西田敏行さんの歌う「もしも ピアノが弾けたなら」です。
ふと、この曲を自分に当てはめたら、こんな風になりました。
もしも ピアノが弾けたらなら→「もしも お金があったらなら~」
思いのすべてを歌にして →「欲しいモノ すべてをものにして」
きみに 伝えるだろう →「自分の 満足感に浸るのだろう」
雨は降る日は雨のように →「雨の降る日は酒(いいちこ)を飲み」
風吹く夜には風のように →「風吹く夜も 好きな晩酌タイムで過ごすだろう」
晴れた朝には晴れやかに →「晴れた朝でも 朝酒はしません~」
だけど ぼくにはピアノがない →「だけど ぼくには年金だけで金がない」
きみに聴かせる腕もない →「誰かを喜ばせるような 金もない」
心はいつでも半開き →「気持ちはいつでも 中途半端だ~」
伝える言葉が残される →「伝える相手は 誰もいない~」
アア アー アア →「アア アー アア 」
残される →「金がない~」
*通帳見ても増えることはありません。(実はデジタル決済のため通帳がありません)
定年退職した時(60歳)にクルーズ船でダンスでも踊れればと思ったのが、一応に踊れるには10年かかると言われて、50歳前でしたがダンスを習うきっかけでした。
未だ、クルーズ船でのダンスは実現できていません。
*あるホテルでのダンスパーティーです。
そして、映画シャルウィーダンスではありませんが、約25年前のことです。恐るおそるダンス教室のドアーを開けると、やさしく迎えてくれたのが直子先生でした。先生は当時まだ新米?でプロ成りたてで20歳代前半だと思います。私が第1号の生徒になったのです。
その先生はダンススタジオから離れて、クルーズ船のアテンダントと船内でのダンス指導やダンスパーティーの担当になられたと聞いていました。
今は「にっぽん丸」や「外国船」で乗務しているようです。そんな思い出話しを直子先生と同僚でダンス仲間だった、今習っている砂穂先生に話したことがあります。
*私が一人レッスンの時は砂穂先生に習っています。
私の思いが伝わったのでしょう。25年ぶりに直子先生からラインが入りました。”yukiさんしばらくです 直子です~”と。
知り合いのクルーズ船のアテンダントから踊りませんか?と誘われました。
コロナも収まりつつあり「にっぽん丸」も運行しているので、クルーズ船でダンスタイムも再開したとのことです。直子先生が乗船する日を後日連絡くれるとのことです。
悩みます。だけど「ぼくにはお金がない」のです。
*普段、女房とのレッスンは男性先生に習っています。
以前もご紹介しましたが、約50年以上前に2週間の船旅をしたことがありました。
当時は学生で、米国(サンフランシスコ)まで飛行機より安い運賃でした。
もちろん、窓はなくエンジンルーム近くの3等船室です。周りはアジア系の移民する方が多くいました。ハワイまで7日間、サンフランシスコまで7日間です。それでも食事は2等客室と同じです。
それこそ50年前の新婚旅行では、東京から車で四国半周の旅でした。*東名高速が全線開通していないことです。
帰りは高知からサンフラワー号(カーフェリー)晴海ふ頭?までの特等船室での船旅でした。
ダンスをはじめてなんとか25年以上経ちますので、今ではまぁ~まぁ~踊れる方かも知れません。
なんとか工面して、クルーズ船でダンスを踊りたいものです。
♪ だけど ぼくにはピアノがない → 「だけど ぼくには夢がある~」
Hiro