朝は曙、薄暗い時間から起きて、近くの駅からJR中央本線の始発で鳥沢駅に向かうことにしました。
こんな時間だというのに、出発駅のホームで酔っ払いが寝ていました。
始発前のホームにいるということは、この近くで飲んでいて夢うつつの状態でなんとか始発に乗ろうとしたのでしょう。
ただ、駅ホームに着いたとたん、安心して気が抜け寝てしまったに違いありません。
あそらく始発には乗れず、駅員に起こされるまでは寝たままでしょうね。
自分は、こういう人を見て迷惑だと思ったことは一度もありません。
むしろ、そこまで酔いつぶれてしまったのは「とても辛い何か」があったのかなぁ、と思ってしまいます。
すべてを忘れて、「今は寝てしまえ」と思います。
自分だって、そうなることはあります。
辛いときに、突然、フイっとミニ蒸発して、ひとり旅ランすることもありますよ。
なんだか、河島英五の「酒と泪と男と女」の調べが浮かんできますね。
嗚呼、いい歌だなぁ。
無人の鳥沢駅で降りたのは自分ひとりでした。
駅の周りにも誰もいません。
まず、朝飯を取るために、どこかのコンビニを目指して走り出しました。
駅前に天狗のお面が飾ってある気になる廃店舗がありました。
美術品商のようです。
この隅っこの小ウィンドウにはかつて古民芸品や骨董品が置かれていたのですかね。
すぐセブンが見つかりました。
コーヒーとサンドウィッチで軽く食事をして、再び出発です。
セブンの前の町並みはかつての下鳥沢宿の名残がありました。
そういった街並みが延々と続いていました。
鳥沢宿は上鳥沢宿と下鳥沢宿があり、それぞれ約685m、495mあって、長い宿場町です。
次の宿場は猿橋宿なのですが、気がついた方もいるでしょうか?
犬目→鳥沢→猿橋というふうに十二支の逆並びの宿場名になっています。
旧甲州街道は途中で写真矢印の方へ国道から一旦分かれていきます。
そして、再び国道に戻るのですが、戻る前の道の状態が写真のようなありさまで、急こう配の下りです。
自分はそこでスリップして転んでしまい、足の指先を切ってしまい、先々が思いやられると思って、ワラーチからシューズに履き替えました。
国道に出たと思ったら、旧街道はすぐ、国道から外れる様でした。
こんな狭くて薄暗くてスリップしそうな所行くのかと思い、旧甲州街道のアプリとGPSによる現在地を何度も見直し、他に道はないかと辺りを探索しましたが、やはり、写真矢印の方に下るようでした。
ドンドン道は荒れていて、ある程度までは頑張りましたが諦めました。
これ以上行ってもまたケガをするだけだと判断し、国道沿いに走って、どこかで旧道に戻ることとしました。
国道沿いに、写真のようなウルトラマンとアンパンマンのお店がありました。
遊漁券の販売所の様です。
旧道は外れましたが、このような面白い店をみると多少、下がり気味のテンションが戻ります。
猿橋宿に着きました。
想像していたより幅広い木造の橋でした。
しかも、木造ですから、歩けばミシミシ音がした理、揺れたりするのではないかとおもいましたが、全くなくて頑丈でした。
しかも、川の水面よりもかなり高い位置に架けられた立派なものです。
猿橋
---------
以下、ウィキペディアより
概要
江戸時代には「日本三奇橋」の一つとしても知られ、甲州街道に架かる重要な橋であった。
(中略)
長さ30.9メートル、幅3.3メートル。水面からの高さ31メートル。深い谷間のために橋脚はなく、鋭くそびえたつ両岸から四層に重ねられた「刎木(はねぎ)」とよばれる支え木をせり出し、橋を支えている。
(中略)
猿橋が架橋された年代は不明だが、地元の伝説によると、古代・推古天皇610年ごろ(別説では奈良時代)に百済の渡来人で造園師である志羅呼(しらこ)が猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て造られたと言う伝説がある。「猿橋」の名は、この伝説に由来する。
(中略)
1902年(明治35年)に中央本線の鳥沢 - 大月間が開業した際には猿橋の脇を通っていたため、列車内から橋が眺められた。しかし、1968年(昭和43年)梁川-猿橋間複線化の際に途中駅の鳥沢駅から新桂川鉄橋で桂川を渡り、猿橋駅に至る南回りのルートに変更されたため、列車内から橋を眺めることはできなくなった。
---------
本当の意味で、木造だけで現存する刎木を使った橋は日本にはもうないようです。
この猿橋は、鋼製の橋桁に木材を貼り付けて江戸時代の構造を復元したものだと後で知りました。
だから、揺れず、丈夫なんですね。
写真は猿橋から見た廃線になっているJR中央線
旧甲州街道、猿橋を渡る
下から見上げた猿橋
図面は木の構造物・猿橋よりお借りしました。
美しい構造です。
歌川広重
猿橋宿
次は小さな宿場町の駒橋宿に向かいます。
(つづく)
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始発前のホームにいるということは、この近くで飲んでいて夢うつつの状態でなんとか始発に乗ろうとしたのでしょう。
ただ、駅ホームに着いたとたん、安心して気が抜け寝てしまったに違いありません。
あそらく始発には乗れず、駅員に起こされるまでは寝たままでしょうね。
自分は、こういう人を見て迷惑だと思ったことは一度もありません。
むしろ、そこまで酔いつぶれてしまったのは「とても辛い何か」があったのかなぁ、と思ってしまいます。
すべてを忘れて、「今は寝てしまえ」と思います。
自分だって、そうなることはあります。
辛いときに、突然、フイっとミニ蒸発して、ひとり旅ランすることもありますよ。
なんだか、河島英五の「酒と泪と男と女」の調べが浮かんできますね。
嗚呼、いい歌だなぁ。
無人の鳥沢駅で降りたのは自分ひとりでした。
駅の周りにも誰もいません。
まず、朝飯を取るために、どこかのコンビニを目指して走り出しました。
駅前に天狗のお面が飾ってある気になる廃店舗がありました。
美術品商のようです。
この隅っこの小ウィンドウにはかつて古民芸品や骨董品が置かれていたのですかね。
すぐセブンが見つかりました。
コーヒーとサンドウィッチで軽く食事をして、再び出発です。
セブンの前の町並みはかつての下鳥沢宿の名残がありました。
そういった街並みが延々と続いていました。
鳥沢宿は上鳥沢宿と下鳥沢宿があり、それぞれ約685m、495mあって、長い宿場町です。
次の宿場は猿橋宿なのですが、気がついた方もいるでしょうか?
犬目→鳥沢→猿橋というふうに十二支の逆並びの宿場名になっています。
旧甲州街道は途中で写真矢印の方へ国道から一旦分かれていきます。
そして、再び国道に戻るのですが、戻る前の道の状態が写真のようなありさまで、急こう配の下りです。
自分はそこでスリップして転んでしまい、足の指先を切ってしまい、先々が思いやられると思って、ワラーチからシューズに履き替えました。
国道に出たと思ったら、旧街道はすぐ、国道から外れる様でした。
こんな狭くて薄暗くてスリップしそうな所行くのかと思い、旧甲州街道のアプリとGPSによる現在地を何度も見直し、他に道はないかと辺りを探索しましたが、やはり、写真矢印の方に下るようでした。
ドンドン道は荒れていて、ある程度までは頑張りましたが諦めました。
これ以上行ってもまたケガをするだけだと判断し、国道沿いに走って、どこかで旧道に戻ることとしました。
国道沿いに、写真のようなウルトラマンとアンパンマンのお店がありました。
遊漁券の販売所の様です。
旧道は外れましたが、このような面白い店をみると多少、下がり気味のテンションが戻ります。
猿橋宿に着きました。
想像していたより幅広い木造の橋でした。
しかも、木造ですから、歩けばミシミシ音がした理、揺れたりするのではないかとおもいましたが、全くなくて頑丈でした。
しかも、川の水面よりもかなり高い位置に架けられた立派なものです。
猿橋
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以下、ウィキペディアより
概要
江戸時代には「日本三奇橋」の一つとしても知られ、甲州街道に架かる重要な橋であった。
(中略)
長さ30.9メートル、幅3.3メートル。水面からの高さ31メートル。深い谷間のために橋脚はなく、鋭くそびえたつ両岸から四層に重ねられた「刎木(はねぎ)」とよばれる支え木をせり出し、橋を支えている。
(中略)
猿橋が架橋された年代は不明だが、地元の伝説によると、古代・推古天皇610年ごろ(別説では奈良時代)に百済の渡来人で造園師である志羅呼(しらこ)が猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て造られたと言う伝説がある。「猿橋」の名は、この伝説に由来する。
(中略)
1902年(明治35年)に中央本線の鳥沢 - 大月間が開業した際には猿橋の脇を通っていたため、列車内から橋が眺められた。しかし、1968年(昭和43年)梁川-猿橋間複線化の際に途中駅の鳥沢駅から新桂川鉄橋で桂川を渡り、猿橋駅に至る南回りのルートに変更されたため、列車内から橋を眺めることはできなくなった。
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本当の意味で、木造だけで現存する刎木を使った橋は日本にはもうないようです。
この猿橋は、鋼製の橋桁に木材を貼り付けて江戸時代の構造を復元したものだと後で知りました。
だから、揺れず、丈夫なんですね。
写真は猿橋から見た廃線になっているJR中央線
旧甲州街道、猿橋を渡る
下から見上げた猿橋
図面は木の構造物・猿橋よりお借りしました。
美しい構造です。
歌川広重
猿橋宿
次は小さな宿場町の駒橋宿に向かいます。
(つづく)
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