俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

真剣勝負

2016-07-19 08:53:49 | Weblog
 「ドラゴンボール超(スーパー)」の主題歌では「♪負ければ強くなる♪」となっているが、原作でのサイヤ人は、死にそうな酷い目に遭うと強くなるという設定だった。
 「♪涙の数だけ強くなれるよ♪」は岡本真夜さんの代表作TOMORROWのイントロだ。「艱難汝を玉にす」のように苦労を奨励する名言は多い。人は成功よりも失敗から多くを学ぶ。成功している時は余り反省しないが失敗をすればどこが悪かったのかと熟慮をする。
 江戸時代であれば事情が違う。「武者修行とは四方の剣客と手合わせをし、武技を磨くものだと思っていた。が、今になってみると、実は己れほど強いもののあまり天下にいないことを発見するためのものだった。」(芥川龍之介「侏儒の言葉」)武者修行中に負けた人の多くは命を落とすか再起不能になる。だから敗北を教訓にして強くなることは極めて珍しい。勝負を挑むとは命を賭けるということであり負ければ死ぬという覚悟が必要だ。武者修行とは自分を高く売り込むためのパフォーマンスであり宣伝活動だった。
 昨年、大阪都構想の是非を問う住民投票で敗れた時の橋下市長の答弁は興味深かった。負けても命を奪われない民主主義という政治形態を絶賛した。ラグビーの「ノーサイド」と同等の爽快感を訴えた。何度でも再戦が可能な社会であればこそ「負ければ強くなる」ということが可能になる。
 負ければ終わりになる社会であれば再戦はあり得ない。スポーツを舞台にしたドラマであれば、ライバルとは何度でも戦いその度にお互いに強くなる。ところが文字通りの真剣勝負であれば再戦は殆んどあり得ない。だから対決を盛り上げるためには対戦相手を詳しく描かざるを得ない。宮本武蔵に負けるために登場する佐々木小次郎であってもそのエピソードに多くのページを割いてその天才剣士ぶりを強調せざるを得ない。これはストーリー展開上大きな支障になる。
 この問題を解決した漫画家が故・横山光輝氏だ。彼は忍者漫画に団体戦の手法を導入した。
 主人公の強さを強調するためには敵役が強くなければならない。しかし敵役は所詮、主人公に倒される引き立て役でしかない。だから敵役の紹介に何ページも使えば話が間延びする。このジレンマを解消したのが「伊賀の影丸」で使われた団体戦だ。
 これは画期的な手法だった。主人公の影丸のピンチを仲間の忍者が助ける。この話によってその忍者が影丸と同等以上に強いと印象付ける。ところがその強い忍者の秘術を破って倒す強敵が現れて影丸と対決する。この手法であれば話が脇道に逸れることなく敵役の強さを強調できる。
 今では当たり前の手法であり講談の「真田十勇士」などの先駆的作品もあるが、漫画にこの手法を使って話を面白くした功労者は横山氏だろう。「漫画の神様」の手塚治虫氏もこの影響を受けてアトムにチームを組ませた団体戦の作品を描いた。戦後の漫画の功労者のNo2は石ノ森章太郎氏だと世間では評価しているようだが横山氏の功績も偉大だと思っている。忍者漫画以外に連載誌での「少年」では「鉄腕アトム」のライバルだった「鉄人28号」や「三国志」などの中国史シリーズなども今尚ファンが多い。

コメントを投稿