久々に「多摩に散歩」をしてきました。
今回は西国分寺です。と言うからには「武蔵国国分寺」が必然的にメインとなります。
線路沿いにはJRがこんなしゃれたこともしていました。なかなかやるもんです。
西国分寺の南口に出て、まっすぐ史跡通りを歩いていった突き当りに現れてくるのが最初の目的地の「武蔵台遺跡公園」です。
この遺跡公園にはその名の通り遺跡が置かれているのですが、その遺跡は国分寺の関連のものではなく、それよりはるか昔、今から
約4000年前の縄文時代の遺跡です。
近くの遺跡で発掘された住居跡(敷石住居)を発掘されたままの状態でこの公園に移し替えたそうです。
この遺跡公園の武蔵野線の線路寄りに下り坂があってそこには下の立札?が置かれています。
そう、この武蔵野線に沿った細い道こそは「旧鎌倉街道」です。
そんなに長い距離ではありませんが、一瞬現実を忘れさせてくれて自然の中に迷い込んでしまったような気がしますが、ほどなく
武蔵野線の電車の走る音が聞こえてきて現実に戻されます。
この旧鎌倉街道を下っていくと次の目的地である「国分尼寺跡」にぶつかります。
武蔵国国分尼寺跡は今は礎石しか残っていませんがかなりの規模だったことをうかがわせてくれます。
この国分尼寺と国分寺とは、現在武蔵野線と府中街道を挟んで向かい合っていますが、奈良時代に建立された当時も
東山道武蔵路という広い古代道路を挟んで向かい合っていたそうです。
国分尼寺跡から武蔵野線のガ-ド下をくぐって反対側に出て府中街道を渡ったすぐのところに資料展示室があったので
ちょっと寄ってみました。
to be continued
今回は西国分寺です。と言うからには「武蔵国国分寺」が必然的にメインとなります。
線路沿いにはJRがこんなしゃれたこともしていました。なかなかやるもんです。
西国分寺の南口に出て、まっすぐ史跡通りを歩いていった突き当りに現れてくるのが最初の目的地の「武蔵台遺跡公園」です。
この遺跡公園にはその名の通り遺跡が置かれているのですが、その遺跡は国分寺の関連のものではなく、それよりはるか昔、今から
約4000年前の縄文時代の遺跡です。
近くの遺跡で発掘された住居跡(敷石住居)を発掘されたままの状態でこの公園に移し替えたそうです。
この遺跡公園の武蔵野線の線路寄りに下り坂があってそこには下の立札?が置かれています。
そう、この武蔵野線に沿った細い道こそは「旧鎌倉街道」です。
そんなに長い距離ではありませんが、一瞬現実を忘れさせてくれて自然の中に迷い込んでしまったような気がしますが、ほどなく
武蔵野線の電車の走る音が聞こえてきて現実に戻されます。
この旧鎌倉街道を下っていくと次の目的地である「国分尼寺跡」にぶつかります。
武蔵国国分尼寺跡は今は礎石しか残っていませんがかなりの規模だったことをうかがわせてくれます。
この国分尼寺と国分寺とは、現在武蔵野線と府中街道を挟んで向かい合っていますが、奈良時代に建立された当時も
東山道武蔵路という広い古代道路を挟んで向かい合っていたそうです。
国分尼寺跡から武蔵野線のガ-ド下をくぐって反対側に出て府中街道を渡ったすぐのところに資料展示室があったので
ちょっと寄ってみました。
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