俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

小さな政府

2008-11-10 09:43:58 | Weblog
 アメリカの民主党は「大きな政府」、共和党は「小さな政府」を志向するとされている。ブッシュ大統領の度重なる失政のために民主党の勢力が強まっているがこれだけでは「大きな政府」のほうが良いとは言えない。
 日本の感覚からすれば民主党は「随分小さな政府」で共和党は「極小の政府」だ。小さいか大きいかは相対的なものだ。それと比べて日本は「超巨大な政府」と言える。日本が「世界で唯一成功した社会主義国家」と言われるのはこんな事情からだ。日本の公務員と政治家の数はアメリカと比べたら異常に多い。
 公務員は公益を隠れ蓑にして無駄遣いをする。これは公務の宿命であって克服することは不可能だ。公務員の無駄遣いを減らす唯一の方法は「公務」を減らして支出そのものを減らすことだ。
 私は決して公務員を阿呆だとか不道徳だとか言いたい訳ではない。問題なのはシステムであって個人ではない。役所では予算を使い切ることが重視される。もし使い切らなかったら予算を「ぶんどった」上司が非難されることになる。
 役所の幹部職員は自分の部署の強化のために予算を「ぶんどる」。これが部署の利益であり自分の存在価値を高める行為だからだ。
 各部署の職員は上司がぶんどった予算を使い切ることが仕事だ。使い切ることが最優先課題であって何に使うかは大した問題ではない。こんな体質が必然的に無駄を生む。
 大きな政府を維持するためには高額の税金が必要だ。その税金が公益のために使われるのなら意味がある。しかし税金が増えても公務員の無駄遣いばかり増えるのなら納税者として大いに不満だ。小さな政府にして税金を減らすべきだろう。増して消費税の増税など言語道断だ。時代劇の悪代官のようなやり方だ。
 

鳥ガラ美女

2008-11-04 13:58:13 | Weblog
 空港で2人連れの鳥ガラ美女を見た。抜群のスタイルとファッションセンスから見て間違いなく2人ともモデルだろう。多分海外で撮影するために空港にいたのだろう。
 しかしそばで見てゾッとした。頬はこけ、肌は荒れ、手足などの露出部分は骨と筋ばかりが目立つ。まるでミイラのようだった。遠くから見ると美しいが近くで見ると気持ち悪い。撮影する時にはスタイリストが思い切り厚塗りに化粧をして誤魔化すのだろう。
 私は自分の美感覚を恥じた。たとえ遠目でとは言えなぜこんな醜い女性を美しいと思ったのだろうか。
 西洋人は日本人と比べて背が高い。日本人は西洋人に対して劣等感を持ち自らを劣等民族と思っているから西洋人に近いということに「美」を感じる。西洋人をそのまま小さくしたようなプロポーションが日本女性の美の基準となっているようだ。
 しかし脳や心臓の大きさは日本人も西洋人も殆ど違わない。従ってもし理想の体重を想定するなら背の高い人は細く、背の低い人は太いということが必要になる筈だ。臓器が正常に機能するためには縦に伸びるか横に広がるかのどちらかを選ぶ必要がある。背の低い者が細くなれば脳や心臓以外の臓器は極小化されざるを得ない。こんな状態で健康を保てる筈が無い。

タダが無駄を生む

2008-11-04 13:40:55 | Weblog
 タダのものは無駄遣いされる。スーパーのレジ袋はタダだからゴミが増える。食べ放題や飲み放題の店では必要以上に飲み食いするから贅肉と便が増える。あり得ない話だが、もし借金の金利がゼロになったら町は借金まみれの人で溢れ返るだろう。
 デパートの過剰包装が治らないのは包装がタダのせいだ。意地汚い消費者はタダの物なら何でも貰おうとする。邪魔になったらゴミにすれば良いと考える。欧米の小売店ではラッピングは有料だ。客はラッピングショップで包装紙とシールを買って自分で包む。
 最近では簡易包装が増えて包装の無駄は随分減ったが、中元・歳暮の「のし」には何の意味があるのだろうか。ゴミにしかならない。誰からのどういうギフトなのかは添付される配送伝票を見れば分かるのだから、「のし」は配達された直後にゴミになる。
 スーパーのレジ袋と同様、デパートの「のし」を無駄の象徴として見直してはどうだろうか。「のし」は再利用できないのだからレジ袋よりも無駄だ。
 私はレジ袋の有料化には反対だ。逆にレジ袋を使わない人にはそれに相当する金額を返すべきだと考えている。企業の負担が減るのだからそのメリットは消費者に還元すべきだ。同様に「のし」不要の客には例えば5円割り引いてはどうだろうか。
 たかが5円の値引きで客が喜ぶとは思えないが、これが環境改善に繫がってしかも少しとは言え金が貰えるのだからゴミを買うよりはずっとマシだ。ケチと評価され勝ちだが実は合理的な大阪人ならある程度支持してくれると思うのだが。

水と魚

2008-11-04 13:21:24 | Weblog
 魚は自分が水の中にいることに気付かない。水の中だけが魚の住む世界だから水の外の世界を想像することさえできない。
 人間は通常、空気の存在を感じない。風が吹いた時やバイクなどで高速移動する時にのみ「風」として空気を感じる。
 人は「常識」を空気のように感じる。常識が動かなければ違和感を覚えず、常識が変化すれば空気の変化を感じる筈だが必ずしもそうではない。
 実際には人は常識という電車に乗っているようなものだ。常識は常に動いている。立ち止まろうとすれば逆に猛烈な風圧を受ける。空気に流される人はどんどん考えを変えるが流されているので自分が変わって行くことに全く気付かない。
 例えば性道徳は大きく変わった。官公庁は信頼されなくなった。女性の就労は当たり前になった。女性美の基準は顔一辺倒からボディ特にバストに移った。
 このような常識の変化は本当に妥当なのだろうか。
 常識の変化を感じない人は危険だ。彼らは完全に「流され」ている。流されているから何の疑問も感じない。北朝鮮人民よりも酷く洗脳されてしまう。
 誰が流れを作っているのだろうか?マスコミか、それとも陰の支配者なのだろうか?

ドーピング

2008-11-01 16:36:28 | Weblog
 ドーピング違反による繰上げによってハンマー投げの室伏選手の北京オリンピックの銅メダル獲得がほぼ確実になった。前回のオリンピックでもドーピング違反による繰り上げによる金メダルだった。
 ところで今後、遺伝子操作によるアスリートが現れた場合IOCはどう対処するだろうか。
 考えるのもおぞましい話だが、ゴリラの遺伝子を持ったボクサーやレスラー、ノミの遺伝子を持ったジャンパー、あるいはイルカや魚の遺伝子を持った水泳選手などはオリンピックへの出場資格を持てるのだろうか。
 全く議論されたことが無い話だが、遺伝子操作ではなく突然変異体ならどうだろうか。もし手が4本のボクサーやレスラーが現れた場合、彼らはどう扱われるのだろうか。
 手が4本という選手は多分、2本だけしか試合に使えないという条件を課せられるだろう。それなら異常に足の長いジャンパーは制限されなくても良いのだろうか。明らかに形状が異なるのでなければ認められるということだろうか?

公益(2)

2008-11-01 16:25:09 | Weblog
 私益より組織(企業)益、それよりも更に公益が優先されるのはある程度当然だろう。
 サラリーマンは自分の都合を犠牲にして企業の発展に貢献する。企業は儲けを基準にするからサラリーマンは企業の儲けのために自己を犠牲にする。
 公務員は公務(公益)のために働く。この行為は企業の儲けのために働くサラリーマンより尊い筈だが必ずしもそうとは思えない。
 公益(1)に書いたとおり公益はかなり分かりづらい。マスコミは中央官庁について「省益あって公益無し」と批判するが何が公益なのか分からないのだから省益を追及するのはやむを得ない。
 しかし決して許されないのは、公益が分からないという理由で私益を追求する役人だ。賄賂を貰って業者と癒着したり公金を横領する役人が跡を絶たないのは判断の基準が無いからだ。何をすれば良いのか分からなければ何をしてはいけないかも分からなくなってしまう。
 かつてある公務員がこう言った。「我々が公金を使えば官の金が民に移る。我々公務員は金を使うことによって社会に貢献しているのだ。」
 馬鹿も休み休みに言え!と言いたい。民間人は公務員に飲み食いや道楽をさせるために税金を納めている訳ではない。公務に使うために収めているのだ。
 儲けなくて良いということを錦の御旗にして公務員は公金を無駄遣いする。「儲ける」すなわち収入を増やして無駄遣いを減らすという最低レベルの基準まで無くなってしまえば私利私欲が判断の基準となる。
 共産主義という公益最優先の筈のシステムが権力者の私益に乗っ取られて崩壊したように、曖昧な「公益」は私的利益のための隠れ蓑として使われる。

公益(1)

2008-11-01 16:06:47 | Weblog
 公益とは何かと考えるとハタと困り果ててしまう。これは極めて定義し難い概念だ。
 高齢者や障害者に対する福祉は公益となる筈だがやり過ぎると公益に背くことになる。増え過ぎた高齢者を養うために現役世代の負担が過剰になれば公益ではなくなり、福祉制度も医療制度も介護制度も見直されることになる。
 橋1本架けることでも大変だ。A地域に架けるかB地域に架けるかが問題になる。民間企業なら悩む必要は無い。収益性に基づいて、迷わずに一番多くの人が通ると予想される場所に橋を架ける。お役所の場合は「地域の活性化」も考慮せねばならないから簡単には決められない。こんな事情から本四架橋は3種類の案が検討されて最終的には3本とも架けられることになったのだろう。そして多分3本とも未来永劫赤字を生み続けるだろう。
 お役所の仕事には民間の「収益性」のような明確な基準が無い。基準が無いからやりたい放題になる。ずる賢い者の恣意的な判断が罷り通る。公益を隠れ蓑にして私益(役得)が横行する。
 多くの公務員は志高く公益のために働きたいと思って公務員という職を選んだのだろうが、現実はその逆ではないだろうか。
 ブッシュ大統領でさえ決してアメリカを崩壊させようと志した訳ではない。アメリカの国益(公益)のための最善策を選んでいると少なくとも本人は思っている。世界で最高の権力者であるアメリカ大統領でさえ何が公益なのか分からないのだから、一般公務員に分かる筈が無い。