自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

知り合いのクルーズ船で踊りませんかと?

2023年10月24日 | なかま道志ベース

西田敏行さんの歌う「もしも ピアノが弾けたなら」です。

ふと、この曲を自分に当てはめたら、こんな風になりました。

もしも ピアノが弾けたらなら→「もしも お金があったらなら~

思いのすべてを歌にして   →「欲しいモノ すべてをものにして

きみに 伝えるだろう    →「自分の 満足感に浸るのだろう

雨は降る日は雨のように   →「雨の降る日は酒(いいちこ)を飲み

風吹く夜には風のように   →「風吹く夜も 好きな晩酌タイムで過ごすだろう

晴れた朝には晴れやかに   →「晴れた朝でも 朝酒はしません~

だけど ぼくにはピアノがない  →「だけど ぼくには年金だけで金がない

きみに聴かせる腕もない     →「誰かを喜ばせるような 金もない

心はいつでも半開き         →「気持ちはいつでも 中途半端だ~

伝える言葉が残される     →「伝える相手は 誰もいない~」

アア アー アア       →「アア アー アア 

残される           →「金がない~

*通帳見ても増えることはありません。(実はデジタル決済のため通帳がありません)

定年退職した時(60歳)にクルーズ船でダンスでも踊れればと思ったのが、一応に踊れるには10年かかると言われて、50歳前でしたがダンスを習うきっかけでした。

未だ、クルーズ船でのダンスは実現できていません。

*あるホテルでのダンスパーティーです。

そして、映画シャルウィーダンスではありませんが、約25年前のことです。恐るおそるダンス教室のドアーを開けると、やさしく迎えてくれたのが直子先生でした。先生は当時まだ新米?でプロ成りたてで20歳代前半だと思います。私が第1号の生徒になったのです。

その先生はダンススタジオから離れて、クルーズ船のアテンダントと船内でのダンス指導やダンスパーティーの担当になられたと聞いていました。

今は「にっぽん丸」や「外国船」で乗務しているようです。そんな思い出話しを直子先生と同僚でダンス仲間だった、今習っている砂穂先生に話したことがあります。

*私が一人レッスンの時は砂穂先生に習っています。

私の思いが伝わったのでしょう。25年ぶりに直子先生からラインが入りました。”yukiさんしばらくです 直子です~”と。

知り合いのクルーズ船のアテンダントから踊りませんか?と誘われました。

コロナも収まりつつあり「にっぽん丸」も運行しているので、クルーズ船でダンスタイムも再開したとのことです。直子先生が乗船する日を後日連絡くれるとのことです。

悩みます。だけど「ぼくにはお金がない」のです。

*普段、女房とのレッスンは男性先生に習っています。

以前もご紹介しましたが、約50年以上前に2週間の船旅をしたことがありました。

当時は学生で、米国(サンフランシスコ)まで飛行機より安い運賃でした。

もちろん、窓はなくエンジンルーム近くの3等船室です。周りはアジア系の移民する方が多くいました。ハワイまで7日間、サンフランシスコまで7日間です。それでも食事は2等客室と同じです。

それこそ50年前の新婚旅行では、東京から車で四国半周の旅でした。*東名高速が全線開通していないことです。

帰りは高知からサンフラワー号(カーフェリー)晴海ふ頭?までの特等船室での船旅でした。

ダンスをはじめてなんとか25年以上経ちますので、今ではまぁ~まぁ~踊れる方かも知れません。

なんとか工面して、クルーズ船でダンスを踊りたいものです。

♪ だけど ぼくにはピアノがない → 「だけど ぼくには夢がある~」

 

Hiro