最近はいささか辛気臭い話題ばかりで恐縮だが、本当に「歳を重ねるということは、こういうことなのだ!」を強く思い知らされるようなことばかり続いている(ような気がしている)。もちろん両親は相当以前に先立っているが、一昨年には長兄が去り、今冬には次兄までが去ってしまった。そして、今月!合唱団の演奏会を終えた喜びもつかの間、長く親交をを重ねてきたS氏が急死した。私より6歳も若く、心情的には弟のように感じていた男であった。まさか私より先に逝くなどとは、夢にも思っていなかったことであり、驚きと寂しさは重くのしかかり、しばらくは何もする気がしないという状態が続いた(ている)。そして、最近は高校の同期で、すこぶる仲良くしている仲間二人の病(肺癌と脳梗塞)が発覚し、「コロナ禍が去った暁には、また集まろう!」の約束が難しい局面を迎えつつあるように感じている。何とも心寂しい思い募るばかりだが、これぞ人生というものなのでしょうね。
混声合唱団「樹」の10周年記念演奏会から2週間が過ぎた。10年一区切りで、そろそろ退け時か?の思いが浮かんでいる。これまで、「引き際の決断」の難しさを感じる場面を見てきた。たとえば、周りの意に反して本人はやる気満々、誰がいつどのようにしてご本人を説得するか?と悩む人たちがいたり。突然引退を宣言して周囲を困惑させたり等々色々だが、私は前者のパターンだけは避けたいと常日頃思っている。
遅れていたコロナワクチンの接種が、ようやく加速度的なスピードで進んでいるようである。オリンピック・パラリンピックが目前になりながら、依然として非常事態宣言下にあることを思うと、なぜもっと早くワクチンの接種を考えなかったのか?非常に残念である。ところで、自分の接種についてであるが、通知が来て即申し込んだのだが、あいにく掛かりつけの医院が接種を担当していないために、他に申し込んだところ、1回目が6月22日(火)、2回目が7月13日(火)となった。予期していたよりは遅い接種になるが期待して待つことにする。明日は、その病院へ行き妻との面会をする予定である。
人間、幾つになっても足りぬところがあるもので(私の場合)、先般、わが合唱団の敏腕事務局長から次のような指摘を受けた。「マネージメントの事は我々に任せていただけませんか、細かく指示されるのは不本意です」と。それからしばし考える時間を持った(その間にも1件余計なおせっかいをやらかしたが、、、笑)。何か良くないことを言ったか?等々、結果、良くないことを言った、言わないの問題ではなく、私の認識の問題であることに気づいたのである。現在のわが団における事務局体制は、ことあるごとに喧伝している通り素晴らしいスタッフが揃い、素晴らしい活動を行っている。その結果が、先の第2回定期演奏会(10周年記念)の成功であった。そんな優れた人たちに、私がマネージメントに関していちいち口出しをするということ、そのこと自体が雑音であり騒音になるということに気が付いた。以下、言い訳がましくなるが一言述べるならば、私の認識不足であることには間違いないのだが、私の合唱指導者としての経験不足があった。それは、私の指導者としての経験のほとんどが高校生であり、大学生であったこと。そして、現在は成熟した社会人の合唱団であること。前者の場合は、合唱指導者であり顧問という立場で、何から何まで目配り気配りすることが身に沁みついてしまっていた。当然、学生とは違うという認識はあったとしても、ついつい踏み込むべきではない領域にまで口を出してしまっていた。誠に、自らの不明を恥じるものであり、今後十分心して臨む所存である。
追伸:教師経験の長い人ほど陥りやすい傾向があるやもしれません(自戒)。
どうも政治の世界には腑に落ちないことが多すぎるようだ。たとえば前政権の数々の疑惑などが何一つ解決しないまま時が過ぎている。「今さえしのげば、国民はそのうちに忘れる。」という思惑通りに事が運んでいるようだ。これは言ってみれば、国民を馬鹿にしている、舐めている、と言うことであろう。その国民がおとなしいから、相当に乱暴な法案さえスンナリ通過してしまう。国民の政治離れ、無関心、などが政治の腐敗を野放しにしているとさえ言えよう。若者は成人式やハロウインで大騒ぎはするが、政治には無関心派が多そうだ。はたして、世の老人たちは、私のように怒っている人はいるのであろうか?