俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

信賞必罰

2014-09-08 10:29:14 | Weblog
 カラスのように種族内で助け合う動物であれば「利己的」な個体が有利になる。仲間を助けず、仲間からは助けられるのだから最も安全だ。しかしこんな個体が増えたら種族としては弱体化する。
 この淘汰圧は種族以前に群において現れる。カラスではイメージしにくいが、猿であれば、群同士での闘いにおいて助け合う群のほうが強いだろう。闘いだけではなく餌の確保においても助け合う群のほうが多分、有利だろう。「利己的」な個体は群レベルでも種レベルでも、何らかの形で淘汰されているようだ。
 人類は助け合う動物であり、その中でも日本人は最も助け合う民族だろう。日常語を使えば「優しい」ということだ。優しい人の中では我儘な人が有利になり易い。日本人は二極化しつつあるように思える。
 「優しさ」という美徳を守るために日本人が採用しているのはゲーム理論で言う「しっぺ返し」あるいは「やられたらやり返せ」という最強の戦略だ。優しい筈の日本人の死刑支持率が異様に高いのは信賞必罰が国民的感情だからだろう。対中感情や対韓感情が急激に悪化した最大の原因は彼らの反日姿勢だろう。報復・報恩を忘れないことこそ日本人の国民性だ。
 最近の朝日新聞バッシングは急激過ぎるように思う。以前から朝日新聞の嘘や詭弁を咎めていた私にとっては、嘘をつき続けていた朝日新聞と比べれば嘘を認めた朝日新聞のほうが遥かにマシだ。他紙によるシェア奪取キャンペーンに乗せられているようにも思える。5日には私の家にも毎日新聞の「試読紙」が配られた。朝日新聞離れを千載一遇の好機と捕えて部数拡大を狙っているようだ。
 我々は「水に落ちた犬を打て(打落水狗)」ではなく「ワシントンと桜の木」のように罪を認めた者には寛大であるべきではないだろうか。極悪人は容赦しないが悔い改めた者の罪は水に流すのが日本人の特長だ。あの傲慢だった「アサヒ真理教」が更生しようと努力しているのだから暖かく見守ってあげても良かろう。 
 朝日新聞社は混乱している。池上彰氏の記事の掲載を拒否したり急遽掲載したりしてブレている。朝日新聞社を罰するかどうかは「猶予は1箇月」と語る池上氏と同様、もう少し様子を見てからでも遅くはなかろう。
 

個性化

2014-09-08 09:51:39 | Weblog
 多くの子孫を残す者が適者であれば、爬虫類のオスの場合、最も多くのメスと交尾した者が最適者となる。下手な鉄砲も数打てば当たる、そのものだ。オスの戦略は狩人のようなものだ。その一方でメスは幾ら多くのオスと交尾をしても多く出産できる訳ではないから選り好みをする。量ではなく質を問う。メスにとっては、1個の卵子に群がる無数の精子から最も機敏な精子だけが選ばれるのと同じ構造だ。
 哺乳類の場合、違った要因が加わる。卵を産みっ放しにする爬虫類とは違って、哺乳類は子育てをしなければならない。タツノオトシゴならオスが育児を請け負うが、乳呑児の世話は乳房を持つメスが主役とならざるを得ない。1匹で生きることでさえ大変な環境で、子供と共に生きることは大変なハンディとなる。自分だけではなく生存力の乏しい子供まで守らねばならない。この困難を克服するためにはオスの協力が必要だ。メスは、オスが持つ生存力以上にメスに対する支援力を評価したほうが有利になる。こうして多くの鳥類と一部の哺乳類において、子育てのための一夫一妻制が成立した。
 安全な育児のためにはもう1つ方法がある。ゴリラやゾウアザラシのようにハーレムを作ることだ。肉食獣よりも強いオスの庇護があればメスは安全に育児ができるし、オスは多くのメスと交尾できるので両性の利害が一致する。江戸時代の豪商が用心棒を雇うようなものだ。
 鳥類の場合、一夫一妻制が本能に刷り込まれているようだが、哺乳類はそうではない。子育てにおけるオスとメスの役割分担は多種多様であり、特に猿・類人猿においては近縁種でさえ全く異なった繁殖形態を採る。
 動物界の常識に逆らうかのように人類のメスが美しくなったのは、オスを繋ぎ止めるためではないだろうか。オスは多くのメスと交尾したがるがそれを防止するのが「この人でなければならない」と感じさせる魅力だ。そのためにメスは個性化・多様化した。
 私はこれまで間違っていた。オスが実験体だから多様化すると考えていた。オスはメスよりも個体差が大きい。体長であれ知能であれオスのほうがバラ付いている。しかしこれは大きな見落としをしていた。オス・メス共通の特性ばかり比較していたからだ。オスと比較できないもの、例えば乳房や女性器などにおいて、その大きさ・形状・機能などは著しく多様化している。人類のメスはメスらしさにおいて個性化・多様化して、オスにとって唯一無二の存在になっているのではないだろうか。もしかしたら性格や嗜好などにおいてもオスよりも個性化・多様化しているのかも知れない。女性性が個性化することによってオスにとってのオンリーワンになり得る。「赤い糸」や「割れ鍋に綴じ蓋」のような感情はここから生まれているのではないだろうか。
 但しこれは諸刃の剣でもあり得る。元々、多くのメスと交尾しようとする人類のオスにとって、メスがそれぞれ異なるということは猟色の動機付けともなり得る。