蔭様で大果なく定年を迎えました」と書かれていた。勿論、「大過」の間違いだ。これでは「お前たちのせいで碌な仕事ができなかった」ということになってしまう。この挨拶文はしばらくの間、掲示されていたが何人ぐらいが誤字に気付いたことだろうか。
 面談で名前を尋ねられた女性が答えた。「エイコです」「どんな字ですか?」「英語の英に子供の子です」手渡された書類には「A子」と書かれていた。
 こんな会話を耳にしたことがある。食堂で「それは醤油?」「ソース」「・・・」あるいは百貨店で「お持ち帰りでしょうか?」「はいそうです」「・・・」
 どういう経緯があったのか知らないが小学生の男女が小便の飛ばし比べをすることになった。男児が自信満々で準備を始めると女の子が言った「手を使うのは反則よ!」
 高校生の試験の答案も結構笑えるものが多い。日本史の試験のあとで2人が職員室に呼び出された。
 一人は「法隆寺の伽藍配置図を書け」という設問に対して正確に描き過ぎたためだ。講堂や塔などだけではなくトイレまで書き込んでしまった。多分、彼は自分が実際に見たとおりの正確な図を描いたのだろう。しかしそれは教科書に載っていた配置図とは異なっていた。これを不正解とすべきかどうかは意見が分かれるだろう。
 もう一人は悪ふざけだった。「二・二六事件について書け」という設問に彼はこう書いた「青年将校たちが襲撃した時、大蔵大臣の高橋是清は丁度、入浴中で、騒ぎに驚いて裸で飛び出した。兵士の一人が浴衣を持って言った「高橋これ着よ」
 地理の試験で「アメリカの州の名を書け」に対して「本州、九州、信州、長州、紀州・・・」と列挙した男がいた。

瀉血

2014-09-02 09:33:03 | Weblog
 ヨーロッパでは19世紀頃まで瀉血という「医療行為」が行われていた。悪い血を抜き取ることによって健康を回復できる万能医療だと信じられていた。例えばコレラのように激しい下痢を伴う患者の血はドロドロになる。このドロドロの血を病気の原因と考えた。誰でも分かることだが、血がドロドロになるのは結果であって原因ではない。下痢によって水分が不足するから血の粘度が高くなっているのでありその血を抜いても病気は治らない。逆に更に水分が不足することを招いて危険な状態になる。有効なのは瀉血ではなく点滴だろう。こんな馬鹿なことを千数百年間続けていた。
 これを野蛮と笑うことはできない。現代医療も同じようなことをしている。風邪をひいたら熱が出る。熱は結果であるのと同時に免疫反応でもある。体温を上げることによって病原体の活動を抑え、免疫力を高める。解熱剤を使うことは瀉血と全く同じ野蛮な行為であり病気を悪化させる。
 体は賢く頭はアホだ、と最近よく思う。体は数億年に亘る進化を経て洗練され続けただけに非常に合理的にできている。不都合な機能は淘汰され、生存および繁殖に有利な機能のみが継承された。現存の生物は総て改善に改善を重ねて作られた奇跡の賜物だ。人類の浅知恵は自然の叡智の足元にも及ばない。未だ人類は目の代替品さえ作ることができない。目の最善の治療法が移植であることを考えればこのことは明らかだ。
 医療が最優先すべきことは自然治癒力の妨害をしないことだろう。傷に対する消毒や解熱剤などが有害であることは既に証明された。老人の高血圧や高血糖を薬で下げることの有害性も、私が死ぬまでには証明されるだろう。アイシングの有害性と温熱療法の有効性もそのうち明らかになると期待する。生体反応の素晴らしい合理性を我々は再認識すべきだろう。