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旧中仙道ランニング「中仙道走膝痛シ」・・・浦和宿~桶川宿(その4、江戸時代の数学少女)

2016年02月17日 | 中山道走膝痛シ(旧中山道ランニング)
桶川宿 国登録有形文化財 武村旅館(1852年築 旅籠 紙屋半次郎跡)



桶川宿は素晴らしく立派である。
何がって・・・?

古い建物が保存状態もよく残ってるのだ。
だから、このあとは建物の写真ばかりになってしまった。



日本橋~桶川宿・・・43km

日本橋からフルマラソンの距離(10里)を走ると桶川宿になるのだが、考えてみると、昔の人は、ここまでわずか1日で歩いてきたのだ。
われらが祖先は、足腰が相当にタフな人類なのである。

日本人がマラソンなどの長距離レースで、そこそこいけるのは当たり前なのだ。


桶川宿の入り口は庚申塔で始まる。
そういえば、疑問に思うことがある。
東海道では常夜灯が街道の脇に多くあったが、中仙道は庚申塚が多い。
この段階で、中仙道では殆ど常夜灯を見かけなかった。
また、逆に東海道では同様に庚申塚はあまりみない。

この疑問に答えられる方がいたら、是非、教えていただきい。
コメントいただけたらと思う。




表題写真の武村旅館である。
明治天皇巡幸の際、お供をした剣・禅・書の達人、山岡鉄舟が泊まった旅館である。



魚屋さんである。
古い建物が活きている。
「どじょう ウリマス」と書かれた紙が柱に貼られていた。
(マスは四角に斜めの線がはいった字)


そういえば、東京じゃ、魚屋は近所でもみかけなくなった。
実は、スーパーでも魚部門は他の部門のお荷物、赤字部門だと聞いたことがある。
海洋民族であった日本人は、欧米化とともに変化し、魚を食べなくなったのだ。

食べても、サーモンやエビ、ハンバーガーのフィレオフィッシュなどの骨のない輸入魚である。
骨がバッチリ入った面倒な魚は子供のみならず大人も食べなくなった。
時間をかけて、ゆっくり小骨のある魚をたべるという余裕がなくなってしまった。
考えてみると、魚を食べるということは時間の贅沢さが必要である。

俺には驚くべきことであるが、
新鮮で脂ののったサンマを焼いて、苦みのある内臓を身と混ぜながら食べたときの至福感
を知らない人が増えているのだ。
あの美味しさは、堪らない魅力がある。
子供には解らない大人の味の奥深さがあるのだ。
まさに、世界に誇る究極の日本食である。


魚大好き人間な俺には寂しいことであるが、このままで需要が減れば益々、魚は高くなるだろう。

ちなみに、俺のオヤジは魚は綺麗にせせるので、食べた後は「猫またぎ」になるのだが、それを見て育った俺も魚の食べ方は綺麗な方だと思う。


猫マタギのサンマ(だが、骨、頭まで食べてしまう人もいる)
写真は中国行きのスロウ・ボートより借りました。


おまんじゅう屋(紅花まんじゅうの店)

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良質な小麦から作られた小麦まんじゅうに、べに花の色素を練り込みほんのり黄色みがかった皮を作り上げた。+こしあんやつぶあんをその皮で包み、懐かしい味を再現したものである。
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と「ぐるなび」にかいてあった。
ちなみに桶川では、紅花で町おこしが盛んである。


桶川のベニバナ畑(ウィキペディアより)

紅花まんじゅう
紅花をすきこんだ手すきハガキ
紅花らっきょう
紅花大福
紅花染
紅花アイスクリーム
紅花うどん
紅花のスィーツ

等々である。


島村老沙茶舗(1854年創業)
美味しいお茶がありそうだ。


穀物問屋
素晴らしく堂々たる建物である。

上尾宿で最も気に入った建物だ。
この店先に穀物の袋が積み上げてあって繁盛している風景が容易に想像できる。


小林家住宅主屋(材木商)
2階窓の格子戸が美しい


真ん中に煙突があって、何かを焼いて売るお店だったような建物。
まだまだ、昔の面影がある。


明治24年創業の老舗、今福屋の製麺所 
左の隅に上木戸跡碑がある。
ここまでが上尾宿となる。



これは、もう歩道ではない。
向こうから、乳母車がやってきたので、俺は車道を走らなければならなかった。

埼玉県知事殿
これは、なんとか道幅を広げるべきだ。
危険極まりない!と思いますよ。



こんな立派な家が売りに出ていた。
「はたして、いくらなんだろうか?」と、金もないのに考えていた。
「でも、不便かな?」とか、「掃除や庭の手入れが大変だろうなぁ。」とか、御先祖様由来の由緒正しき貧乏人の夢は果てしなく続く…。



真言宗智山派多門寺である。

この寺の名前は隅田川七福神めぐりにもある多門寺と同じであり、同宗派である。
その場所は隅田川と荒川が今にもくっ付きそうなところで、京成関屋駅そばにある。

本尊も全く同じ毘沙門天である。
ネットで調べると、多門寺という名のお寺は全国にたくさんあるが、すべて真言宗で本尊は毘沙門天であるが、なぜなんだろうか?


寺の中にある推定樹齢200年のムクロジ(無患子)である。

この果実の種は羽根突きの黒玉になる。
また、皮の方はサポニンが多く含まれていて洗剤になるそうだ。




その隣にあったというか、同じ敷地にある一級社天神社である。

この神社には算額がある。
この詳細は神社脇にあった案内板を見てほしい。


どんな幾何の問題だったのか、興味があったが、ネットで調べてもよくわからなかった。
埼玉県には算額が多く奉納されていて、全国で3位である。
日本人は俺もそうだが、数学好きだと思う。

なお、興味のある方は国立国会図書館のHPで和算の歴史や問題が載っているので見るといい。
江戸の数学

また、
江戸時代にも数学好きな女の子がいたのだ!
平章子という人が1775年に和算の本を書いている。
その題は「算法少女」という格好いい題名がついている。
その実物は和算の館というところから公開されていて、これである。→算法少女
そして、これを小説にしたものがでている。

これは、いつか、マンガや朝のドラマででてきはしないだろうか?



この天神社で走るのは終わりにした。
夕方から麹町で飲み会があるからで、近くの北本駅から帰京した。

寒くても、やはり汗をかいているので四谷のしんみち通りにある銭湯の塩湯へ直行だ。
この風呂屋は、100年の歴史があり、今のところ、大好きな風呂屋ベスト5に入る。

もし、吉田類の酒場放浪記でしんみち通りあたりの酒場にくるなら、塩湯も取り上げてほしいものだ。



ここは、新宿区なので俺は無料入浴証でタダ。
60歳を超えたらもらえる新宿区の恩典である。

風呂上がりにコンビニで缶ビールを飲んでから、飲み会会場に直行したのだった。


(おわり)

<追記>

このブログへのUPは、仕事の合間など時間にゆとりのあるとき、また時にはビールなどを飲みながら、ニヤニヤしながらやっているのだが、実は、かなり遅れてしまっていることを報告したい。

実際は、すでに次の桶川宿~熊谷宿は1月中旬にもう走り終えてしまった。
どんどん、ラン旅の記録という自分への宿題がたまってしまっている状況だ。

だから、ちょっと夏休みの宿題に追われている子供のような気分である。

されど、このブログは自分自身への記録であるから、あまりいい加減な手抜きはしたくないと決めている。

だが、焦って宿題をやらなければならないときに限って、面白いことが発生するものだ。

3日後にインド洋の涙、スリランカへ2週間ほど貧乏旅行にいくことにしているのである。
自由な旅をしながら、自分自身を見つめなおす心の旅?日頃のストレスを発散するガス抜きの旅?カレーを中心にした食い倒れの旅?である。



記録よりも行動が先走ってしまうのは俺の性格で、ブログを見ていただいている方には申し訳ないけども、宿題はさらに先延ばしになってしまうことになった。

帰国したら、旧中仙道の旅と、スリランカの旅を同時平行にてUPしようと思っている。
できるかどうかわからないけど。





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NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
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