昨年の3月に走った旧甲州街道の記録ですが、
新型コロナ騒動などで生活のリズム(体調も含め)が崩れて、
何もせず遅れ遅れになってしまい、
この2021年2月の時点で、
その時(2020年3月)に撮った写真を見ても
あまり街道ランのことを思い出せません。
また、言い訳がましいですが
正直なところ旧甲州街道の下諏訪に近いところは
綺麗に観光地化されていて
自分にとって強烈な印象として残るところが少なかったので
なかなか思い出せないといこともあると思います。
(地元市民にとって公益性のある価値ある観光地になるということは、
「老若男女、誰でもが訪れることができる」ように
案内所、トイレなどの公共施設、道路、等々にお金をかけて、
見やすいように綺麗に立派に整備しているわけですが、
あくまでも自分にとってはの話ですが
観光地化された景色が全て同じに見えてしまい、
自分の呆けた脳細胞には感動的で強烈なる記憶として
残っていませんでした。
それよりも、
人知れず荒れ果てた古道の藪をかきわけ踏みしめ
「何だコリャ!」と発見した
旧街道のレアな景色のほうが深く強く記録されていますね。
冒険的要素のある旅が好きだ、ということです。)
とにかく、記憶がないものは致し方ないです。
そこで、
自分に対する甘い
妥協策として、
撮った写真で思い出せるところだけを残して
旧甲州街道の記録を手短なダイジェストとして
終えたいと思います。
その後、
今ならまだアレコレ思い出せる
昨年秋に走ったばかりの旧中山道の記録を
続けたいと思います。
では、・・・
時は2020年3月7日土曜日です。
山梨県北杜市白州町下教来石という
変わったというか、とても不思議な地名の下教来石から
旅ランの話は続きます。
教来石(キョウライイシ)の地名の由来は、
1. この辺りに大きな石があり
それを神として祀った清石(キヨライシ)から?
2. 日本武尊が東征の折り、座った大きな石を、
村人が「経て来石(へてこいし)」と呼び、
村名にしたが、経を教と書き誤り、今の名になった?
3. 教来石という苗字が三重県、香川県にごくわずかの
世帯であるが残っていて、そこからきたものか?
など、ハッキリわかりません。
その村に小さな諏訪神社がありましたので、
そこへ何気なく立ち寄り一休みしました。
案内板などを見てみると、
思いもよらず。そこは由緒ある神社なのでした。
下教来石の諏訪神社
神社そのものは覆堂内にあるらしいです。
見事な彫刻は直接みることはできませんでしたが、
写真のような長い脚の老人、背後下に手の長い老人の彫刻があるようで、
何を表しているのか、これまた不思議な気がします。
山梨の歴史を旅するサイトより
さらに、旅のあとで、
この手と足の長い老人について知ったこと書きます。
諏訪明神の家来には手長足長が夫婦神が存在しているようなのですが、
この先の甲州道中の長野県の上諏訪町に進んでくと
それぞれ手長足長の老人を祀る
「手長神社」「足長神社」があったみたいです。
旧甲州道からちょっと外れただけのところにあったのに、
この知識がなかったため旅の大事なチェックポイント
になっておらず、行きませんでした。
(残念!)
この両神社の夫婦神は
日本神話のスサノオのヤマタノオロチ退治の説話に登場する夫婦神であると
ウィキペディアには書かれていました。
手名稚(てなづち):妻
と
足名稚(あしなづち):夫
そして、その老夫婦の娘がスサノオの妻になった
櫛名田比売(クシナダヒメ)ということです。
ということは、・・・
老夫婦神は
諏訪明神の家来であるとともに、
スサノオの義父、義母
ということになりますね?
諏訪明神って何?誰?という疑問が出てきました。
さらには、
ただ、スサノオは神通力でその妻を櫛にしてしまった?
というんですが、大切な妻を櫛に変えてしまった?
どういうこっちゃ?
よう知らんけど?・・・
もう、これ以上考えると進みませんので、先に行きましょう。
山口の関所
その案内板
ちょうど、この辺りだと思いますが、
足の裏がワラーチとの擦れで痛くなり、
ランニングシューズに履き替えています。
走り方が下手だという証で、
本来ならばワラーチ(地面)に対して
垂直方向に上から正しく体重を乗せて
足裏のアーチで衝撃を和らげるため、
擦れるということはないはずなんです。
ワラーチでミッドフット走法
立った状態でジャンプしたときの足裏と
ワラーチ(地面)との接触具合が理想です。
まだまだ、修行が足りませんね。
「高座石」(敬冠院)脇にある石碑群
(高座石:蓮上人が3日間この岩上に立ち、疫病退散の祈願と説法を行った)
蔦木宿
(つたきじゅく:甲州街道の江戸から数えて四十二番目の宿場)
に入りました。
今回はここまでとすることにしました。
ただ、近くに東京まで帰る駅もバス停もありません。
ここからはJR中央本線の信濃境駅までかなり歩くのですが、
中央本線は昔の八ヶ岳から流れ出た溶岩台地の上を走っており、
かなりのジグザクな寂しい車道を登って台地の上まで
いかなければなりませんでした。
疲れていたこともあり、年老いた爺さんの如く
(まあ、ジジィであることは間違いではない)、
アヘアへと地面ばかりを見つめながらトボトボと歩いて
駅に向かいました。
信濃境駅はローカルな駅としては
比較的大きなほうだったと思います。
早速、駅で汗臭い服を着替え、
帰りの電車が来るまで周囲を探索しました。
周りには一杯の飲めるような赤ちょうちんはなく、
一人打ち上げはできなかったのですが、
ただ、救いだったのは
ローカルなスーパーマーケットがあったので
ツマミとお酒を買うことでできたことでした。
全く人気のない駅の待合室の冷たい木のベンチで
一人ぽっちの打ち上げを行いました。
ちょっと、寒くて合羽を着こんで、冷めた揚げ物を
ツマミながら、更に冷えたビールで、・・・
もう、心も冷えておりましたデス。
こんな時、「誰か飲み相手がいればなぁ」と思います。
一人旅ランは気楽ですが、やはり寂しいものはありますね。
居酒屋なら見知らぬ話せる相手がいますけど、
居酒屋「田舎駅」は寂しいお店です。
(おしまい)
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NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
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新型コロナ騒動などで生活のリズム(体調も含め)が崩れて、
何もせず遅れ遅れになってしまい、
この2021年2月の時点で、
その時(2020年3月)に撮った写真を見ても
あまり街道ランのことを思い出せません。
また、言い訳がましいですが
正直なところ旧甲州街道の下諏訪に近いところは
綺麗に観光地化されていて
自分にとって強烈な印象として残るところが少なかったので
なかなか思い出せないといこともあると思います。
(地元市民にとって公益性のある価値ある観光地になるということは、
「老若男女、誰でもが訪れることができる」ように
案内所、トイレなどの公共施設、道路、等々にお金をかけて、
見やすいように綺麗に立派に整備しているわけですが、
あくまでも自分にとってはの話ですが
観光地化された景色が全て同じに見えてしまい、
自分の呆けた脳細胞には感動的で強烈なる記憶として
残っていませんでした。
それよりも、
人知れず荒れ果てた古道の藪をかきわけ踏みしめ
「何だコリャ!」と発見した
旧街道のレアな景色のほうが深く強く記録されていますね。
冒険的要素のある旅が好きだ、ということです。)
とにかく、記憶がないものは致し方ないです。
そこで、
自分に対する甘い
妥協策として、
撮った写真で思い出せるところだけを残して
旧甲州街道の記録を手短なダイジェストとして
終えたいと思います。
その後、
今ならまだアレコレ思い出せる
昨年秋に走ったばかりの旧中山道の記録を
続けたいと思います。
では、・・・
時は2020年3月7日土曜日です。
山梨県北杜市白州町下教来石という
変わったというか、とても不思議な地名の下教来石から
旅ランの話は続きます。
教来石(キョウライイシ)の地名の由来は、
1. この辺りに大きな石があり
それを神として祀った清石(キヨライシ)から?
2. 日本武尊が東征の折り、座った大きな石を、
村人が「経て来石(へてこいし)」と呼び、
村名にしたが、経を教と書き誤り、今の名になった?
3. 教来石という苗字が三重県、香川県にごくわずかの
世帯であるが残っていて、そこからきたものか?
など、ハッキリわかりません。
その村に小さな諏訪神社がありましたので、
そこへ何気なく立ち寄り一休みしました。
案内板などを見てみると、
思いもよらず。そこは由緒ある神社なのでした。
下教来石の諏訪神社
神社そのものは覆堂内にあるらしいです。
見事な彫刻は直接みることはできませんでしたが、
写真のような長い脚の老人、背後下に手の長い老人の彫刻があるようで、
何を表しているのか、これまた不思議な気がします。
山梨の歴史を旅するサイトより
さらに、旅のあとで、
この手と足の長い老人について知ったこと書きます。
諏訪明神の家来には手長足長が夫婦神が存在しているようなのですが、
この先の甲州道中の長野県の上諏訪町に進んでくと
それぞれ手長足長の老人を祀る
「手長神社」「足長神社」があったみたいです。
旧甲州道からちょっと外れただけのところにあったのに、
この知識がなかったため旅の大事なチェックポイント
になっておらず、行きませんでした。
(残念!)
この両神社の夫婦神は
日本神話のスサノオのヤマタノオロチ退治の説話に登場する夫婦神であると
ウィキペディアには書かれていました。
手名稚(てなづち):妻
と
足名稚(あしなづち):夫
そして、その老夫婦の娘がスサノオの妻になった
櫛名田比売(クシナダヒメ)ということです。
ということは、・・・
老夫婦神は
諏訪明神の家来であるとともに、
スサノオの義父、義母
ということになりますね?
諏訪明神って何?誰?という疑問が出てきました。
さらには、
ただ、スサノオは神通力でその妻を櫛にしてしまった?
というんですが、大切な妻を櫛に変えてしまった?
どういうこっちゃ?
よう知らんけど?・・・
もう、これ以上考えると進みませんので、先に行きましょう。
山口の関所
その案内板
ちょうど、この辺りだと思いますが、
足の裏がワラーチとの擦れで痛くなり、
ランニングシューズに履き替えています。
走り方が下手だという証で、
本来ならばワラーチ(地面)に対して
垂直方向に上から正しく体重を乗せて
足裏のアーチで衝撃を和らげるため、
擦れるということはないはずなんです。
ワラーチでミッドフット走法
立った状態でジャンプしたときの足裏と
ワラーチ(地面)との接触具合が理想です。
まだまだ、修行が足りませんね。
「高座石」(敬冠院)脇にある石碑群
(高座石:蓮上人が3日間この岩上に立ち、疫病退散の祈願と説法を行った)
蔦木宿
(つたきじゅく:甲州街道の江戸から数えて四十二番目の宿場)
に入りました。
今回はここまでとすることにしました。
ただ、近くに東京まで帰る駅もバス停もありません。
ここからはJR中央本線の信濃境駅までかなり歩くのですが、
中央本線は昔の八ヶ岳から流れ出た溶岩台地の上を走っており、
かなりのジグザクな寂しい車道を登って台地の上まで
いかなければなりませんでした。
疲れていたこともあり、年老いた爺さんの如く
(まあ、ジジィであることは間違いではない)、
アヘアへと地面ばかりを見つめながらトボトボと歩いて
駅に向かいました。
信濃境駅はローカルな駅としては
比較的大きなほうだったと思います。
早速、駅で汗臭い服を着替え、
帰りの電車が来るまで周囲を探索しました。
周りには一杯の飲めるような赤ちょうちんはなく、
一人打ち上げはできなかったのですが、
ただ、救いだったのは
ローカルなスーパーマーケットがあったので
ツマミとお酒を買うことでできたことでした。
全く人気のない駅の待合室の冷たい木のベンチで
一人ぽっちの打ち上げを行いました。
ちょっと、寒くて合羽を着こんで、冷めた揚げ物を
ツマミながら、更に冷えたビールで、・・・
もう、心も冷えておりましたデス。
こんな時、「誰か飲み相手がいればなぁ」と思います。
一人旅ランは気楽ですが、やはり寂しいものはありますね。
居酒屋なら見知らぬ話せる相手がいますけど、
居酒屋「田舎駅」は寂しいお店です。
(おしまい)
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