大久保を9時ごろ出発し、平塚に着いたのは10:40頃だった。
ノロウィルスにひどくやられてから、久しぶりに長く走ってみようとおもった。
駅で水とお握り2個を購入し、前回、走ったところまで準備体操を兼ねながら早歩きで向かった。
そこから、ランニング開始。
天気も薄暗い曇りであり、とても肌寒い。
足元が寒いのでCWXの下着にCWXのタイツをはき、さらにCWXのスポーツ腹巻に短パン、そのうえにジャージのという完全武装で望んだ。
うえは、CWXの柔流にTシャツ、そしてウィンドブレーカー。
CWXばかりだが、ワコールからは何ももらっていない。
誰もがそうだろうけど、寒いと走る気がしなくなる。
やはり、本音は猫のように炬燵でグウタラ丸くなりたいものだ。
だが、「東海道膝痛シ」をやると決めた以上、最後まで貫きたい。
その気持ちが、そして目標が、寒さで膠着した体を動かし、健康維持しようとするテンションを支えているようだ。
それに、走るとすぐに熱くなるから、走り出したら以外に気分がいい。
ジャージはものの数分で脱いでしまった。
ただ、体調の悪化から長い間、走っていなかったので、足が重かった。
なんだか、鉛の板が靴底に張り付いているように感じた。
こんな状態では、1月の若潮マラソンは完走もおぼつかない。
(くそっ、愚痴を言ってしまった。)
そんなことをフツフツと考えながら、とにかく、ユックリ、トロトロ走った。
花水橋をすぎたあたりから、小田原にいたるまで私好みの古い家や蔵がいたるところに見られた。
あまりにも、たくさんあるので、今回はあまり写真に撮らなかったが、直感的に豊かな土地であることがわかる。
大磯はやはり豊かなところなのだ。
ここが豊かなのは、古の時代からであるのが以下に述べるが、帰ってきて調べたらわかったのである。
平塚から東海道沿いに走ると、大磯の高麗山が正面にみえ、まるで大盛りご飯のように綺麗な丸い形で、
日本画家、加山又造の山みたいである。
とにかく、なんだか象徴的な「ザ・日本の里山」的な山で美しいのだ。
(写真は湘南の奥座敷 大磯より)・・・実際はこの写真よりもっと盛り上がって見える!
このほうが実際に感じた山に近い。(ロイヤルホームセンター平塚店から見た高麗山)
(また、安藤広重の東海道五十三次のうち平塚、大磯の浮世絵のバックの山は明らかに高麗山である。広重も高麗山の美しさを感じたからこそ、2枚の浮世絵に描きこんだのだろう。)
本当にこんな感じの山なのである。
象徴的な山で、比較的なだらかな麓から一気に丸く盛り上がった山である。
まるで、円墳であるかのようにみえる。
(あとでわかったが、そのあたりは古墳があるのであった。
縄文人も美しいと思っただろう。
それに、高さもあるから津波でもお墓を守れる十分OKな高度があるのだ。
古の人たちは高麗山のそばにいることが安全であることもわかっていたのである。)
海岸から山に向かって高来神社がある。
高麗というと、埼玉の高麗(子供が小さいころ、高麗へ川遊びによく連れていった。)を思い浮かべる人が多いだろう。
あの曼珠沙華が咲き乱れる高麗(巾着田)である。
その高麗と大磯が深い係わりがあるということ帰ってきてから調べてわかった。
即ち、大磯は埼玉県の高麗と同様に朝鮮の高麗(高句麗)と大きな係わりがあるのである。
高句麗の渡来人が上陸したのが大磯だった。
そして、その渡来人が埼玉県日高市の高麗に移り住んだのである。
まず、大磯は朝鮮語で「いらっしゃい」の意味だという。
(おまけに、箱根のハコは朝鮮の古語で神仙、ネは山嶺。近くには秦氏に関係する大秦野もある。)
渡来人の上陸により、このあたり一帯に豊かな高麗文化をもたらし、新しい農業技術ももたらした大磯。
だから、このあたり(高麗2丁目あたり)は何か他とは違う豊かな雰囲気が感じられた。
走る前は何も調べず行き当たりばったりの旅だから、全くの既成概念なしで、純粋にいい土地だと思った。
なんだか、心が洗われるような美しい土地、そんな感じがした。
この辺りなら住んでみたい。
正直、そう思うような土地である。
(取れたての新鮮な野菜が道端で売ってます。)
蔵を利用した喫茶店
大磯の鴫立庵(しぎたつあん):京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び、日本三大俳諧道場の一つとされるらしい?
一種の学習塾だろうか?
俳諧???
俳句と俳諧には違いがあるらしい。→連句とはなんぞや?
・・・ううん、なるほどね???。
この庵は西行が詠んだ歌から造られたらしい。
こころなき身にもあはれは知られけり
鴫(しぎ)たつ澤(さわ)の秋の夕ぐれ
注:鴫立沢 神奈川県中郡大磯町西部の渓流。
僕のような無骨者にも、この大磯の冬景色には「あはれ」と感動したのだ。
こんな、市場原理主義なヒステリックな世の中だが、こんな人間らしい生活のできる土地があって日々生活している人たちがいるのはホッとするのだ。
その鴫立庵の脇に道があり、海岸がすぐちかくに見えていたので、「東海道膝痛シ」で初めて、浜辺に寄ってみた。
やはり、海は気持ちがいい。
心が癒されるねぇ~!
嗚呼!「あはれなり」
あはれ:しみじみとした趣。しみじみとわき上がってくる気持ち。(学研全訳古語辞典より)
(つづく)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
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悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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ノロウィルスにひどくやられてから、久しぶりに長く走ってみようとおもった。
駅で水とお握り2個を購入し、前回、走ったところまで準備体操を兼ねながら早歩きで向かった。
そこから、ランニング開始。
天気も薄暗い曇りであり、とても肌寒い。
足元が寒いのでCWXの下着にCWXのタイツをはき、さらにCWXのスポーツ腹巻に短パン、そのうえにジャージのという完全武装で望んだ。
うえは、CWXの柔流にTシャツ、そしてウィンドブレーカー。
CWXばかりだが、ワコールからは何ももらっていない。
誰もがそうだろうけど、寒いと走る気がしなくなる。
やはり、本音は猫のように炬燵でグウタラ丸くなりたいものだ。
だが、「東海道膝痛シ」をやると決めた以上、最後まで貫きたい。
その気持ちが、そして目標が、寒さで膠着した体を動かし、健康維持しようとするテンションを支えているようだ。
それに、走るとすぐに熱くなるから、走り出したら以外に気分がいい。
ジャージはものの数分で脱いでしまった。
ただ、体調の悪化から長い間、走っていなかったので、足が重かった。
なんだか、鉛の板が靴底に張り付いているように感じた。
こんな状態では、1月の若潮マラソンは完走もおぼつかない。
(くそっ、愚痴を言ってしまった。)
そんなことをフツフツと考えながら、とにかく、ユックリ、トロトロ走った。
花水橋をすぎたあたりから、小田原にいたるまで私好みの古い家や蔵がいたるところに見られた。
あまりにも、たくさんあるので、今回はあまり写真に撮らなかったが、直感的に豊かな土地であることがわかる。
大磯はやはり豊かなところなのだ。
ここが豊かなのは、古の時代からであるのが以下に述べるが、帰ってきて調べたらわかったのである。
平塚から東海道沿いに走ると、大磯の高麗山が正面にみえ、まるで大盛りご飯のように綺麗な丸い形で、
日本画家、加山又造の山みたいである。
とにかく、なんだか象徴的な「ザ・日本の里山」的な山で美しいのだ。
(写真は湘南の奥座敷 大磯より)・・・実際はこの写真よりもっと盛り上がって見える!
このほうが実際に感じた山に近い。(ロイヤルホームセンター平塚店から見た高麗山)
(また、安藤広重の東海道五十三次のうち平塚、大磯の浮世絵のバックの山は明らかに高麗山である。広重も高麗山の美しさを感じたからこそ、2枚の浮世絵に描きこんだのだろう。)
本当にこんな感じの山なのである。
象徴的な山で、比較的なだらかな麓から一気に丸く盛り上がった山である。
まるで、円墳であるかのようにみえる。
(あとでわかったが、そのあたりは古墳があるのであった。
縄文人も美しいと思っただろう。
それに、高さもあるから津波でもお墓を守れる十分OKな高度があるのだ。
古の人たちは高麗山のそばにいることが安全であることもわかっていたのである。)
海岸から山に向かって高来神社がある。
高麗というと、埼玉の高麗(子供が小さいころ、高麗へ川遊びによく連れていった。)を思い浮かべる人が多いだろう。
あの曼珠沙華が咲き乱れる高麗(巾着田)である。
その高麗と大磯が深い係わりがあるということ帰ってきてから調べてわかった。
即ち、大磯は埼玉県の高麗と同様に朝鮮の高麗(高句麗)と大きな係わりがあるのである。
高句麗の渡来人が上陸したのが大磯だった。
そして、その渡来人が埼玉県日高市の高麗に移り住んだのである。
まず、大磯は朝鮮語で「いらっしゃい」の意味だという。
(おまけに、箱根のハコは朝鮮の古語で神仙、ネは山嶺。近くには秦氏に関係する大秦野もある。)
渡来人の上陸により、このあたり一帯に豊かな高麗文化をもたらし、新しい農業技術ももたらした大磯。
だから、このあたり(高麗2丁目あたり)は何か他とは違う豊かな雰囲気が感じられた。
走る前は何も調べず行き当たりばったりの旅だから、全くの既成概念なしで、純粋にいい土地だと思った。
なんだか、心が洗われるような美しい土地、そんな感じがした。
この辺りなら住んでみたい。
正直、そう思うような土地である。
(取れたての新鮮な野菜が道端で売ってます。)
蔵を利用した喫茶店
大磯の鴫立庵(しぎたつあん):京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び、日本三大俳諧道場の一つとされるらしい?
一種の学習塾だろうか?
俳諧???
俳句と俳諧には違いがあるらしい。→連句とはなんぞや?
・・・ううん、なるほどね???。
この庵は西行が詠んだ歌から造られたらしい。
こころなき身にもあはれは知られけり
鴫(しぎ)たつ澤(さわ)の秋の夕ぐれ
注:鴫立沢 神奈川県中郡大磯町西部の渓流。
僕のような無骨者にも、この大磯の冬景色には「あはれ」と感動したのだ。
こんな、市場原理主義なヒステリックな世の中だが、こんな人間らしい生活のできる土地があって日々生活している人たちがいるのはホッとするのだ。
その鴫立庵の脇に道があり、海岸がすぐちかくに見えていたので、「東海道膝痛シ」で初めて、浜辺に寄ってみた。
やはり、海は気持ちがいい。
心が癒されるねぇ~!
嗚呼!「あはれなり」
あはれ:しみじみとした趣。しみじみとわき上がってくる気持ち。(学研全訳古語辞典より)
(つづく)
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