多摩に散歩、今回は三鷹でございます。
諸般の事情で何かと行くことが多くなった三鷹。折角なのでうろうろしてきました。
まずは三鷹駅南口の中央通りです。
ここは三鷹駅前の中心の通りですが、通り沿いには三鷹ゆかりの文人の碑がいくつか設置されています。
一つ目は戦前から終戦直後まで三鷹に住んでいた「路傍の石」などで有名な山本有三の碑。
碑には山本有三の「生きとし生けるもの」の一文が刻まれています。
この世にいきているものは、
なんらかの意味において、
太陽に向かって
手をのばしていないものは
ないと思います。
次は昭和の初めから亡くなるまで40年三鷹で過ごした三木露風の「赤とんぼの碑」。
あの「夕焼け小焼けの赤とんぼ・・・」の作詞家です。
3つ目は三鷹市の名誉市民でもある武者小路実篤の「人間万歳」の碑。
碑に刻まれている文字は細かく、また薄くて老眼鏡を忘れた私には読み取れませんでした。
最後は、1930年代を通して三鷹に住んでいた太宰治の碑。
亀井勝一郎の「無頼派の祈り-太宰治」の中の太宰治が三鷹市下連雀に住んでいた頃の様子を
記した一文が刻まれています。
次に玉川上水に沿ってぶらぶらしてみました。
「風の散歩道」です。まわりは都市化されていて、玉川上水とその両側だけが自然状態という、一種違和感の
ある自然がそこにありました。
でも、こういうところをぶらぶら歩くのは気持ちいいです。
ここをしばらく歩いていくと、住宅側の歩道に一つの碑があります。
大きな石と「玉鹿石(ぎょっかせき)」と刻まれた碑があるだけで何の説明もありません。
しかしこれこそは、昭和23年6月、太宰治が心中を図った際に入水をしたとされる場所を示す
無名碑だそうです。
諸般の事情で何かと行くことが多くなった三鷹。折角なのでうろうろしてきました。
まずは三鷹駅南口の中央通りです。
ここは三鷹駅前の中心の通りですが、通り沿いには三鷹ゆかりの文人の碑がいくつか設置されています。
一つ目は戦前から終戦直後まで三鷹に住んでいた「路傍の石」などで有名な山本有三の碑。
碑には山本有三の「生きとし生けるもの」の一文が刻まれています。
この世にいきているものは、
なんらかの意味において、
太陽に向かって
手をのばしていないものは
ないと思います。
次は昭和の初めから亡くなるまで40年三鷹で過ごした三木露風の「赤とんぼの碑」。
あの「夕焼け小焼けの赤とんぼ・・・」の作詞家です。
3つ目は三鷹市の名誉市民でもある武者小路実篤の「人間万歳」の碑。
碑に刻まれている文字は細かく、また薄くて老眼鏡を忘れた私には読み取れませんでした。
最後は、1930年代を通して三鷹に住んでいた太宰治の碑。
亀井勝一郎の「無頼派の祈り-太宰治」の中の太宰治が三鷹市下連雀に住んでいた頃の様子を
記した一文が刻まれています。
次に玉川上水に沿ってぶらぶらしてみました。
「風の散歩道」です。まわりは都市化されていて、玉川上水とその両側だけが自然状態という、一種違和感の
ある自然がそこにありました。
でも、こういうところをぶらぶら歩くのは気持ちいいです。
ここをしばらく歩いていくと、住宅側の歩道に一つの碑があります。
大きな石と「玉鹿石(ぎょっかせき)」と刻まれた碑があるだけで何の説明もありません。
しかしこれこそは、昭和23年6月、太宰治が心中を図った際に入水をしたとされる場所を示す
無名碑だそうです。
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