俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

死後

2014-09-04 10:20:43 | Weblog
 日本での平均葬儀費は231万円だそうだ。「死後ハムになる」豚であればそれくらい掛かっても構わないが「死後は無になる」人間の場合、ゴミとして処分できないものだろうか。流石に燃えるゴミとして回収して貰うのは不可能だろうが、死後に墓を作ることは大変な無駄だ。
 現在の日本の総人口約1.3億人が1㎡ずつの墓を作れば約130㎢の土地が必要になる。これは大阪府で2番目に広い堺市の137㎢にほぼ匹敵する。こんな膨大な土地が死者のために使われるということだ。死体は火葬したあと何かの素材として使うか散骨してしまえば、狭い日本の土地を更に狭くせずに済む。この世にいない人のためにこの世の土地を無駄遣いすべきではなかろう。
 死体があるから墓が必要になるのであれば死体を残さなければ墓の必要性も下がる。遺品しか残っていなければそれを金目のものとゴミに分別すれば済む。もし核兵器に直撃されれば影しか残らないが第三次世界大戦でも起こらない限りそんな僥倖には巡り会えまい。あとはマレーシア航空機のように行方不明になるか撃墜されることぐらいしか期待できない。火口に落ちることや海の藻屑となることも選択肢に加えても良かろう。
 死期が近付いた猫や象は自らの意志で姿を隠して秘かに死ぬと言う。彼らを見習って自らの意思で行方不明者になることも1つの選択肢だろう。例えば富士の樹海の奥で死ねば目出度く白骨死体に変わり果てることができる。身元が特定される物さえ持っていなければ晴れて無縁仏になれる。国内では難しくても外国で野晒しになることは決して難しくない。日本とヨーロッパ以外でなら割と簡単に野垂れ死にできる。
 死んでしまえばこの世との関係は一切断たれる。自分が死んだあとのこの世など1億光年彼方の1億年後の世界と同じようなものだ。そんなものに気を使う必要など無いかも知れないが、この世は生きている人のものだ。この世を去る人は極力邪魔にならないように心掛けるべきだろう。

標準治療(2)

2014-09-04 09:45:04 | Weblog
 私は歯科以外の医療施設には殆んど行かないので年に1度の「特定健康診査」が医師に会う数少ないチャンスだ。この機会に整形外科に行って最近、頻繁に書いているアイシングについて尋ねてみた。健診の合間での四方山話なので余り突っ込んだ話ではないが、医師は腫れることによって血行が良くなることもアイシングが腫れを予防することも、当然ながらよく知っていた。
 非常に滑稽なのは彼がこの2つの事実を結び付けないことだ。腫れたら血行が良くなることを知っていても、腫れを抑えたら血行が悪くなるということは意に介しない。腫れたら湿布をして治療するものだと無邪気に信じているし、腫れの予防が有害であろうなどとは思いもしない。
 かつて内科医に風邪の治療について尋ねたことがある。彼は風邪の治療薬が無いことを認めた上で「ビタミン剤か解熱剤、時には抗生物質を処方する」と答えた。その理由は「標準治療だから」だった。それによって治せるとは全く考えずに定められた手順を実践するだけだ。
 研究者でない医師にとって怪我や病気の原因や本当の治療などどうでも良いことなのだろう。彼らは社会に求められている役割を果たす。つまり対症療法によって患者の不快感を軽減することが彼らの仕事だ。医師は診断を拒否できないし、標準治療に背くこともできない。標準治療以外を行えば医師法違反になりかねないからだ。
 医師は自動車の整備士に似ている。修理することが仕事であって、たとえそれが改良になろうとも改造をしてはならない。マニュアル通りの仕事が義務付けられている。あるいは運転手にも似ている。法令によって雁字搦めにされているから、たとえルールが間違っていると思ってもそれに背くことは許されない。
 標準治療を決めるのはそれぞれの学会だ。その主要メンバーはそれぞれの専門医であり、自分が学校で教わり長年馴染んだ医療こそ最善だと信じている。「三つ子の魂百まで」と言うように幼い時に教え込まれたことから脱却することは難しい。だからいつまで経っても誤った医療が見直されないのだろう。
 医療は命に関わるだけに規制が必要なことは言うまでも無い。実際に「癌が治る」と言って贋薬を売る悪徳医師もいる。しかし命に関わるだけに間違った医療を早急に見直すことは極めて重要だろう。今のように学会で決めていれば前例踏襲の悪弊から抜け出せない。いつまでも天動説を唱えているような医師は決して少なくない。