写真は船形神社の石鳥居からみた武田菱に見える甲斐駒ヶ岳
釜無川沿いで甲州街道沿いの小さな集落、下今井という地域に入ると、雰囲気が変わりました。
海鼠壁の土蔵などが続くのです。
この壁は漆喰壁の耐水性をさらに強化するものであり、伊豆地方に多く見られるのですが、この辺りはエぢ時代に釜無川(富士川)の水運が整備され、それを利用して太平洋沿岸地域(伊豆方面)からの往来が盛んにあった名残なんだそうです。
立派な土蔵の続く坂を登り、振り返ると真っ白な富士山が見えました。
曹洞宗天真山自性院(1570年開山)
10人ほどの檀家の方たちでしょうか、年配の方々がお寺の中に入っていきました。
その時はなにか法事でもあるのかな?それにしては普段の格好だし、リュックを背負った人もいたから観光客のようにも見えるし、・・・
とそれ以上はあまり考えずに通り過ぎましたが、
寝込まずに楽に大往生(コロリ)したいとの願いから
「みんな元気甲斐ピンコロ地蔵菩薩」
というのが境内にあって、檀信徒の方を始め近隣の方々、老人ホームに入所している方がマイクロバス等でやってくるそうです。
自分もピンピンコロリとありたいです。
ただ、ピンピンコロリっていうのは突然死したということですけどね。
だから、本当に健康体だとなかなかこうならないです。
甲斐駒ヶ岳と立派な土蔵
話は余談になりますが、先日「男はつらいよ、寅次郎夢枕」のTV録画を見てました。
そこに出てきた甲斐駒ヶ岳
思わず写真を撮りました。
まあ、それだけですが・・・。
井戸はいいですね。
写真を撮りたくなります。
中部横断自動車道と土蔵
橋桁の細長い中部横断自動車道と南アルプス
JR中央線の下のレンガのトンネル手前にある丸石
煉瓦のトンネル
武田勝頼の妻、北条夫人に所縁のある大石がありました。
北条夫人は19歳の若さで自刃するという儚い人生の人でした。
ですが、意志の強い、夫思いの素晴らしい女性ですね。
下の動画はよくできていますよ。
北条夫人(妹・滅びゆく武田家と伴に辿った武田勝頼の妻) by マイナー・史跡巡りプロジェクト
(勝頼一行が主人を裏切った小山田信繁の岩殿城でなく、真田正幸の岩櫃城に逃げていたら、こっそりと上杉氏の越後へ亡命し、北条夫人も助かっていたかもしれませんね。)
北条夫人辞世の句(2首のうちのひとつ)
黒髪の乱れたる世ぞ果てしなき 思いに消ゆる露の玉の緒
リニア中央新幹線 が環境問題から2027年の開業は遅れる可能性高まりそうですね。
(このブログを書いている時点6/28の話)
私自身の意見をいえば、リニアの技術は素晴らしいとは思いますが、南アルプスの山をくりぬいてまで通す必要性はあまり感じません。
現在のコロナ禍の影響により、好むと好まざるとに関わらず世界中の会社の勤務形態が大きく変わりつつありますよね。
今から7年後の2027年には、リモートワークがますます拡大し、高額なリニアの切符を購入してまで、わざわざ人が高速移動するという意味が薄れているのではないでしょうか?
しかも、かつてのサラリーマンだった頃の自分の経験から、出張してダラダラ会議を進めるよりも、予め要点をまとめてササっとリモート会議をする方が効率的かもしれません。
それは会社側の立場からの意見ですが、雇われるサラリーマン側にしても、高速リニアよりも、今の新幹線の方が良いと思う点もあります。
サラリーマンの頃を思い出すと、新幹線内は出張帰りにおいては東京までの貴重な数時間は安心してリラックスできる空間でした。
特に最終の新幹線で東京へ帰る時、出張で疲れたサラリーマンたちが何もしゃべらずに缶ビールのプルトップの開ける音と新幹線の走る音だけが響く無言の時間、そして安堵する時間は今でも忘れません。
あれが、1時間もかからずに戻って来たのでは早く自宅には帰れますが、出先での仕事を引きずったままの帰京になってしまいますね。
やはり、ある程度時間がかかって気持ちを整理してから帰京したほうが良いかな?
・・・と懐かしく思うのはすでに自分が隠居の身だからでしょうか?
まあ、会社や地元の発展をリニアにかけていた人々は相当にがっかりでしょうね。
リニア技術はアメリカ大陸やユーラシア大陸などの大陸横断鉄道として利用されるならいいかもしれません。
塩崎駅
この先500mくらいのところに志田の一里塚があったらしいですが、今はその痕跡もありません。
かなり古そうな丸石
寛政5年(1793年建立)の三界萬霊塔
立派な屋敷ですね。
ここで膝が痛くなりそうなのでランニングシューズをやめてワラーチに履き替えました。
ワラーチだと走るスピードはさらに遅くなりますが、膝には優しいです。
靴下も脱ぎ、足の指も解放され、南アルプスの爽やかな風にあたって爽快です。
土蔵の片隅にあったド迫力満点の木
槐の木でしょうか?
とにかく、木の名前はあまりわからないです。
船形神社の石鳥居(応永4年(1397)に建立、山梨県指定文化財)
室町時代初期のものですね。
ここから神社まで細い参道が続いていました。
-------------甲斐市のHPより
『甲斐国志』によると、古来釜無側沿いに崩壊した古墳があり、そこに諏訪神社がありました。
崩れた古墳の石室が舟のように見えたことからその通称は「船形神社」といわれ、石鳥居は応永4年(1397)に建立されたものです。
度重なる洪水のため江戸時代に神社は現在地に移動し、鳥居もこの時代に移されたといわれています。
---------
とても背が低いずんぐりとした珍しい石鳥居です。
通ると頭が当たりそうになります。
(つづく)
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釜無川沿いで甲州街道沿いの小さな集落、下今井という地域に入ると、雰囲気が変わりました。
海鼠壁の土蔵などが続くのです。
この壁は漆喰壁の耐水性をさらに強化するものであり、伊豆地方に多く見られるのですが、この辺りはエぢ時代に釜無川(富士川)の水運が整備され、それを利用して太平洋沿岸地域(伊豆方面)からの往来が盛んにあった名残なんだそうです。
立派な土蔵の続く坂を登り、振り返ると真っ白な富士山が見えました。
曹洞宗天真山自性院(1570年開山)
10人ほどの檀家の方たちでしょうか、年配の方々がお寺の中に入っていきました。
その時はなにか法事でもあるのかな?それにしては普段の格好だし、リュックを背負った人もいたから観光客のようにも見えるし、・・・
とそれ以上はあまり考えずに通り過ぎましたが、
寝込まずに楽に大往生(コロリ)したいとの願いから
「みんな元気甲斐ピンコロ地蔵菩薩」
というのが境内にあって、檀信徒の方を始め近隣の方々、老人ホームに入所している方がマイクロバス等でやってくるそうです。
自分もピンピンコロリとありたいです。
ただ、ピンピンコロリっていうのは突然死したということですけどね。
だから、本当に健康体だとなかなかこうならないです。
甲斐駒ヶ岳と立派な土蔵
話は余談になりますが、先日「男はつらいよ、寅次郎夢枕」のTV録画を見てました。
そこに出てきた甲斐駒ヶ岳
思わず写真を撮りました。
まあ、それだけですが・・・。
井戸はいいですね。
写真を撮りたくなります。
中部横断自動車道と土蔵
橋桁の細長い中部横断自動車道と南アルプス
JR中央線の下のレンガのトンネル手前にある丸石
煉瓦のトンネル
武田勝頼の妻、北条夫人に所縁のある大石がありました。
北条夫人は19歳の若さで自刃するという儚い人生の人でした。
ですが、意志の強い、夫思いの素晴らしい女性ですね。
下の動画はよくできていますよ。
北条夫人(妹・滅びゆく武田家と伴に辿った武田勝頼の妻) by マイナー・史跡巡りプロジェクト
(勝頼一行が主人を裏切った小山田信繁の岩殿城でなく、真田正幸の岩櫃城に逃げていたら、こっそりと上杉氏の越後へ亡命し、北条夫人も助かっていたかもしれませんね。)
北条夫人辞世の句(2首のうちのひとつ)
黒髪の乱れたる世ぞ果てしなき 思いに消ゆる露の玉の緒
リニア中央新幹線 が環境問題から2027年の開業は遅れる可能性高まりそうですね。
(このブログを書いている時点6/28の話)
私自身の意見をいえば、リニアの技術は素晴らしいとは思いますが、南アルプスの山をくりぬいてまで通す必要性はあまり感じません。
現在のコロナ禍の影響により、好むと好まざるとに関わらず世界中の会社の勤務形態が大きく変わりつつありますよね。
今から7年後の2027年には、リモートワークがますます拡大し、高額なリニアの切符を購入してまで、わざわざ人が高速移動するという意味が薄れているのではないでしょうか?
しかも、かつてのサラリーマンだった頃の自分の経験から、出張してダラダラ会議を進めるよりも、予め要点をまとめてササっとリモート会議をする方が効率的かもしれません。
それは会社側の立場からの意見ですが、雇われるサラリーマン側にしても、高速リニアよりも、今の新幹線の方が良いと思う点もあります。
サラリーマンの頃を思い出すと、新幹線内は出張帰りにおいては東京までの貴重な数時間は安心してリラックスできる空間でした。
特に最終の新幹線で東京へ帰る時、出張で疲れたサラリーマンたちが何もしゃべらずに缶ビールのプルトップの開ける音と新幹線の走る音だけが響く無言の時間、そして安堵する時間は今でも忘れません。
あれが、1時間もかからずに戻って来たのでは早く自宅には帰れますが、出先での仕事を引きずったままの帰京になってしまいますね。
やはり、ある程度時間がかかって気持ちを整理してから帰京したほうが良いかな?
・・・と懐かしく思うのはすでに自分が隠居の身だからでしょうか?
まあ、会社や地元の発展をリニアにかけていた人々は相当にがっかりでしょうね。
リニア技術はアメリカ大陸やユーラシア大陸などの大陸横断鉄道として利用されるならいいかもしれません。
塩崎駅
この先500mくらいのところに志田の一里塚があったらしいですが、今はその痕跡もありません。
かなり古そうな丸石
寛政5年(1793年建立)の三界萬霊塔
立派な屋敷ですね。
ここで膝が痛くなりそうなのでランニングシューズをやめてワラーチに履き替えました。
ワラーチだと走るスピードはさらに遅くなりますが、膝には優しいです。
靴下も脱ぎ、足の指も解放され、南アルプスの爽やかな風にあたって爽快です。
土蔵の片隅にあったド迫力満点の木
槐の木でしょうか?
とにかく、木の名前はあまりわからないです。
船形神社の石鳥居(応永4年(1397)に建立、山梨県指定文化財)
室町時代初期のものですね。
ここから神社まで細い参道が続いていました。
-------------甲斐市のHPより
『甲斐国志』によると、古来釜無側沿いに崩壊した古墳があり、そこに諏訪神社がありました。
崩れた古墳の石室が舟のように見えたことからその通称は「船形神社」といわれ、石鳥居は応永4年(1397)に建立されたものです。
度重なる洪水のため江戸時代に神社は現在地に移動し、鳥居もこの時代に移されたといわれています。
---------
とても背が低いずんぐりとした珍しい石鳥居です。
通ると頭が当たりそうになります。
(つづく)
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