朝から雨の模様でした。
Lineのグループネット上で、「あのぉ~、雨だけど・・・」の文字が
ですが、天気予報では走り始めるころから雨がやみ徐々に回復傾向でした。
晴れ男の会長が参加するのですから、間違いなく快晴になると思いました。
ということで、予定通り、
「よっしゃぁっ、いくぞ!」
と決行したのでありました。
そして、金町駅10時集合…( ゚Д゚)
そこは、まさかの雨、雨、雨…
多分、雨
まあ、少したてば止むんじゃないかと、しばし様子をみておりましたが、
ますます、雨、雨、雨…
ということで、
「シャワーランじゃぁ、濡れていこう!」
とばかり出発したのでした。
カッパ着てると蒸しあちぃ!!
水元公園に着いた頃には、ほぼ雨は止みました。
やっぱねぇ~!
時計回りに水元公園を廻りました。
遠目には池に浮かぶテッシュかと見間違う白い睡蓮ですが、近くで見ると綺麗です。
。生きている化石、メタセコイアの森
ものすごく高い樹でジュラシックパークの世界のようです。
注)メタセコイアとは(ブリタニカ国際大百科事典より)
---------
スギ科の落葉高木。アケボノスギともいう。化石学者三木茂が 1941年に日本産の化石を規準標本として,スギ科の新属としてメタセコイア属を創設し,その化石に M. distichaと命名した。このメタセコイア属の植物は,当時絶滅したものと推定されていたが,46年に中国四川省の磨刀渓でメタセコイアの現生種が発見され,「生きている化石」として学界の注目をひいた。湿地に生えているので中国名は水杉という。小さな線形の葉を羽状に密に対生し,落葉するときはヌマスギと同様に枝ごと落ちるので一見羽状複葉のようにみえる。球果,鱗片および葉がいずれも十字対生をする点で従来のスギ科のものと異なり,挿木によって簡単にふえ,生長が速いので現在は世界各地で栽培されている。
---------
水元大橋にて記念撮影
バードサンクチュアリでは音を立てないように気を使って見学
だから、シャッター音をたてないように写真がありません。
大きな鳥が何匹も・・・
多分、川鵜じゃないかな?
菖蒲園はもう、最盛期を過ぎてました。
今年は季節の移り変わりが半月ぐらいは早いです。
ここから、南蔵院の「しばられ地蔵」に立ち寄りました
以下、日本伝承大鑑より
---------
水元公園の近くにある南蔵院は、関東大震災で罹災したため現在地に移転してきたが、かつては本所(現在の墨田区)にあった寺院である。この境内にある「しばられ地蔵」は、荒縄で地蔵を縛ることで願いを叶えてもらうという、奇妙な信仰が今でも続いている。その風習の由来とされるのが『大岡政談』に収められた「縛られ地蔵」の逸話である。
日本橋のある呉服商の手代が荷車に反物を積んで南蔵院の前で休憩をしていたが、うっかりそのまま居眠りをしてしまった。起きてみると荷車ごと反物を盗まれていた。奉行所に訴えると、町奉行・大岡越前は「門前にいながら、盗人の所業を一部始終見ていただけの地蔵も同罪である。引っ立てよ」と命じる。そして地蔵は縄を掛けられて市中引き回しの上、南町奉行所に連れて行かれたのである。
あまりに不思議な裁きであるため、多くの人々がぞろぞろと地蔵のあとを追って、そのまま奉行所の中にまで入ってしまった。すると越前は門を閉じて「奉行所に勝手に入るとは不届き千万。科料として各人反物を一反差し出すこと」と野次馬を叱りつけたのである。そうして集められた反物を手代に見せると、その中に盗まれた反物が一つまざっていた。奉行所はそれを出した者を割り出すと、その背後にあった盗賊団も一網打尽にしたのである。
この逸話のため、しばられ地蔵のご利益は盗難除け。さらには足止めや厄除け、また縄で縛ることから縁結びまで、さまざまな願い事を聞き届けるとされている。ちなみに願いが叶うと縛った縄を解くことになっているが、大晦日には縄解き供養もおこなっている。
------------
ただ、願い事が叶ったら、再び訪れて縄を解かなければなりませんよ。
出世牛
再び、水元公園に戻り、公園内の葛飾区金魚展示場に行きました。
金魚育成のタタキ池が40面以上並び、池内では24種もの金魚が悠々と泳いでいるそうです。
金魚といえば、前々回でしたか、旅ランで樋口一葉の住んでいたところから本郷の菊坂を走ったのですが、その菊坂のわき道をちょこっと言ったところに東京で唯一の金魚問屋で創業350年の「金魚坂」があります。
そこも、あの時寄れば良かったですね。
そこは、喫茶店にもなっています。→珈琲 金魚坂
子供の頃、よく金魚売りの声を聞きました。
今じゃ、絶滅商売ですが・・・。
(写真はアゼント株式会社 台場一丁目商店街自治会長 久保浩の昭和ダイアリーよりお借りしました。)
金魚売りの声
「金魚~、金魚」と叫んでますが、うちの下町では金魚をのせたリヤカーを自転車で引っ張りながら「金魚ぇ~、金魚ぉ~」でした。
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Lineのグループネット上で、「あのぉ~、雨だけど・・・」の文字が
ですが、天気予報では走り始めるころから雨がやみ徐々に回復傾向でした。
晴れ男の会長が参加するのですから、間違いなく快晴になると思いました。
ということで、予定通り、
「よっしゃぁっ、いくぞ!」
と決行したのでありました。
そして、金町駅10時集合…( ゚Д゚)
そこは、まさかの雨、雨、雨…
多分、雨
まあ、少したてば止むんじゃないかと、しばし様子をみておりましたが、
ますます、雨、雨、雨…
ということで、
「シャワーランじゃぁ、濡れていこう!」
とばかり出発したのでした。
カッパ着てると蒸しあちぃ!!
水元公園に着いた頃には、ほぼ雨は止みました。
やっぱねぇ~!
時計回りに水元公園を廻りました。
遠目には池に浮かぶテッシュかと見間違う白い睡蓮ですが、近くで見ると綺麗です。
。生きている化石、メタセコイアの森
ものすごく高い樹でジュラシックパークの世界のようです。
注)メタセコイアとは(ブリタニカ国際大百科事典より)
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スギ科の落葉高木。アケボノスギともいう。化石学者三木茂が 1941年に日本産の化石を規準標本として,スギ科の新属としてメタセコイア属を創設し,その化石に M. distichaと命名した。このメタセコイア属の植物は,当時絶滅したものと推定されていたが,46年に中国四川省の磨刀渓でメタセコイアの現生種が発見され,「生きている化石」として学界の注目をひいた。湿地に生えているので中国名は水杉という。小さな線形の葉を羽状に密に対生し,落葉するときはヌマスギと同様に枝ごと落ちるので一見羽状複葉のようにみえる。球果,鱗片および葉がいずれも十字対生をする点で従来のスギ科のものと異なり,挿木によって簡単にふえ,生長が速いので現在は世界各地で栽培されている。
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水元大橋にて記念撮影
バードサンクチュアリでは音を立てないように気を使って見学
だから、シャッター音をたてないように写真がありません。
大きな鳥が何匹も・・・
多分、川鵜じゃないかな?
菖蒲園はもう、最盛期を過ぎてました。
今年は季節の移り変わりが半月ぐらいは早いです。
ここから、南蔵院の「しばられ地蔵」に立ち寄りました
以下、日本伝承大鑑より
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水元公園の近くにある南蔵院は、関東大震災で罹災したため現在地に移転してきたが、かつては本所(現在の墨田区)にあった寺院である。この境内にある「しばられ地蔵」は、荒縄で地蔵を縛ることで願いを叶えてもらうという、奇妙な信仰が今でも続いている。その風習の由来とされるのが『大岡政談』に収められた「縛られ地蔵」の逸話である。
日本橋のある呉服商の手代が荷車に反物を積んで南蔵院の前で休憩をしていたが、うっかりそのまま居眠りをしてしまった。起きてみると荷車ごと反物を盗まれていた。奉行所に訴えると、町奉行・大岡越前は「門前にいながら、盗人の所業を一部始終見ていただけの地蔵も同罪である。引っ立てよ」と命じる。そして地蔵は縄を掛けられて市中引き回しの上、南町奉行所に連れて行かれたのである。
あまりに不思議な裁きであるため、多くの人々がぞろぞろと地蔵のあとを追って、そのまま奉行所の中にまで入ってしまった。すると越前は門を閉じて「奉行所に勝手に入るとは不届き千万。科料として各人反物を一反差し出すこと」と野次馬を叱りつけたのである。そうして集められた反物を手代に見せると、その中に盗まれた反物が一つまざっていた。奉行所はそれを出した者を割り出すと、その背後にあった盗賊団も一網打尽にしたのである。
この逸話のため、しばられ地蔵のご利益は盗難除け。さらには足止めや厄除け、また縄で縛ることから縁結びまで、さまざまな願い事を聞き届けるとされている。ちなみに願いが叶うと縛った縄を解くことになっているが、大晦日には縄解き供養もおこなっている。
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ただ、願い事が叶ったら、再び訪れて縄を解かなければなりませんよ。
出世牛
再び、水元公園に戻り、公園内の葛飾区金魚展示場に行きました。
金魚育成のタタキ池が40面以上並び、池内では24種もの金魚が悠々と泳いでいるそうです。
金魚といえば、前々回でしたか、旅ランで樋口一葉の住んでいたところから本郷の菊坂を走ったのですが、その菊坂のわき道をちょこっと言ったところに東京で唯一の金魚問屋で創業350年の「金魚坂」があります。
そこも、あの時寄れば良かったですね。
そこは、喫茶店にもなっています。→珈琲 金魚坂
子供の頃、よく金魚売りの声を聞きました。
今じゃ、絶滅商売ですが・・・。
(写真はアゼント株式会社 台場一丁目商店街自治会長 久保浩の昭和ダイアリーよりお借りしました。)
金魚売りの声
「金魚~、金魚」と叫んでますが、うちの下町では金魚をのせたリヤカーを自転車で引っ張りながら「金魚ぇ~、金魚ぉ~」でした。
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