今朝がた、うとうとしながら、ふと何かが分かったように思った。
以前、「神様はストレスを感じない」というブログを書いたことがある。
神様は、何事も、嫌だな、と思わないからストレスを感じない、とそんなことを書いた。
つまり、神様は、人から馬鹿にされても、罵られても、パワハラを受けても、仲間はずれにされても、自分にだけ嫌な仕事を押し付けられても、無視されても、独りぼっちでも、孤立してても、ストレスを感じたりしないのだと思う。
神様の心はいつも平和で、傷ついたり、ショックを受けたり、不安になったりしないのだと思う。
普通の人なら、あの人のせいで自分が傷ついた、とか、会社が悪いからとか、周りが仲間はずれにするから、とか、他人や周りのせいにする。
しかし、神様は、すべての苦しみは自分の心が作ったものだと知っているので、普通の人がストレスに感じることもストレスに感じないのだ。
例えば、人の嫌がる仕事も楽しんでやり、馬鹿にされても心は平和でいられ、傷つけようとしても傷つかないのだと思う。
人から悪口を言われたとき、そのことによってストレスを自分が感じるかどうかは、自分の選んだ結果だからだ。
ということは、自分がストレスに感じること、嫌だなと思う事、傷つくこと、それらすべてが、自分の学ぶべきこと、改善しなければならない事だったのだ。
嫉妬したとき、心が痛んだ時、嫌な気持ちになったとき、それこそが、お前の学ぶべきことはそれなんだよと魂が教えてくれている。
なぜ傷つくのか、なぜ心が痛むのか、その理由をよーく考えてみることだ。
傷つけたり、どなったり、仲間外れにしたり、無視する人は、相手を自分のレベルに持ってこようとしているのだ。
なので、傷ついたりストレスを感じたら、相手の思うツボなのである。
あの人が間違っている、あの人が悪い、と以前私は思っていたが、あの人だってこの人だって、自分が正しいと信じ込んで、今回の人生を自分のレベルなりに生きているのだ。
あるのは、魂のレベルが未熟かそうでないかの違いだけなのだ。
なので、そのことを本当に理解できると、ストレスもかなり減っていくのではないかと思う。
無視する人、傷つける人、仲間はずれにする人、パワハラをする人、どなる人、馬鹿にする人などは、魂がまだ未熟なのであり、これから気の遠くなるほど輪廻転生し、年月をかけて学んで成熟していく人なのである。
そんな未熟な魂の持ち主を温かい目で見られるようになりたいものである。