俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

整った顔

2009-03-14 13:53:12 | Weblog
 整った顔とは平凡な顔のことではないだろうか。特異な顔は醜い。麻生首相のような曲がった顔やアザやコブや傷のある顔は美しくない。
 こんな明らかに違和感のある顔は論外としても、鼻の下が長いとか目と目の間隔が広ければ美しくないし、唇が厚いとか鼻がほんの少し上向いていれば変な顔になってしまう。
 しかしよく考えればこれらは相対的な評価に過ぎない。鼻の下が長いとか鼻の穴が上向いているかどうかは標準的な顔と比べて少し違っているに過ぎない。もし日本人全員の鼻の下が現状より2割長ければ日本人にとっての「整った顔」の鼻の下も2割長いものになるだろう。
 「顔の美のイデア」は経験の外ではなく経験の中にある。経験に先立って存在するのではなく経験が「整った顔」という標準を作る。
 要するに人は標準的な顔を「整った顔」と感じ、標準から外れた顔を「崩れた顔」と感じる。「整った顔」とは結局のところ「当たり前の顔」であり「標準的な顔」にすぎない。各個人が毎日見る「見慣れた顔」が基準となりその基準から外れると変な顔と評価される。
 標準的な顔は日常的に見慣れた顔だから民族によっても異なり、分厚い唇や異様に長い首に「美」を感じる民族もいる。国内でも生活圏によって日常的に目にする顔は異なるので小学生には小学生だけが感じる「整った顔」があり政治家には政治家ならではの「整った顔」があるのだろう。
 「整った顔」にほんの僅かのプラス要因が加わると「美しい顔」になる。例えば目が大きいとか口が小さければ美しいと評価され易い。
 しかし目が大きいとか口が小さいとか顔が小さいといった「標準から外れること」が美にとってのプラス評価に繋がる理由はよく分からない。多分、白人に近いとか童顔に似ているといった別の基準が働いているのだろう。

1 コメント

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神よ… (8357)
2009-03-15 09:51:01
顔には、木の年輪の様に人の生き様が刻まれていくと思います。しかし今や、黙っていても存在感を誇示できるのは、ごく少数で多くの者は、米国が震源地の金融システム崩壊で世界景気後退深刻化に対する先行き不透明感などや、主要企業の大規模な人員削減計画発表が相次ぎ、雇用情勢先行きに明るい展望を描けない為に、未来構想に対する不安感が顔に刻まれている感がある。しかし僕の会社は外需ではなく内需メインの会社の為、金融システム崩壊の影響は皆無に等しい、その為、僕の顔には内面の美の震源である強さや経験、信念、純朴さ、人生の孤独や悲しみや気概や執念のような生き様が全て凝縮されている感がある。
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