フィリピン国際結婚・菜の花の主婦日記goo版

南国フィリピン便りー結婚しフィリピン在23年。22才長女、20才息子、9才末娘のお母さんである私の毎日ー

乳がんで働きに来たメイドさん

2013年03月25日 03時57分51秒 | フィリピン人使用人関係


いよいよホーリーウィーク(聖週間)になりました。
桃ちゃんが試験前から毎日練習してきた器械体操大会も終わって
その記事も書きたいのですが、写真の整理がまだ出来ておらず・・(汗)。

また使用人のお話しです。



これは紹介所で面接中に撮ったもの。
彼女、面接の時には病気のことを一言も言いませんでした。

年齢は40才。
19才~8才の4人の子どもがいて、ご主人は別の女性が出来て別れたよう。
彼女の母親がブラカンというマニラ近郊で子ども達の面倒を見てくれてます。

彼女が言った言葉は

「私を雇って絶対に後悔させません。」
「何の仕事でも出来ます!」
「料理はフィリピン料理は作れますがそうじゃない料理でも教えてくれれば覚えます。」

明るく感じが良い雰囲気だったのですが面接中、給料でちょっと揉めました。

私は今回、お料理を覚えないうちは月給4000ペソ(9200円位)、お料理を覚えたら5000ペソ(11,500円位)に昇給したい、と言ったんですが、彼女は料理でも、掃除でも、子ども相手でも何でもするので5000ペソは譲れないと言ったのです。

忙しいのに彼女と3時間ほど話し、最後には私が折れて
こんなにやる気満々、自信満々なら使えるだろう、と思って5000ペソで雇ったのですが、
一緒に来るのかと思ったら

「実は昨日まで働いていた家でお年寄りの介護をして夜勤だったので寝不足なんです。
明日からの仕事にして下さい。」

と言われたのです。

仕方ない・・とその日は帰ったのですが
実際彼女を迎えに行くのも方向違いで一苦労。

お昼過ぎに当時はまだ働いていたカモメちゃんと学校が終わったばかりの桃ちゃんを連れて彼女を無事お迎え。
家に着いたのは午後4時頃。

初日で彼女も仕事について殆ど何も知らないにしても
メイドの部屋に入ったきり殆ど出て来ない。

あれ、おかしい・・と思い始めたのですが
まだ夜勤の後遺症なのか、まあ翌日働いてくれればいいか、と思ってその日はそのまま。

翌日、料理を教え始めるのですが要領が悪くて覚えられるのか不安になってきました。
やる気はあるのだけど。

すると夕方6時頃、突然、

「あの、話しがあるんです。
実は私、乳がんのサバイバー(survivor)なんです。
でも夜勤で働いていた家で食事もろくに食べさせて貰えなくて、
多分そのせいで足が腫れてるみたいなんです。
私の担当医に携帯テキストで聞いたら直ぐに診てくれると言うので行ってもいいですか?」

と言われました。

見ると本当に足首が2倍くらいの大きさ。
感染症で抗生物質を7日飲んだけど良くならないと。

サバイバーという言葉はかつて癌だったのが完治した時に使うのではないかと思うので私はこの時、そう解釈し、
足の感染はまた別のことと思いました。

ところが4日後に戻って来た彼女から話しを聞いてみると、
私の家を去ってから2日間、入院していたよう。

PGH(国立フィリピン総合病院でフィリピン大学医学部と直結している)の白カードを持っているので医療費も薬も無料なのですが、白カードを持っている人は多いので朝5時から並ばなくてはならず、ブラカンからPGHまでは遠いので携帯テキストで診ると言った医者が手配した救急車で行ったらしいです。

どうやらその医師はブラカンの政府系病院の医者らしく、PGHに行く場合はノータッチのよう。

癌病棟に行くと医者が直ぐに入院しろ、と言ったらしいけど
同行した長男も彼女も入院を断って自宅に戻り、その翌日、家に戻って来たのです。

その時に初めて彼女が医者が乳がんがあちこちに転移してると言ってると話しました。
体のあちこちが痛いらしく
長時間立っているのも辛く、料理などガスの熱なども良くないとかで料理も出来ません。

本当は仕事なんて出来ません・・。

それで家に戻って来た翌々日、お昼頃に彼女に辞めて欲しいと話しました。

桃ちゃんと同い年(8才)の息子さん、まだまだお母さんが恋しい年。
一緒に居てあげたらどうなのかな・・と言うと泣き出しました。

彼女、姉だか妹だかが日本人と結婚しており
そのご主人がお金を送ってくれるそうで、全く困ってるわけではないんです。

もちろんお金がある方がいいし、長男君が今、大学で職業実習に行っていて、後半年すれば働いてくれそうなので、それまで頑張りたいようなんですが、
一応、白カードを持っているので医療費の心配もないですし。

薬は入院中は無料でも外来だとくれるのは7日分でまた並ばなくてはならず自費で足したりもあるようですが
医療費が高いフィリピンで恵まれている方だと思うのです。

どうして仕事しているの?

と聞くと

「病気のことを忘れていたいから」

と答えました。

それはそうなんでしょうね・・・(涙)。

入院したくなかった理由を聞くと、入院すると痛い検査が多いし、
15才以下の面会謝絶というのがPGH癌病棟の規則なので8才の息子と14才の娘に会えなくなるからと言ってましたが、
だったら尚更、家に働きに戻るのではなく、子ども達と過ごすべきですよね。

足の腫れは引いていたんですが、彼女の医者はそれも癌のせいだと言ったとか。
尿酸が高いから腫れたとも言うのですが全く分かりません。
もう1つ、首にも転移したものがあるのですが医者が手術出来ない場所だ、手術すると脳腫瘍になるから、と言ったそう。

無料で治療を受けているのでそれがベストの治療ではないかもしれないですし。

ただ彼女、癌が転移するという解釈を全く違った捉え方をしていて
癌は体のあちこちを移動して歩く、今はここだけど、次はそこを離れて別の場所・・のように思ってるようです。
大きくなったら医者が柔らかくなる薬を入れて注射器で吸い出すと消える・・と言ってました。






これは桃ちゃんが撮ったらしくて私の携帯に入ってました。

桃ちゃんには本当に数日だけど優しくしてくれて桃ちゃんも喜んでいたんですが、
ただね・・

私はメイドさんが辞めると親しくなくてもやっぱり子どもは精神的な別れがあるので
必ずメイドさんには桃ちゃんに「さようなら」と理由を言ってもらっているので
彼女にも「桃ちゃんにさようなら言ってね」と言ってあったのです。

そして彼女がいよいよ出て行く時、

「さようなら言ってくれた?」

と聞くと

「ええ、キスしてくれたわ。」

と言うので驚いてしまいました。

桃ちゃんは8才なのでまだその辺は分かってないですし、
済んでしまったことは仕方ないので、そのメイドさんはもう辞めるので何も言いませんでした。

夜お風呂の時に桃ちゃんに聞くとやはりメイドさんが

「さよならのキスして」と言ったそう。

ほっぺたにキスしたそうなので口じゃなかっただけ良かったです。
桃ちゃんにはどんなメイドさんにも絶対にキスしたら駄目と言いました。

家には5日間居たんですが、その5日の最初の日は午後4時からですし、最後の3日は午後1時頃に戻って来て、翌々日のお昼過ぎに辞めてもらったので、実際には3日ちょっと家に居ただけです。

最後までやる気は満々だったんですが体がついていかない感じ。
お料理に関しては味の素や化学調味料を料理に入れるのが好きだって言ってたので
最後まで彼女には料理してもらいませんでした。

健康の大事さ、有り難さを彼女を通してひしひしと感じました。



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<どうでもいい菜の花家の食卓>



フランスの家庭料理の本で見たズッキーニのスフレ。
ズッキーニを茹でて、
予め作っておいたホワイトソースと一緒にフードプロセッサーにかけ、







卵黄を入れてさらに混ぜ、







卵白を泡立ててふっくら混ぜるだけ。







お好みのチーズを混ぜておきます。







ブルーチーズなどでも出来るようです。
大人気でした。お勧めです。









炊飯器のような形の電気揚げもの器で作るとたった12分で中はジューシー、外はパリっとしたフライドチキンが出来上がります1










烏賊が硬く仕上がってちょっと失敗。
でもパセリは美味しく頂きました。最近パセリにはまっています。