俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

不安と痒み

2014-08-17 10:15:48 | Weblog
 不安を解消するためには論理的な対応と心理的な対応がある。論理的な対応は具体的に危険なものに対応することだが、これが更に合理的なものと不合理なものに分けられる。
 9.11のアメリカの同時多発テロの後、飛行機は怖いと思うようになった。ここで多くのアメリカ人は選択を誤った。自動車事故が多発するようになったからだ。距離当たりの死亡率は自動車のほうが25倍も高い。遠距離を自動車で移動することは危険が増すだけではなく時間も浪費される。全く不合理な選択だった。
 論理的かつ合理的な対応は機内持ち込み品の規制だ。一昔前であれば金属探知機があれば充分だったが、液体爆弾やプラスチック爆弾などが開発されたために厳重な検査が必要になった。更に体内にプラスチック爆弾を埋め込んだ人間爆弾ともなれば持ち込み品規制では解決できない。体内持ち込み阻止の技術は爆弾だけではなく不法薬物の密輸を防ぐためにも使えるので今後急速に進歩するだろう。
 しかし圧倒的に重要なのは心理的対応だ。感情を論理的・科学的根拠によって覆すことは難しい。感情に訴えるしか無い。不安を捻じ曲げて怒りに変えたブッシュ大統領のやり方は政治的・倫理的には問題があるが、心理的には有効な対策だった。
 不安は決して激しい感情ではない。PTSDのような恐怖とは違って弱い感情だ。マスコミが騒ぎ立てさえすれば根拠が乏しくても信じる類いの迷信にも近いものだ。遺伝子組み換え農作物やダイオキシンやオスプレイのように何となく危ないものと感じていることが少なくない。
 痒みとは実は軽度の痛みらしい。「痒点」は存在せず痛点に対する弱い刺激が痒みになる。不快な痒みから逃れるための最も簡単な方法は掻いて痛みに変えることだ。痒みよりは痛みのほうが耐え易い。不安についても同じ手が使える。もっと強い感情に摩り替えれば不安が解消される。多分ブッシュ大統領は心理学者のアドバイスに基づいてこの手を使ったのだろう。
 人にとって最大の不安は、自分がいつ死ぬか分からず、死後どうなるのか誰も知らない、ということだ。必ず訪れる死が人にぼんやりとした不安を感じさせる。痒みを痛みに変えるように、不安を絶望に変えようとする人がいる。彼らの自暴自棄的な姿勢は曖昧なものを明確なものに変えようとするからだ。痒みに耐えるように不安に耐えてそれを直視する必要がある。

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