俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

[3部作の①]右側通行(改)

2008-01-05 14:22:24 | Weblog
 実際には守られていないが、日本では歩行者は右側を歩くことと定められている。世界中で歩行者の右側通行をルールとして定めている国はイギリスおよび英連邦諸国(オーストラリアなど)とタイぐらいで他の殆どの国は左側通行だ。
 エスカレーターやムービングウォークなどで人の流れを無理やり右側通行にしない限り、人は自然に左側を歩く。繁華街や駅構内は勝手に左側通行がルールになっている。
 これは右利きにとって左側通行のほうが歩き易いからだ。野球の右投げも右打ちも体を左にひねる。つまり左に向かって体重移動をする。これが右利きにとっての自然な動作だ。
 左利きの人には不便だろうが9割の人が右利きなのだから多数派の習慣に従わざるを得ない。私としては不本意だが、流れをスムーズにするために「最大多数の最大幸福」の原理を採り入れることになる。
 正面から人が向かって来た場合、右利きの人は左に避ける。前述の理由以外にもう1つ、利き手の右手で体をガードできるからだ。
 殆どの人の心臓は左にあるので、比較的危険性の低い道路の外側に心臓があるほうが安全とも言える。
 このように左側通行のほうが合理的だ。アンケートをしても8割ぐらいの人が左側通行を支持するらしい。なぜ右側通行のような不合理な交通法規が放置されているのだろうか。人を左側通行にすると車を右側通行にせねばならないからだろう。今の国産自動車は右ハンドルなので右側通行にすると危険性が高まる。ルールを変えると買い替えを半強制することになるのでできないのだろう。
 しかし現状は決して好ましいことではない。歩道の無い道では歩行者も車も左側通行をすることになり事故を招き易い。
 沖縄が返還された時に沖縄を右側通行に変更するのではなく、本土の法規を左側通行に変更しておけば良かったのに、と思う。 

[3部作の②]間違った規則(改)

2008-01-05 14:21:15 | Weblog
 「間違った規則は変えねばならない。」豊田英二(トヨタ自動車の元社長)
 規則は人間が作るものであって決して神様から与えられたものではない。当然不完全だし、時代の変化に伴って不合理なところも生じる。あるいは科学技術の発達のおかげで、それまでできなかったことも可能にもなる。離婚後300日以内の出産の父親問題など、DNA鑑定という新しい技術があるのだから、いつまでも明治時代の民法に縛られる必要はないはずだ。
 「規則を変更するか否か」はいつも議論されるが、「どうすることが現時点ではベストか」という議論にはなかなかならない。どうも日本人は「規則はお上が決めるもの」という昔の発想から解放されないようだ。
 間違った規則を守ることは嘘に嘘を重ねるようなもので、間違った事例が前例となって益々変更し難くなってしまう。

[3部作の③]間違った道徳

2008-01-05 14:20:20 | Weblog
 人間は本来左側通行をしたがるものなので無理やり右側通行をさせると余計な混乱を招く。人間の本性に背く規則は混乱を生む。
 それと同じように人間の本性に背く道徳を普及させようとしても失敗に終わることが多い。
 道徳の起源は2つあると私は考えている。人間の本性に基づくものと権力者の支配欲に基づくものという全く違った思想が「道徳」という名のもとでグシャグシャになって流布している。
 人間はもともと群居動物なので本能的に仲間を大切にする性質を持っており、思いやりや親切などは本性に基づく性質だと言える。
 一方権力者が望む道徳の例としては盲信や隷属などが挙げられる。しかし彼らは本音を口に出さない。美辞麗句を使って国民を欺く。「盲信」は「愛国」や「信頼」などと、「隷属」は「奉仕」や「社会貢献」などと言い換えられる。
 郷土愛の延長である愛国は本性に基づく感情であり肯定されるべきものだが、権力者が愛国の意味を歪めてしまう。「愛国」に全体主義思想を紛れ込ませて国民を利用するために使う。
 これは日本だけの特異な現象ではなくイギリスでも同じことが起こっているようで、ピアスは「悪魔の辞典」で「愛国者」を「政治家に手もなく騙されるお人好し」とし、「愛国心」を「無頼漢の最初の拠り所」と定義して「愛国」の二重性を指摘している。
 人間の本性を無視して、支配のために押し付けた道徳はどこかで破綻する。これまでの歴史上の巨大国家がことごとく破綻したのは、単に自然環境の変化だけではなく、国民を支配するために採用したご都合主義的道徳が人間本来の倫理とどうしようもなく矛盾したために内部崩壊せざるを得なかったのではないだろうか。
 日本でも道徳の再構築が盛んに言われているが、国家が押し付ける支配のための道徳など御免蒙りたい。人間の本性に基づく倫理を真面目に究明すべきだろう。