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奈良のむし探検

奈良に引っ越しました。これまでの「廊下のむし探検」に倣って「奈良のむし探検」としましたが、動物・植物なんでも調べます。

洞泉寺見学

2023-06-06 21:15:40 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第826弾


5月21日に大和郡山市にある洞泉寺に行ったときの記事を出し忘れていました。奈良県のHPによると、洞泉寺は郡山城主だった豊臣秀吉の弟秀長が1585年に創建したと言われています。



いつも門が締まっていて、中には入れなかったのですが、この日はどうしたことか開いていたので、中に入ってみました。



内部は広く、右手に本堂がありました。





これは本堂です。



扁額には「洞泉寺」と書かれていました。この中には鎌倉時代快慶の作と伝わる本尊の木造阿弥陀如来および両脇侍立像が安置されているのですが、予約しないと拝観できないので、次回のお楽しみにします。



境内には竹で柵が作られた建物がありました。





扁額には「源九郎天 仮本殿」と書かれています。どうやら源九郎稲荷神社と関係があるようです。ネットで探してみると、源九郎稲荷神社の宮司さんがいなくなった時期があり、神社が荒廃していたのですが、それを復興された語り部の方たちの活動を書いたホームページが見つかりました。そこに由緒が書かれていました。豊臣秀長が郡山の守護神となる神様を望んでいたのですが、長安寺町に住む宝譽上人の夢に源九郎と名乗る老人が現れ、郡山の南に御堂を建て、荼枳尼天を祀れば守護神になろうというので、御堂を建て、宝譽上人自ら像を彫り、御堂に納めて勤行に励んだとのことです。おそらくその御堂がこの建物なのでしょう。





もう一つ、小さな建物がありました。ここには、「光明皇后勅願 垢かき湯舟地蔵尊」と書かれています。



建物の写真を撮っていたら、お寺の方が開けましょうといって開けてくださいました。



内部の写真です。



奥には湯舟に入ったようなお地蔵さんが置かれていました。



手前のこの石は何でしょう。







せっかくなので、あちこち、写真を撮っておきました。



江戸時代の地図を見てみると、洞泉寺は現在の源九郎稲荷神社や周辺の建物も含めたかなり広い境内を持っていました。先ほどの垢かき湯舟地蔵尊の裏側が現在では駐車場になっているので、そちらに回ってみました。これが建物の裏側です。





こちらは源九郎天仮本殿の裏側と横から扁額を撮ったものです。





この駐車場にはいろいろな碑がありました。これは「源九郎吒枳尼天」と書かれ、大阪源九郎会が建てた碑のようです。吒枳尼天は荼枳尼天のことだそうです。Wikipediaを見ると、荼枳尼天はインドのダーキニーという神で、裸身で虚空を駆け、人肉を食べる魔女だそうです。



ここには「春埼大明神」と書かれた碑がありました。郡山春山講が建てたようです。



そして、最後は「黒長龍神」と書かれていました。