(お坊さんが観光客のお凸に橙色のサフランで祝福の印をつけてあげているところ)
<旅は情け人は心>
Sの店なら、日本人に親切だから品物は安いだろうと思い、Tシャツや香辛料でも買おうと思った。
通常のTシャツはバザールで値段を確認していたし、御土産用のTシャツならデリーでRs400で購入しているのでもし300~400ならば、まあまあである。
Sの小さな店には日本人観光客が残していった古本が沢山おいてあって、有料で貸し出しをしている。
また、観光客の荷物の預かりなどもしていて、宿を決めるまでのデポとして日本人観光客には便利しているようだった。
Tシャツの話をSにしたら、この店にはおいてない、別の店にあるという。
どうやら、小さなSの店とは虎の穴道りを挟んだ建物の2階に別の店を持っているようだった。
店は裏側が野菜市場大通りに面している。
連れられていったのだが、そこには従業員が何人もいる大店だった。
Sは結構なやり手なんだと感心したのである。
大きなシルク販売を中心にした店だった。
シルクは相当な数を保有している。
L君の店とは段違いに大きい店である。
察するにSの日本人相手の小さな店は、どうもアンテナショップ(じゃなくて、釣りでいうところのコマセショップというべきか?)であると思われ、Sの所有する本当の店はココらしい。
そうならば、なかなかの商売上手である。
Sにシャツを見せてもらったり、お茶をみせてもらったりした。
お茶は、その入れ方も教えてくれたりした。
話し方はぶっきら棒だが、それでも優しい感じで日本人に人気があるのは判る気がした。
とても話しやすい感じなのである。
その話しやすさにつられて、宿泊中のホテルの従業員の執拗な勧誘の話をした。
とても、頭にきて旅行会社に苦情メールしたことも話したのである。
オーナーに直接掛け合おうかと迷っていることも話をしたのだった。
Sは「酷いホテルだ。」と言っていたが、なんというホテルかというので、P.O.Sというホテルだと正直に話した。
ただ、商品の値段はあまり安くなかった。
シャツもデリーで買った店の言い値のRs500だった。
L君の店のほうが安いし、Tシャツも安かった。
これだけ色々話もしたので、何も買わないのは悪いと思い、Tシャツ1枚とマサラ・ティー(紅茶とマサラが最初から混ぜてあるもの)を購入した。
(火葬場の後始末をするお坊さん、実際は燃えた亡骸の後に残る貴金属や金目の物を探しているらしく、お坊さんでありながら、火葬場の人に怒鳴られていた。
お坊さんって偉いんじゃなかったか?
インドは、今もってわからん国だ?)
この後、ブラブラしながらL君の店を訪ねた。
大宮デン助似のパパに会いたかったからである。
いったら、三男のL君は出かけていたが長男、次男、パパ、ママがいた。
パパが店の奥にあがってユックリしていけ、という。
パパの年齢はもしかすると、おれと同じか、若いかもしれないが、デン助似のパパは貫禄があって、俺より全然年配に見えた。(と自分で思っているだけかもしれないけど)
いつもそうだが、店に寄ると近くの露店のチャイを買ってきてくれる。
チャイを飲みながら、兄弟といろいろ話をした。
もちろん、日本語と英語のチャンポンである。
麻原の話、サイババの話、ホモの話、カレーの話、仕事の話、・・・
中でも特に日本人観光客の話は興味があった。
バラナシでは以前、日本人の有名男性俳優Oが主役の映画を撮っていた。
その映画に出演したインド人少年のシルク店、舞台になったホテルなどが、有名になったことで、ぼろ儲けの悪徳商売をしているという。
客引きはOの名を利用して、店に若い日本人を引っ張ってくるらしい。
店には日本人が沢山いて、俳優Oの写真が張られており、それらを見るとますます信用してしまうらしく、しかも購入した商品の真偽も確かめず、購入するというのだった。
映画になった場所・でた人、というだけで、何故簡単に引っ掛かるのか、不思議がっていたのだ。
しかも、不思議なことに、そんな日本人旅行者のブログでは「店の人はいい人だった!」と書かれているというのである。
映画の好印象が影響して、現地へ行く前から、すでに想像上の好印象人物、好印象店が出来上がっていて、事実とは異なる既成概念が作られ、実際に行ってみた時、たとえ、多少の疑問を感じていたとしても、それを壊したくない、むしろ盛り上げたいというメルヘンチックな心が、さらに好印象を生みだし、不動の概念が出来上がる。
俺自身も聖なるインドはひたすら沈黙しながら哲学をするイメージをもっていたが、それは現地に着き、実際にこの五感で感じた時点から、徐々に破壊されていったぐらいだから、心をゆさぶる映画を見て、インドはその内容通りでなければならない、期待を裏切るものであってはならない、という気持ちはわからないでもない。
だが、それは誘蛾灯にひっかかる蛾のようなものだ。
自らすすんで落ち込む催眠商法である。
(ただ、以上の話は、俺自身がその店に行って確かめてないから、その真偽は定かではないと断っておきたい。)
また、俺の方もホテルで憤慨した話をしたのだが、俺の宿泊しているホテルは案の定、彼等にも評判が良くなかった。
同じような酷いホテルがバラナシには沢山あって、立地条件の良さだけで人が集まるが、サービス内容は良くないし、俺と同じようにシルクショップを紹介され、大枚をはたき泣いた日本人も結構いるとのことだった。
後日、この兄弟だけでなく、別の日に会ったL君の香辛料を扱っている友人にも同じ話を聞いたから、間違いないと思う。
だが、その話の中で決定的なビックリ話も聞いたのだ。
悪徳ホテルの中には、客がシルクなどの商品を買わないと意地悪(ハラスメント)をするという。
客の後ろで理解できないことを利用してヒンドゥー語で罵声を浴びせるというのである。
(だが、これはインドだけに限ったことではない。
他の発展途上国ではよくあることだ。)
ビックリしたのは、客がホテルをチェックアウトする際に、ホテルを通して呼んでもらったタクシーを適当な理由をつけてワザと遅らすという。
タクシーは遅れてホテルに到着するのだが、駅や空港まで危険な猛スピードで走り、発車時刻に間に合わせる。
だが、運転手は無理して間に合わせてやったからと、高いチップを要求するというのである。
タクシーとホテルはグルらしい。
他にも意地悪話はあったのだが、その話だけが頭の中をグルグル回っていた。
他の話は耳に残らなかった。
なぜなら、以前にバラナシを訪れた女房達の帰りのタクシーがそうだったからである。
兄弟に、その話をした。
長男が憤慨して言ったのだった。
「それはハラスメントである。
ある程度の値段の高い、安いという交渉はビジネスだけど、ハラスメントはビジネスではない。
俺たちバラナシで商売する同じインド人として恥ずかしい。」
朝から喜怒哀楽の激しい1日だったが、この夜、俺は覚悟を決めた。
ホテルのオーナーに直接会って俺なりに猛烈なる苦情を言おうと思った。
それまでは、執拗な従業員で頭にきていたけれど、旅行会社からは厳しい指摘もあるだろうし、ことさら一従業員のことで事を荒立てる気持ちもなかった。
帰る日に、あの従業員の顔を見たくないので正式にチェックアウトせずに、苦情だけ書置きを残して勝手にホテルをオサラバしようと決めていた。
旅行会社にも、そうメールし、後始末は頼むとも書いておいた。
だが、直接、言わなくては気が済まなくなった。
オーナーらしき人物は何回かみかけたことがあった。
大柄なインド人だが、従業員にアレコレ指図していたから、多分そうである。
常識はわきまえたインド人に見えた。
ただし、状況次第では簀巻きにされガンジスの魚のエサになるかもしれないし、そこまでいかなくても何かしらの仕返しは予想されるから、宿泊最後の夜の日に直接話そうと決めた。
ガンジスの魚
とにかく、日本の江戸っ子としての筋(logical)だけは通したかった。
兄弟にも、そう話をした。
彼らは、「そんなホテルを引き払ってしまったら、・・・」と助言してくれた。
そして、いつでも言ってくれれば良いホテルを紹介するとも言ってくれた。
さらには、それを聞いていたデン助似のオヤジが、場合によってはウチに泊まりに来いと言ってくれたのである。
インドも日本も同じで、「旅は情け人は心」とはこのことである。
そんな話をしているうちに三男のL君が戻ってきた。
もう、外は暗くなり、プージャも終わっていたので危ないからとL君がホテルまで送ってくれたのであった。
ホテルに還るとフロントには誰もいなかった。
(つづく)
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<旅は情け人は心>
Sの店なら、日本人に親切だから品物は安いだろうと思い、Tシャツや香辛料でも買おうと思った。
通常のTシャツはバザールで値段を確認していたし、御土産用のTシャツならデリーでRs400で購入しているのでもし300~400ならば、まあまあである。
Sの小さな店には日本人観光客が残していった古本が沢山おいてあって、有料で貸し出しをしている。
また、観光客の荷物の預かりなどもしていて、宿を決めるまでのデポとして日本人観光客には便利しているようだった。
Tシャツの話をSにしたら、この店にはおいてない、別の店にあるという。
どうやら、小さなSの店とは虎の穴道りを挟んだ建物の2階に別の店を持っているようだった。
店は裏側が野菜市場大通りに面している。
連れられていったのだが、そこには従業員が何人もいる大店だった。
Sは結構なやり手なんだと感心したのである。
大きなシルク販売を中心にした店だった。
シルクは相当な数を保有している。
L君の店とは段違いに大きい店である。
察するにSの日本人相手の小さな店は、どうもアンテナショップ(じゃなくて、釣りでいうところのコマセショップというべきか?)であると思われ、Sの所有する本当の店はココらしい。
そうならば、なかなかの商売上手である。
Sにシャツを見せてもらったり、お茶をみせてもらったりした。
お茶は、その入れ方も教えてくれたりした。
話し方はぶっきら棒だが、それでも優しい感じで日本人に人気があるのは判る気がした。
とても話しやすい感じなのである。
その話しやすさにつられて、宿泊中のホテルの従業員の執拗な勧誘の話をした。
とても、頭にきて旅行会社に苦情メールしたことも話したのである。
オーナーに直接掛け合おうかと迷っていることも話をしたのだった。
Sは「酷いホテルだ。」と言っていたが、なんというホテルかというので、P.O.Sというホテルだと正直に話した。
ただ、商品の値段はあまり安くなかった。
シャツもデリーで買った店の言い値のRs500だった。
L君の店のほうが安いし、Tシャツも安かった。
これだけ色々話もしたので、何も買わないのは悪いと思い、Tシャツ1枚とマサラ・ティー(紅茶とマサラが最初から混ぜてあるもの)を購入した。
(火葬場の後始末をするお坊さん、実際は燃えた亡骸の後に残る貴金属や金目の物を探しているらしく、お坊さんでありながら、火葬場の人に怒鳴られていた。
お坊さんって偉いんじゃなかったか?
インドは、今もってわからん国だ?)
この後、ブラブラしながらL君の店を訪ねた。
大宮デン助似のパパに会いたかったからである。
いったら、三男のL君は出かけていたが長男、次男、パパ、ママがいた。
パパが店の奥にあがってユックリしていけ、という。
パパの年齢はもしかすると、おれと同じか、若いかもしれないが、デン助似のパパは貫禄があって、俺より全然年配に見えた。(と自分で思っているだけかもしれないけど)
いつもそうだが、店に寄ると近くの露店のチャイを買ってきてくれる。
チャイを飲みながら、兄弟といろいろ話をした。
もちろん、日本語と英語のチャンポンである。
麻原の話、サイババの話、ホモの話、カレーの話、仕事の話、・・・
中でも特に日本人観光客の話は興味があった。
バラナシでは以前、日本人の有名男性俳優Oが主役の映画を撮っていた。
その映画に出演したインド人少年のシルク店、舞台になったホテルなどが、有名になったことで、ぼろ儲けの悪徳商売をしているという。
客引きはOの名を利用して、店に若い日本人を引っ張ってくるらしい。
店には日本人が沢山いて、俳優Oの写真が張られており、それらを見るとますます信用してしまうらしく、しかも購入した商品の真偽も確かめず、購入するというのだった。
映画になった場所・でた人、というだけで、何故簡単に引っ掛かるのか、不思議がっていたのだ。
しかも、不思議なことに、そんな日本人旅行者のブログでは「店の人はいい人だった!」と書かれているというのである。
映画の好印象が影響して、現地へ行く前から、すでに想像上の好印象人物、好印象店が出来上がっていて、事実とは異なる既成概念が作られ、実際に行ってみた時、たとえ、多少の疑問を感じていたとしても、それを壊したくない、むしろ盛り上げたいというメルヘンチックな心が、さらに好印象を生みだし、不動の概念が出来上がる。
俺自身も聖なるインドはひたすら沈黙しながら哲学をするイメージをもっていたが、それは現地に着き、実際にこの五感で感じた時点から、徐々に破壊されていったぐらいだから、心をゆさぶる映画を見て、インドはその内容通りでなければならない、期待を裏切るものであってはならない、という気持ちはわからないでもない。
だが、それは誘蛾灯にひっかかる蛾のようなものだ。
自らすすんで落ち込む催眠商法である。
(ただ、以上の話は、俺自身がその店に行って確かめてないから、その真偽は定かではないと断っておきたい。)
また、俺の方もホテルで憤慨した話をしたのだが、俺の宿泊しているホテルは案の定、彼等にも評判が良くなかった。
同じような酷いホテルがバラナシには沢山あって、立地条件の良さだけで人が集まるが、サービス内容は良くないし、俺と同じようにシルクショップを紹介され、大枚をはたき泣いた日本人も結構いるとのことだった。
後日、この兄弟だけでなく、別の日に会ったL君の香辛料を扱っている友人にも同じ話を聞いたから、間違いないと思う。
だが、その話の中で決定的なビックリ話も聞いたのだ。
悪徳ホテルの中には、客がシルクなどの商品を買わないと意地悪(ハラスメント)をするという。
客の後ろで理解できないことを利用してヒンドゥー語で罵声を浴びせるというのである。
(だが、これはインドだけに限ったことではない。
他の発展途上国ではよくあることだ。)
ビックリしたのは、客がホテルをチェックアウトする際に、ホテルを通して呼んでもらったタクシーを適当な理由をつけてワザと遅らすという。
タクシーは遅れてホテルに到着するのだが、駅や空港まで危険な猛スピードで走り、発車時刻に間に合わせる。
だが、運転手は無理して間に合わせてやったからと、高いチップを要求するというのである。
タクシーとホテルはグルらしい。
他にも意地悪話はあったのだが、その話だけが頭の中をグルグル回っていた。
他の話は耳に残らなかった。
なぜなら、以前にバラナシを訪れた女房達の帰りのタクシーがそうだったからである。
兄弟に、その話をした。
長男が憤慨して言ったのだった。
「それはハラスメントである。
ある程度の値段の高い、安いという交渉はビジネスだけど、ハラスメントはビジネスではない。
俺たちバラナシで商売する同じインド人として恥ずかしい。」
朝から喜怒哀楽の激しい1日だったが、この夜、俺は覚悟を決めた。
ホテルのオーナーに直接会って俺なりに猛烈なる苦情を言おうと思った。
それまでは、執拗な従業員で頭にきていたけれど、旅行会社からは厳しい指摘もあるだろうし、ことさら一従業員のことで事を荒立てる気持ちもなかった。
帰る日に、あの従業員の顔を見たくないので正式にチェックアウトせずに、苦情だけ書置きを残して勝手にホテルをオサラバしようと決めていた。
旅行会社にも、そうメールし、後始末は頼むとも書いておいた。
だが、直接、言わなくては気が済まなくなった。
オーナーらしき人物は何回かみかけたことがあった。
大柄なインド人だが、従業員にアレコレ指図していたから、多分そうである。
常識はわきまえたインド人に見えた。
ただし、状況次第では簀巻きにされガンジスの魚のエサになるかもしれないし、そこまでいかなくても何かしらの仕返しは予想されるから、宿泊最後の夜の日に直接話そうと決めた。
ガンジスの魚
とにかく、日本の江戸っ子としての筋(logical)だけは通したかった。
兄弟にも、そう話をした。
彼らは、「そんなホテルを引き払ってしまったら、・・・」と助言してくれた。
そして、いつでも言ってくれれば良いホテルを紹介するとも言ってくれた。
さらには、それを聞いていたデン助似のオヤジが、場合によってはウチに泊まりに来いと言ってくれたのである。
インドも日本も同じで、「旅は情け人は心」とはこのことである。
そんな話をしているうちに三男のL君が戻ってきた。
もう、外は暗くなり、プージャも終わっていたので危ないからとL君がホテルまで送ってくれたのであった。
ホテルに還るとフロントには誰もいなかった。
(つづく)
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