カラスのように種族内で助け合う動物であれば「利己的」な個体が有利になる。仲間を助けず、仲間からは助けられるのだから最も安全だ。しかしこんな個体が増えたら種族としては弱体化する。
この淘汰圧は種族以前に群において現れる。カラスではイメージしにくいが、猿であれば、群同士での闘いにおいて助け合う群のほうが強いだろう。闘いだけではなく餌の確保においても助け合う群のほうが多分、有利だろう。「利己的」な個体は群レベルでも種レベルでも、何らかの形で淘汰されているようだ。
人類は助け合う動物であり、その中でも日本人は最も助け合う民族だろう。日常語を使えば「優しい」ということだ。優しい人の中では我儘な人が有利になり易い。日本人は二極化しつつあるように思える。
「優しさ」という美徳を守るために日本人が採用しているのはゲーム理論で言う「しっぺ返し」あるいは「やられたらやり返せ」という最強の戦略だ。優しい筈の日本人の死刑支持率が異様に高いのは信賞必罰が国民的感情だからだろう。対中感情や対韓感情が急激に悪化した最大の原因は彼らの反日姿勢だろう。報復・報恩を忘れないことこそ日本人の国民性だ。
最近の朝日新聞バッシングは急激過ぎるように思う。以前から朝日新聞の嘘や詭弁を咎めていた私にとっては、嘘をつき続けていた朝日新聞と比べれば嘘を認めた朝日新聞のほうが遥かにマシだ。他紙によるシェア奪取キャンペーンに乗せられているようにも思える。5日には私の家にも毎日新聞の「試読紙」が配られた。朝日新聞離れを千載一遇の好機と捕えて部数拡大を狙っているようだ。
我々は「水に落ちた犬を打て(打落水狗)」ではなく「ワシントンと桜の木」のように罪を認めた者には寛大であるべきではないだろうか。極悪人は容赦しないが悔い改めた者の罪は水に流すのが日本人の特長だ。あの傲慢だった「アサヒ真理教」が更生しようと努力しているのだから暖かく見守ってあげても良かろう。
朝日新聞社は混乱している。池上彰氏の記事の掲載を拒否したり急遽掲載したりしてブレている。朝日新聞社を罰するかどうかは「猶予は1箇月」と語る池上氏と同様、もう少し様子を見てからでも遅くはなかろう。
この淘汰圧は種族以前に群において現れる。カラスではイメージしにくいが、猿であれば、群同士での闘いにおいて助け合う群のほうが強いだろう。闘いだけではなく餌の確保においても助け合う群のほうが多分、有利だろう。「利己的」な個体は群レベルでも種レベルでも、何らかの形で淘汰されているようだ。
人類は助け合う動物であり、その中でも日本人は最も助け合う民族だろう。日常語を使えば「優しい」ということだ。優しい人の中では我儘な人が有利になり易い。日本人は二極化しつつあるように思える。
「優しさ」という美徳を守るために日本人が採用しているのはゲーム理論で言う「しっぺ返し」あるいは「やられたらやり返せ」という最強の戦略だ。優しい筈の日本人の死刑支持率が異様に高いのは信賞必罰が国民的感情だからだろう。対中感情や対韓感情が急激に悪化した最大の原因は彼らの反日姿勢だろう。報復・報恩を忘れないことこそ日本人の国民性だ。
最近の朝日新聞バッシングは急激過ぎるように思う。以前から朝日新聞の嘘や詭弁を咎めていた私にとっては、嘘をつき続けていた朝日新聞と比べれば嘘を認めた朝日新聞のほうが遥かにマシだ。他紙によるシェア奪取キャンペーンに乗せられているようにも思える。5日には私の家にも毎日新聞の「試読紙」が配られた。朝日新聞離れを千載一遇の好機と捕えて部数拡大を狙っているようだ。
我々は「水に落ちた犬を打て(打落水狗)」ではなく「ワシントンと桜の木」のように罪を認めた者には寛大であるべきではないだろうか。極悪人は容赦しないが悔い改めた者の罪は水に流すのが日本人の特長だ。あの傲慢だった「アサヒ真理教」が更生しようと努力しているのだから暖かく見守ってあげても良かろう。
朝日新聞社は混乱している。池上彰氏の記事の掲載を拒否したり急遽掲載したりしてブレている。朝日新聞社を罰するかどうかは「猶予は1箇月」と語る池上氏と同様、もう少し様子を見てからでも遅くはなかろう。