旧甲州街道にしては狭い苔むした坂を登っていきました。
道の踏み跡からあまり人が通らない道の様でした。
矢坪坂の古戦場跡へ(旧甲州街道ラン)
途中の神社の名前が気になりました。
武甕槌神社(タケミカヅチジンジャ)
別称:鹿島神、鹿島大神、鹿島大明神
鹿島神宮や香取神社の主神で雷神、かつ剣の神だそうです。
さらに、先を進みます。
この先に難所の座頭転ばしがあるはずです。
座頭転ばしに向かう
とくに、これといった難所がありません。
あれっ、・・・?
写真の手前の場所で道は僅かに二股に分かれています。
二股部分はかなり雑草が生い茂り、よく見ないとわかりません。
左の方が明瞭な道ですが、一般道に出てしまいます。
(わずかに右の雑草の中に進むのが正解です。)
自分は、この雑草の中の道に気がつかず左に降りてしまい、スマホのGPSで自分の位置を確認したところ、旧道との差があり、道を間違えたことに気がつきました。
間違えちゃった場面
降りた道路で近くに住むオバチャンに聞いたところ、先ほどの写真の処で間違えたことを教わりました。
この先が座頭転ばしの様です。
「道が荒れていて、やぶ蚊が多いから剥き出しの脚じゃ蚊の餌食だよ」
と言われ、ワラーチでなくズック、そして雨具のズボンをはくことにしました。
道はさらに狭くなり、どんどん荒れてきます。
座頭といえば、どうしても、この荒れた道を歩く座頭市が脳裏に浮かんでしまいます。
嗚呼、カッコいい!!!!!
そして、これが俺の歩いた座頭転ばしです!
座頭転ばし
そして、一般道に出たのでした。
なんだか、立派なお宅です。
元庄屋の家のようで、尾張徳川家の定宿だったようです。
門に説明の紙が貼ってありましたが、説明が多すぎて読む気にならず、とりあえず写真を撮りました。
参勤交代のことが書いてありますが、あの座頭転ばしを通ったんでしょうかね?
特に紀州の殿様じゃ、御三家で大行列のはずでしょうから、通過するだけで大変なことだったと思います。
風呂桶や雪隠なんかも運んだみたいですが、担いであそこを通れるんですかね?
標高510mの高い場所にある犬目宿です。
人がいません。
この宿外れから見る富士は絶景で「犬目の富士」と呼ばれていて、北斎や広重も富士を描いています。
義民『犬目の兵助』の生家跡
江戸時代後期の一揆指導者のようです。
洒落た名前で形も美しい恋塚一里塚(江戸日本橋から21番目)
得体のしれない人形たちを発見!
下鳥沢宿
鳥沢宿は江戸側から下宿と上宿の分けられ両宿合わせた町の長さが1.2kmらしいですから、大きな宿場ですね。
鳥沢駅で今回は終点としました。
どこに駅があるのかわからない駅前広場です。
駅の周囲には銭湯はもちろんですが、お酒がのめるようなところはありませんでした。
そこで、またまた八王子駅にて途中下車し、お風呂とお酒を呑んだのでありました。
以上は、2019年7月15日(月)の記録でした。
次は7月21日で鳥沢宿から笹子峠手前の阿弥陀海道宿の旅ランになります。
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