俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

高額な給料

2009-02-07 14:15:26 | Weblog
 給料が高額であるということはその企業の長所と通常は考えられる。経営がしっかりしていて社員の待遇も良ければ優良企業と言えるだろう。
 しかし高過ぎる給料のために経営難に陥っている企業がある。アメリカのビッグ3と言われるGM、フォード、クライスラーの3社だ。
 アメリカの自動車業界人の給料が高いのは20世紀初期のフォード社に始まる。フォード社では自社の社員が自社の商品(自動車)を所有できるようにするという高い理念を実現するために当時としては画期的な高賃金策を採った。高賃金で優秀な労働者を集め、オートメーションシステムと徹底した分業によって高度で熟練した労働者を育成して大量販売を実現し、高収益企業となった。
 日本と違って産業別労働組合が主流のアメリカでは他の自動車メーカーも高賃金策を採らざるを得なかった。その結果ビッグ3の社員の給料は日本では非常識と思えるほど高額だ。
 現役労働者の賃金だけではない。退職者の企業年金も日本円に換算して平均で約500万円と言われている。幾ら労働者を優遇することが必要でもここまで手厚いとさすがに無理が生じる。
 こんな高賃金を支給するためには高付加価値の商品を大量に販売し続けることが必要になる。経営は付加価値の高い大型車に頼らざるを得ない。企業が儲けるために存在するのではなく、むしろ高額の給与を支払うために企業が存在するような状態になってしまった。
 そこへ(相対的に)低賃金の労働者を使うトヨタやホンダやニッサンがやって来て低付加価値の小型車をどんどん売り出した。ビッグ3が苦境に陥るのは当然だ。これはかつて安価な中国製品が日本に流入して日本のメーカーが駆逐されたのと同じ構造だ。
 現在ビッグ3は公的資金の投入によって辛うじて生き延びれいるに過ぎない。まともに生き延びるためには経営構造の改革(本来の意味でのリストラ)と高過ぎる賃金の見直しが必要だ。
 しかし賃下げは労働者としては承認し難く、強力な全米自動車労働組合が認める筈が無い。高い賃金は労働者の権利だと彼らは主張する。
 賃金を見直すためには公的資金の投入ではなく倒産というショック療法が必要なのかも知れない。倒産から連邦破産法(日本での民事再生法)に至れば、高賃金のせいで経営が成り立たないという事態からは脱却できる。労働者も経営が成り立たなくなるほどの既得権益にいつまでも甘えている訳には行かないだろう。

希望退職(2)

2009-02-07 13:55:09 | Weblog
 私の勤務先では高齢者の希望退職募集活動の真っ最中だ。役員クラスによる個人面接をして被面接者が「辞めます」と言うまで何度でも繰り返される。彼らははっきりとは言わないが「退職しなければそのことに対するペナルティとしての配置転換をする」ということを匂わせる。最悪の配置転換を想像して少なくない同僚が「希望されて」退職に応じている。
 他社ではもっときつい手法を使っているそうだ。外部スタッフを同席させてボロクソに罵らせる。「役立たず!給料泥棒!恥知らず!」と。そこで人事担当者が仲裁に入る。被面接者は味方が現れてホッとする。ついつい人事担当者に迎合して勧められるままに希望退職に応じてしまうという訳だ。
 何かに似ていると感じるだろう。そう、警察による尋問とそっくりだ。罵り役と宥め役の2人一組で尋問して容疑者が宥め約に気を許したらいかにも容疑者の味方のようなフリをして巧妙に自白へと誘導する。
 このやり方が効果的なのは自社の社員に罵り役をさせないことだ。社員同士では、苦楽を共にし、同じ釜の飯を食った仲間という意識があるのでここまで酷く罵れない。また人事担当の社員が罵れば「お前こそ給料泥棒だろう」という反発を招く。汚れ役を、2度と顔を会わせることの無い外部スタッフにやらせることによって、人事担当者は泥を被らない仲裁役を演じることができる。恨みは外部スタッフに向けられる。
 こんな他社の例を採り上げたのは決してこれが合理的だと勧めたいからではない。こんな卑劣な手法に騙されないことを勧めたいからだ。罵るのは外部のスタッフだが罵らせているのは人事担当者だということを忘れてはならない。実行犯よりも犯罪を陰で操る首謀者のほうが罪は重い。

知的障害者

2009-02-03 13:39:36 | Weblog
 知的障害者の問題はマスコミではタブーだろう。多くの問題があるにもかかわらずマスコミは沈黙する。
 例えば知的障害者による犯罪。多分我々素人が思っているよりも知的障害者による犯罪は遥かに多いだろう。
 最近の例を挙げるなら千葉県で起こった幸満ちゃん殺人事件の勝木容疑者は明らかに知的障害者だ。東京でのホームレス連続傷害事件の容疑者もそうらしい。少し古い例だが秋田県での連続児童殺害事件の畠山静香容疑者も知的障害者だった。もっと古い例では八尾駅前の歩道橋から小学生が投げ落とされるという事件もあった。
 決して知的障害者が凶暴な訳ではない。視野が狭いために周囲の意見に流され易く、思い込むと他の選択肢を選べなくなってしまう。因果関係が短絡して奇妙な解決策を選んでしまうだけだ。
 知的障害者を差別から守ることは必要だが、犯罪に走らないような環境を作ることも重要だ。そのためには問題があるのに沈黙を守り、臭い物には蓋をするような現在のマスコミの姿勢を改める必要がある。何事も事実に基づく必要があるからだ。事実が広く知られなければ問題は解決されない。闇に葬られる。

人件費のトリック

2009-02-03 13:27:25 | Weblog
 これだけ景気が悪化すると経営者は人件費に目を光らさざるを得ない。管理部門に人件費削減を強く命じるだろう。
 困ったことに人件費は簡単に誤魔化せる。実態は全く変わらなくても別法人化するだけで人件費はすぐに他の経費に化ける。
 例えばあるメーカーが自社の工場を別法人化すれば人件費1億円と原材料費等の1億円が商品原価2億円に化ける。あるいは自社の社員で運営していた社員食堂を別法人化すれば全額が福利厚生費に化ける。
 人事部門は総務部門と近いからこの両者が結託すればこんなマジックはやり放題だ。しかしこれは支出項目上での人件費が減っただけでトータルでの収支は全く改善されていない。それどころか別法人化することで余分な経費が発生する。
 やたら子会社の多い企業は、管理部門が保身のために、こんな馬鹿馬鹿しいことをやっている。景気が悪くなってから子会社の統合が増えているのはこんな馬鹿なやりかたでは問題が解決されないことが誰の目にも明らかになったからだろう。もしそのことにさえ気付かないほど愚かな企業は間違いなく滅ぶ。

期待と失望

2009-02-03 13:12:52 | Weblog
 大きな期待は大きな失望を招く。最初から期待していなければ失望することは無い。期待に背かれた時に初めて「期待外れ」となって失望が生まれる。
 期待は時には幻想に近いレベルにまで高まる。こうなってしまっては期待に応えることは不可能だ。
 アメリカのオバマ大統領にはアメリカ国民は勿論、世界中から大きな期待が掛けられている。しかしこれは当のオバマ氏にとっては大いに迷惑なことだろう。この期待に応えることは到底不可能だからだ。
 どんなに有能な人物であろうと現在のアメリカが抱える問題を簡単には解決できない。サブプライムローン問題から広がった経済危機、イスラエルとイスラム諸国に絡む国際問題、アメリカの双子の赤字など難問は山積みだ。ブッシュ氏からオバマ氏に代わっただけで問題が解決されるとは到底考えられない。これらは諸問題が複雑に絡まっており個人が解決できるレベルではない。解決しようとすれば新たな問題が発生して二進も三進も行かなくなる。大岡裁きは不可能だ。
 高過ぎる期待は大きな失望を生む。いずれオバマ叩きが始まって「やはり黒人では駄目だ」という話にもなりかねない。もしかしたら人種差別者によるテロも起こるかも知れない。
 期待することは決して悪いことではない。しかし幻想としか思えないほど高過ぎる期待は必ずとてつもなく大きな失望に繋がる。