自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

認知症は他人事ではない!

2023年10月06日 | なかま道志ベース

*異常に暑かった今年の夏も秋を感じて来ました。もし、来年も同じとしたら体は持ちません。

友人から認知症に関することをシリーズで紹介したらと言われて、私の知り得る範囲で(時にはリアルなことも)、綴って見ました。

もう、私自身も片足は突っ込んでいるようにも感じますが、自分の経験として少しでも参考になればと思ってです・・・。

+++++++

*布袋草の花です。

さて、高齢者はどのような精神状態・身体状況であっても、長い人生を歩んできた歴史を持つ一人の人間として、その尊厳や家族の思いを護らねばならないと、認知症医の第一人者である長谷川先生は仰っています。

先生は認知症になって分かってきたっていうことは、認知症っていうのは、全く普通の人と同じことを考え同じ物の考え方をしてて決して型にはまった、ここからが認知症だっていう人は一人もいないと言うことです。

午前と午後で違うし、夕方になればまた違うし、朝になれば元へ戻る。

先生は、僕の人生っていうのはある時点から始まって、誰一人として僕と同じ生活史を持ってる人は、全国探しても居ないわけだよ。

あなたもそうですよ。あなた自身の生活歴を持ってる人は一人もいないでしょ。あなたしか持ってない貴重な体験をしていらっしゃる。

みんな一人一人違うわけだよな。一人として同じじゃない。一人しかいない。だから貴重な人間なんだよな。尊い人間なんだよな。一人一人が。誰もが。

だから、そういう尊い自分であるっていうことを自覚して、日々私たちは本当に感謝しなくちゃいけない

同じ目線に立つっていうことは、自分と同じ人なんだから、まず認知症の人と会って話をする時に、今日は何がしたいですか? 向こうの気持ちを聞いてあげなきゃいけない

やっぱり患者さんを診療した時に、恥ずかしいけども患者さんから教えられたことはたくさんある。なるほどそうだなって。

「ご存知のように夫婦だけ、年寄り同士ですから毎日顔合わせてると話題は無くなりますよ。ところが、この人(患者さん)は同じ質問をしますから、私は同じ答えをすればいいわけです。こんなに楽なことはありませんよ」って。

*ニラの花

認知症医療の第一人者である長谷川さん自身が「私は認知症です」と公表した。その勇気とともに、医師と患者、双方の立場から語る長谷川さんの経験談に、多くの患者さんやその家族が勇気づけられているのではないでしょうか。

 先生は認知症が「その人らしく生きていく」っていう、ひとつのきっかけになればね。みんながそういう対応してくれればね。毎日の暮らしが上手くいかなくなるっていうのは、最終的な、本質的な障害なんだよね。それを理解してあげればね。「大丈夫ですよ」って言ってあげるだけでもホッとするだろうしさ。

申し上げたとおり「暮らしの障害」なんだからね、お互いに心の絆っていうのを大切にして生活する。そしてその心の絆っていうのは、一人一人がみんな違うんだから、一人一人が尊い存在であり、一人一人が大切な存在であることをよく自覚して、そして、今、今の瞬間。過去はもうよし。今を大切にして、今何を自分ができるかっていうことを努力して、そしてそれを明日につなげる。未来につなげる。そういうことが、大切じゃないかと。

高齢化にともない、認知症患者の数は急増している。その数なんと600万人以上。65歳以上の高齢者の3人に1人が認知症かその予備群というデータもある。

大切な記憶が少しずつ失われ、人格が変わってしまう単純な計算や日常動作ができなくなり、妄想・徘徊・暴言などを繰り返すやがては家族の顔も、自分が誰なのかも分からなくなり、もうろうとしたまま寝たきりの最期を過ごす・・・

こんなイメージのある認知症だが、決して大げさな表現ではない。

できれば生涯認知症とは無縁のまま、人生の最後までハッキリと自分らしく過ごしたいというのは、人類共通の願いだろう。と長谷川先生は仰った。

*ここまでは、ある記者さんと長谷川先生とのやり取りの記事を引用させていただいています。

私の場合は、母が80歳の時にスポーツクラブの階段で転んでから、行動半径が小さくなり徐々にですが85歳を越えたころから認知症の症状が出てきました。

それと同時に、自分自身も薄々と感じていたのでしょう。自ら「私まだらボケみたい」と言いつつ、やはり症状は進んで行きました。夜昼が逆転し、夜中に家の中を歩き回りました。私に対して、「あんた!良く寝てたわね」と。

そのうち、世話をしている子どもたちに面倒をかけてはとケアマネさんと相談したり”デイサービスの施設を見てみたい”とか、機能回復施設も見学に行きました

やはり、自分には合わないと言いつつも、最終的には有料老人介護施設に見学して、翌日からお世話になりました。

入所し面会に行くと、やはり「帰りたいねぇ~」と言っていました。それは辛い言葉です。

一度は帰宅しましたが、縁側のソファーで私の膝の上で寝ていました。

有料介護施設では、利用者さんやスタッフの皆さんとも会話や生活感も合わずに、「適応障害」として、施設長から転所をしてくれと退所余儀なくされました。移った場所は精神障害を専門とする病院でした。この病院は終末まで面倒をみてくれるとのことです。

面会に行くと「よく来たね~」女房(嫁)に対しては「あんた いつもきれいだねぇ~、ダンスしているの?」*いつもそばで面倒見てくれる嫁と親子のように頼っていたのです。

私に対しては「まだ、働いているの?若く見えるよ!」。姉に対しては「あんた可愛いねぇ~」*100歳の親が80歳近い娘に「可愛いねぇ~」と言うことが認知症になっても親の気持ちなのでしょう。

いつしか、帰りたいとは口にしなくなりました・・・。

そして、100歳過ぎるまで6年間を病院で過ごし天命を全うしました。

認知症の親を持つ子どもたちも、いつ認知症と思われてよい年齢になって来ました。

これまでの認知症と向き合ってきた経験から、今を大切にして、今 何を自分ができるかを努力しながら、自然体で暮らせればと願っています。

 

Hiro