というわけで、大磯の浜には観光客らしき人たちがチラホラおりました。
浜の写真撮ったのですがうまく撮れないので他人のものをコピペタします。
この辺の浜は「こゆるぎ【小余呂伎の磯】の浜」というらしいです。
「こゆるぎ」とは「小揺るぎ」であって「ゆるやかな、ゆったりした」という意味が込められているらしいです。
ですが地震の多いこの地域、揺れ動く大地、浜の意味という考え方もあるらしいです。
万葉集には詠み人知らずの歌があり
------------ たのしい万葉集 より ------------
相模治乃 余呂伎能波麻乃 麻奈胡奈須
児良波可奈之久 於毛波流留可毛
(相模道(さがむぢ)の
余呂伎(よろぎ)の浜の真砂なす
児らはかなしく思はるゝかも)
意味: 相模(さがみ:今の神奈川県)の余綾(よろぎ)の浜の砂のように、あの娘(こ)のことが限りなくいとおしく思われる。
真砂(まなご)は、砂浜の細かな砂のことです。
また、「まなご」で「愛児(まなご:最愛の児)」をイメージさせているとも考えられます
-------------------------------------
大磯は古くて良い家が多いですね。
右側の写真は古くないけど、温室みたいな家なので撮りました。
1階も2階も一日中、暖かそうです。
察するに、家人は遊ぶのが上手な方とお見受けいたします。
小田原の近くまでずっと松並木でした。
東海道らしい感じで、すばらしい。
手入れは大変でしょうが、ずっと大事に育ててほしいものです。
滄浪閣(そうろうかく)といって政治家・伊藤博文の別邸です。
昔は、こんな感じ。
でも、なんだか、誰もいないみたいで活気がありません。
帰ってきてから、ネットで調べたら西武がここを持っていたけど、どこかに売却したらしい。
外資でしょうか?
大磯には、ちょっと道をはずれると使われてない?ような別荘があります。
それも、かなり大きく土地が広いです。
立派だけど薄暗い、人気のない別荘は古びた建物に蔦が強く絡もうとしていて、不景気の風がこの大磯にも靡いているのかなと、ちょっと寂しい感じがしました。
そんな別荘の脇の海岸に通ずるいい感じの細い道を入ってみました。
そこは、松を植えて公園にしようとしている緑地でした。
なかなかの景色。
西湘バイパスがあって、ちょっと邪魔だけど・・・。
(バイパスは折角の海岸の景色を台無しにしてますね。)
そんな緑地の奥に新しい別荘地がありました。
土地はそこそこだけど、建物は米国風というか、ディズニーランド風というか、自分にとっては一寸苦手な今風の建物が集まっていました。
道路も石畳にになっていて、高級住宅地として区画割して売られたものなんでしょう。
私には疲れてしまう家です。
住むなら、こういう古い家がいいです。
玄関や縁側が広くゆとりがあり 、特に日当たりのいい縁側のある家。
たとえば、こんな感じ
血洗川という生臭い川にかかる小さな橋
名前がびっくりな名前なので撮りました。
その昔、首でも洗った川なのかと思いましたが、しかし、いわれはそうではありませんでした。
血洗川→ウィキペディアより
---------------------
血洗川の近く、切通しの岩窟中に行基作と伝えられる地蔵があった(現在は大磯町国府本郷の西長院にあり「身代わり地蔵」と呼ばれている)。縁起によれば、源頼朝が鶴岡八幡宮に参拝した際、狼藉をはたらいた者がおり、梶原景時の子悪太郎景義が疑いをかけられた。この地蔵に帰依していた悪太郎はお参りに来た際に畠山重忠によって討たれた。だが、悪太郎の身体には傷はなく、代わりにこの地蔵が血を流し、その腕も刀傷を受けたかのようであった。その時に地蔵が流した血を洗ったことにより、この名がついたと言われている。
---------------------
これは吉田茂邸の前の東海道と通用門。
あたりは落ち葉がすごくて、かき分けて走ると子供のような気分になります。
中には入れません。
以前は見学ができたようですが、21年に火事があって修復中らしいです。
中はこんなかんじだそうです。(見れなくて残念!)
話はかわりますが、私の父は大工でしたが、この近くの平塚の政治家、河野一郎の家を建てたことがあります。
そのときは平塚御殿といわれ、写真もありますが、のちに右翼に焼き討ちされて全焼してしまいました。
大磯ロングビーチの看板があるあたりの川をわたり、しばらくいくと大きな鳥居があって六所神社と書かれてありました。
そこで、一休み&昼食をとることにしました。
実は、ここまで大して走っていないのですが、足が重くて…。
相模国総社六所神社…縁結びの神様で有名らしい。
ご祭神は櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)らしいが、よくわかりません。
相模国(現在の神奈川県)の有力な五大神様を合わせてお祀りしてるとのこと。
この付近、昔の国府(今でいうと神奈川県庁)があった場所だそうです。
これは、本殿脇の神輿倉庫にあった神輿です。
すぐカメラの自分の映像をみましたが、ノロウィルスから立ち直ったばかりの疲れた顔をしていました。
というか、年齢を感じてしまい、ガッカリです。(特に首のあたり)
日頃、鏡を見ないので、ガマガエルではありませんが、己が姿に冷や汗!!!
「こんなの嫌だ!」と思い、首を伸ばして再度撮り直し(表題の写真)
でも、やはり年齢を感じる写真!
おまけにバカ丸出し!
体を絞って若くならなければと思いました。
(つづく)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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浜の写真撮ったのですがうまく撮れないので他人のものをコピペタします。
この辺の浜は「こゆるぎ【小余呂伎の磯】の浜」というらしいです。
「こゆるぎ」とは「小揺るぎ」であって「ゆるやかな、ゆったりした」という意味が込められているらしいです。
ですが地震の多いこの地域、揺れ動く大地、浜の意味という考え方もあるらしいです。
万葉集には詠み人知らずの歌があり
------------ たのしい万葉集 より ------------
相模治乃 余呂伎能波麻乃 麻奈胡奈須
児良波可奈之久 於毛波流留可毛
(相模道(さがむぢ)の
余呂伎(よろぎ)の浜の真砂なす
児らはかなしく思はるゝかも)
意味: 相模(さがみ:今の神奈川県)の余綾(よろぎ)の浜の砂のように、あの娘(こ)のことが限りなくいとおしく思われる。
真砂(まなご)は、砂浜の細かな砂のことです。
また、「まなご」で「愛児(まなご:最愛の児)」をイメージさせているとも考えられます
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大磯は古くて良い家が多いですね。
右側の写真は古くないけど、温室みたいな家なので撮りました。
1階も2階も一日中、暖かそうです。
察するに、家人は遊ぶのが上手な方とお見受けいたします。
小田原の近くまでずっと松並木でした。
東海道らしい感じで、すばらしい。
手入れは大変でしょうが、ずっと大事に育ててほしいものです。
滄浪閣(そうろうかく)といって政治家・伊藤博文の別邸です。
昔は、こんな感じ。
でも、なんだか、誰もいないみたいで活気がありません。
帰ってきてから、ネットで調べたら西武がここを持っていたけど、どこかに売却したらしい。
外資でしょうか?
大磯には、ちょっと道をはずれると使われてない?ような別荘があります。
それも、かなり大きく土地が広いです。
立派だけど薄暗い、人気のない別荘は古びた建物に蔦が強く絡もうとしていて、不景気の風がこの大磯にも靡いているのかなと、ちょっと寂しい感じがしました。
そんな別荘の脇の海岸に通ずるいい感じの細い道を入ってみました。
そこは、松を植えて公園にしようとしている緑地でした。
なかなかの景色。
西湘バイパスがあって、ちょっと邪魔だけど・・・。
(バイパスは折角の海岸の景色を台無しにしてますね。)
そんな緑地の奥に新しい別荘地がありました。
土地はそこそこだけど、建物は米国風というか、ディズニーランド風というか、自分にとっては一寸苦手な今風の建物が集まっていました。
道路も石畳にになっていて、高級住宅地として区画割して売られたものなんでしょう。
私には疲れてしまう家です。
住むなら、こういう古い家がいいです。
玄関や縁側が広くゆとりがあり 、特に日当たりのいい縁側のある家。
たとえば、こんな感じ
血洗川という生臭い川にかかる小さな橋
名前がびっくりな名前なので撮りました。
その昔、首でも洗った川なのかと思いましたが、しかし、いわれはそうではありませんでした。
血洗川→ウィキペディアより
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血洗川の近く、切通しの岩窟中に行基作と伝えられる地蔵があった(現在は大磯町国府本郷の西長院にあり「身代わり地蔵」と呼ばれている)。縁起によれば、源頼朝が鶴岡八幡宮に参拝した際、狼藉をはたらいた者がおり、梶原景時の子悪太郎景義が疑いをかけられた。この地蔵に帰依していた悪太郎はお参りに来た際に畠山重忠によって討たれた。だが、悪太郎の身体には傷はなく、代わりにこの地蔵が血を流し、その腕も刀傷を受けたかのようであった。その時に地蔵が流した血を洗ったことにより、この名がついたと言われている。
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これは吉田茂邸の前の東海道と通用門。
あたりは落ち葉がすごくて、かき分けて走ると子供のような気分になります。
中には入れません。
以前は見学ができたようですが、21年に火事があって修復中らしいです。
中はこんなかんじだそうです。(見れなくて残念!)
話はかわりますが、私の父は大工でしたが、この近くの平塚の政治家、河野一郎の家を建てたことがあります。
そのときは平塚御殿といわれ、写真もありますが、のちに右翼に焼き討ちされて全焼してしまいました。
大磯ロングビーチの看板があるあたりの川をわたり、しばらくいくと大きな鳥居があって六所神社と書かれてありました。
そこで、一休み&昼食をとることにしました。
実は、ここまで大して走っていないのですが、足が重くて…。
相模国総社六所神社…縁結びの神様で有名らしい。
ご祭神は櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)らしいが、よくわかりません。
相模国(現在の神奈川県)の有力な五大神様を合わせてお祀りしてるとのこと。
この付近、昔の国府(今でいうと神奈川県庁)があった場所だそうです。
これは、本殿脇の神輿倉庫にあった神輿です。
すぐカメラの自分の映像をみましたが、ノロウィルスから立ち直ったばかりの疲れた顔をしていました。
というか、年齢を感じてしまい、ガッカリです。(特に首のあたり)
日頃、鏡を見ないので、ガマガエルではありませんが、己が姿に冷や汗!!!
「こんなの嫌だ!」と思い、首を伸ばして再度撮り直し(表題の写真)
でも、やはり年齢を感じる写真!
おまけにバカ丸出し!
体を絞って若くならなければと思いました。
(つづく)
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