奈良散策 第833弾
6月1日、率川神社、傳香寺にお参りに行った後、三条通りに面している開化天皇陵に行き、その後、やすらぎの道に面した漢國神社にも行ってみました。そのときの写真です。
近鉄奈良駅に近く、三条通りに面したところに開化天皇陵がありました。開化天皇は第9代天皇で、これまでの都から離れた春日の率川宮に都を造りました。それにしても、こんな町の真ん中に立派な前方後円墳があるのは驚きです。ただ、近くの念仏寺が所蔵する絵図によると、文久時代に大幅な修陵がなされて、現在のような形になったようです[1]。それまでは弘法山と呼ばれ、山の上にはお寺の建物やお墓などが造られていました。この当時、開化天皇陵だとされていたのは頂上付近の狭い場所だったようです。それが、文久になると、建物やお墓はすべて撤去させられ、現在のような大きな陵墓になったとのことです。
[1] 服部光真、「奈良念仏寺所蔵の「開化天皇陵」関係絵図」、画像史料解析センター通信 No. 98 (2022)。
この後、「やすらぎの道」に面した漢國(かんごう)神社に行きました。通りにいきなり鳥居があるので驚きです。
扁額には漢國神社となっています。
鳥居の横には京都菓子協会が建てた林神社の石碑が立っていました。
これが漢國神社の入り口です。「寺院神社大辞典 大和・紀伊」によると、推古天皇の世に大三輪君白堤が春日邑の率川(いさがわ)と坂岡に社を建て、媛蹈鞴五十鈴媛命と大物主命を祀ったとされています。つまり、率川神社と対をなす神社ということのようです。ただし、延喜式神明帳には率川神社は載っているのですが、漢國神社は載っていません。それで、神明帳に載っている「狭岡神社」がそれではないかと言われています。というのは、漢國神社はもともと「率川狭加岡神社」と言われていたので、「狭岡神社」となったのではと考えられるからです。ただし、狭岡神社は奈良市法蓮町に別にあるためややこしくなっています。
門をくぐるとなぜか「源九郎稲荷神社」がありました。源九郎稲荷神社は大和郡山にある神社です。どうしてここにもあるのかよくわかりません。
その奥に鳥居がありました。
鳥居をくぐると手水舎がありました。
そして、これが本殿です。説明によると、桃山時代の作と言われているそうです。
これは横から撮ったところです。
こんな金具がありました。
周辺には摂社が並んでいるのですが、ほぼ一周回ったところに林神社がありました。
この神社は饅頭の神社として有名です。「寺院神社大辞典 大和・紀伊」によると、饅頭の元祖と伝えられる林浄因やその子孫の林宗二を祀っているとのことです。林浄因は室町時代に来日し、この近くに住んでいたとされています。林浄因が中国から持ち込んだ饅頭は肉が入っていたので、小豆で餡を作って入れた新しい饅頭を考案し、お茶と一緒に食べることにしました。それで饅頭が全国に広がったとのことです。4月19日に製菓業者による饅頭祭が行われるそうです。
神社の中には徳川家康の鎧がありました。大阪陣の際、木津の戦いに敗れた家康がこの漢國神社に逃げ込み、九死に一生を得たというので、鎧を奉納したとのことです。本当かなと思ったのですが、この写真のものは複製で、実物は奈良国立博物館に出陳中ということで、どうやら本物のようです。
最後は近くにいた長毛系の猫でした。率川神社では6月17日に三枝祭が開かれるのですが、漢國神社でも同じ日に三枝祭が行われ、箸と包丁だけで鯛をさばくという「式包丁」が開かれるとのことです。