あけまして、おめでとうございます。
本年もよろしくお願い申しあげます。
新年早々、まずはお詫びを!
一部の方にお出しした年賀状ですが、なんと間抜けなことですが、自分の名前を書き忘れて出してしまいました。
しかも七草が近い今頃になって気づきました。
ここに、謹んでお詫び申し上げます。
再度、出しなおす気力がありません。
失礼の段ご容赦ください。
さて、年末年始が入り、ちょっと旅ランの記憶が曖昧になってまいりましたが、続きを掲載します。
さて、国道一号から吾妻神社入り口という信号(駅だと二宮あたり)のところで旧東海道はちょっと迂回します。
ここで、私より1世代上の方で上品な感じの背筋がピンとした夫婦連れの方が東海道の案内をもってウォーキングされていました。
JRの宣伝にでもなりそうな、なかなか、絵になる風景だったんですが、写真撮り忘れました。
自分も歳を重ねたら、あんな感じになるんだろうか、それともバカボンのパパみたいな感じになるんだろうか、などとくだらないことを考えながら、横を走りすぎました。(’こういうことって、よく覚えてます。)
この辺には海辺らしく、醤油醸造所(ヤマニ醤油株式会社)がありました。
そこで、気が付いたんですが、門の左に鎮座している釜。
これは保土ヶ谷の香象院というお寺の入り口にあった大きな釜と同じじゃありませんか!
→東海道走膝痛シ・・・川崎~戸塚・その4(大釜の謎)参照のこと
(左が醸造所の釜、右が香象院の釜)
>謎は解けた!
たぶん、間違いないと思います。
あの釜は醤油を作る釜だった、そう確信しました。
あとで、調べたら、この二宮は醤油で有名な場所だったらしいです。
峯尾醤油という老舗もあったらしけど、やめてしまったそうです。→参考 東京から一時間の田舎暮らし! 「湘南番外地スローライフ」
表題の絵は、やめてしまった峯尾醤油の栞(しおり)
その栞には次のように書かれていたそうです。
「江戸時代に作られた木桶の三十五石桶を使用し、昔ながらに天然本醸造の醤油を造っています。短期醸造が一般化しているなかで、一年二ケ月から二年かけて贅沢に仕込むという古来からの製法で造られた醤油は、味も香りもまさに琥珀色の逸品です。」
話は戻りますが、醤油作りをやめてしまった香象院の檀家あたりが寄贈したんでしょうか?
香象院でも釜の由来がわからないくらいですから、相当昔の話なんでしょうけど。
いま、思うと重くても醤油買ってくれば良かったです。
お酒なら、間違いなく買ってくるのですが、お醤油では…飲めないです(笑)
藤で有名な等覚院。
藤は個人的に好きな花です。
僕が育った西新井大師も綺麗な藤棚があります。
さて、再び国道1号線と合流するのですが、その合流地点で「魚処にしけん」いう店の金目の煮付けの看板が目立っておりました。
この辺で大好物の金目の煮付けを食べながら一杯やりたいところなのですが、まだ目的の半分も走っておらず、我慢、我慢。
国道から、またちょっと外れるのですが、押切坂といって箱根駅伝の二宮中継所のあるあたり。
この辺で、露天商が開店準備してました。
とくに、あたりに神社仏閣があるわけでなく、なぜなんだろう?とおもいつつ、松屋本陣跡を通り過ぎます。
この本陣も個人宅の過度に碑が立っているだけで跡形もないです。
その坂が国道と再び合流するあたりに立派ですが、奇妙な建物がありました。
お花茶屋&夢科学工房という建物らしいです。
ネットで調べたんですが、いまいちよくわかりません。
この建物ですが、箱根駅伝のTV中継でよく映ってました。
(箱根駅伝は今まで走ってきたところと重なるところがあって、見ていて楽しかった。
そして、これから走る5区の小田原~箱根間の大変さにビックリしています。
あと、ここから小田原まで車や電車でなく実際に走っているので距離感がわかる。
大げさにいえば、日本の大きさが体感として感じられる気がします。)
押切川を渡ると、海を見ながら走れるようになりました。
前川というところに立派な大山道道標がありました。
--------ウィキペディアより----------------
大山道
大山道(おおやまみち・おおやまどう)とは、主に江戸時代の関東各地から、相模国大山にある大山阿夫利神社への参詣者が通った古道の総称
大山阿夫利神社
大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ) は、神奈川県伊勢原市の大山(別名:雨降山〈あふりやま〉)にある神社である。
「阿武利」とも表記し、「あぶり」とも読む。
------------------------------------------
この関東のあちこちに大山道という古道を探索するハイキングがあるみたいですが、面白そうです。
普段、なにも知らずに登っていた大山ですが、霊山なんですね。
しらなかった。
しばらくすると、国府津(こうづ)というあたりに至るのですが、これが真面には読めません。
「くにふつ」か、「こくふつ」かと思っていました。
道路標識にかかれたローマ字でわかりました。
国府の港という意味らしいです。
まあ、だからどうした?と言われれば、それだけの話なんですけど。
酒匂川の手前にある旧川辺本陣。
だけど、長屋門には「社会福祉法人ゆりかご園」となっていて説明書きなど全くありません。
ですが、だれが見ても普通のものではない立派な建物です。
これは、昔のままなんでしょうか?
それとも近年、改築されたものなんでしょうか?
ネットで調べてもわかりませんでした。
その、旧川辺本陣前の不動尊です。
このあたりから、ちょっと疲れてきました。
目的地の小田原駅まではもうすこしです。
走っていたら、公園のようなところに大樹がみえました。
まるで、盆栽みたい。
ここが、どこでなんというところか、記憶がありません。
ただ、綺麗な見とれてしまう大樹だなぁという印象だけが残っています。
疲れてるからだと思います。
このあと、酒匂川を渡ると新田義貞の首塚があるのですが、パスしてしまいました。
その直後にある大河ドラマ「風林火山」で家臣に売られた悲劇の上杉龍若丸の墓もパス。
国道から旧東海道はちょっと外れるのですが、両方とも確実に其の前を通っているはずなのに…。
今回、ここまで不思議なことなのですが藤沢の義経首洗い首洗い井戸、とか平塚の怪談「番町皿屋敷」の主人公として有名なお菊の墓とか、見ようとおもっても見つからない。
まあ、見なくてもいいですけど。
(つづく)
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一部の方にお出しした年賀状ですが、なんと間抜けなことですが、自分の名前を書き忘れて出してしまいました。
しかも七草が近い今頃になって気づきました。
ここに、謹んでお詫び申し上げます。
再度、出しなおす気力がありません。
失礼の段ご容赦ください。
さて、年末年始が入り、ちょっと旅ランの記憶が曖昧になってまいりましたが、続きを掲載します。
さて、国道一号から吾妻神社入り口という信号(駅だと二宮あたり)のところで旧東海道はちょっと迂回します。
ここで、私より1世代上の方で上品な感じの背筋がピンとした夫婦連れの方が東海道の案内をもってウォーキングされていました。
JRの宣伝にでもなりそうな、なかなか、絵になる風景だったんですが、写真撮り忘れました。
自分も歳を重ねたら、あんな感じになるんだろうか、それともバカボンのパパみたいな感じになるんだろうか、などとくだらないことを考えながら、横を走りすぎました。(’こういうことって、よく覚えてます。)
この辺には海辺らしく、醤油醸造所(ヤマニ醤油株式会社)がありました。
そこで、気が付いたんですが、門の左に鎮座している釜。
これは保土ヶ谷の香象院というお寺の入り口にあった大きな釜と同じじゃありませんか!
→東海道走膝痛シ・・・川崎~戸塚・その4(大釜の謎)参照のこと
(左が醸造所の釜、右が香象院の釜)
>謎は解けた!
たぶん、間違いないと思います。
あの釜は醤油を作る釜だった、そう確信しました。
あとで、調べたら、この二宮は醤油で有名な場所だったらしいです。
峯尾醤油という老舗もあったらしけど、やめてしまったそうです。→参考 東京から一時間の田舎暮らし! 「湘南番外地スローライフ」
表題の絵は、やめてしまった峯尾醤油の栞(しおり)
その栞には次のように書かれていたそうです。
「江戸時代に作られた木桶の三十五石桶を使用し、昔ながらに天然本醸造の醤油を造っています。短期醸造が一般化しているなかで、一年二ケ月から二年かけて贅沢に仕込むという古来からの製法で造られた醤油は、味も香りもまさに琥珀色の逸品です。」
話は戻りますが、醤油作りをやめてしまった香象院の檀家あたりが寄贈したんでしょうか?
香象院でも釜の由来がわからないくらいですから、相当昔の話なんでしょうけど。
いま、思うと重くても醤油買ってくれば良かったです。
お酒なら、間違いなく買ってくるのですが、お醤油では…飲めないです(笑)
藤で有名な等覚院。
藤は個人的に好きな花です。
僕が育った西新井大師も綺麗な藤棚があります。
さて、再び国道1号線と合流するのですが、その合流地点で「魚処にしけん」いう店の金目の煮付けの看板が目立っておりました。
この辺で大好物の金目の煮付けを食べながら一杯やりたいところなのですが、まだ目的の半分も走っておらず、我慢、我慢。
国道から、またちょっと外れるのですが、押切坂といって箱根駅伝の二宮中継所のあるあたり。
この辺で、露天商が開店準備してました。
とくに、あたりに神社仏閣があるわけでなく、なぜなんだろう?とおもいつつ、松屋本陣跡を通り過ぎます。
この本陣も個人宅の過度に碑が立っているだけで跡形もないです。
その坂が国道と再び合流するあたりに立派ですが、奇妙な建物がありました。
お花茶屋&夢科学工房という建物らしいです。
ネットで調べたんですが、いまいちよくわかりません。
この建物ですが、箱根駅伝のTV中継でよく映ってました。
(箱根駅伝は今まで走ってきたところと重なるところがあって、見ていて楽しかった。
そして、これから走る5区の小田原~箱根間の大変さにビックリしています。
あと、ここから小田原まで車や電車でなく実際に走っているので距離感がわかる。
大げさにいえば、日本の大きさが体感として感じられる気がします。)
押切川を渡ると、海を見ながら走れるようになりました。
前川というところに立派な大山道道標がありました。
--------ウィキペディアより----------------
大山道
大山道(おおやまみち・おおやまどう)とは、主に江戸時代の関東各地から、相模国大山にある大山阿夫利神社への参詣者が通った古道の総称
大山阿夫利神社
大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ) は、神奈川県伊勢原市の大山(別名:雨降山〈あふりやま〉)にある神社である。
「阿武利」とも表記し、「あぶり」とも読む。
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この関東のあちこちに大山道という古道を探索するハイキングがあるみたいですが、面白そうです。
普段、なにも知らずに登っていた大山ですが、霊山なんですね。
しらなかった。
しばらくすると、国府津(こうづ)というあたりに至るのですが、これが真面には読めません。
「くにふつ」か、「こくふつ」かと思っていました。
道路標識にかかれたローマ字でわかりました。
国府の港という意味らしいです。
まあ、だからどうした?と言われれば、それだけの話なんですけど。
酒匂川の手前にある旧川辺本陣。
だけど、長屋門には「社会福祉法人ゆりかご園」となっていて説明書きなど全くありません。
ですが、だれが見ても普通のものではない立派な建物です。
これは、昔のままなんでしょうか?
それとも近年、改築されたものなんでしょうか?
ネットで調べてもわかりませんでした。
その、旧川辺本陣前の不動尊です。
このあたりから、ちょっと疲れてきました。
目的地の小田原駅まではもうすこしです。
走っていたら、公園のようなところに大樹がみえました。
まるで、盆栽みたい。
ここが、どこでなんというところか、記憶がありません。
ただ、綺麗な見とれてしまう大樹だなぁという印象だけが残っています。
疲れてるからだと思います。
このあと、酒匂川を渡ると新田義貞の首塚があるのですが、パスしてしまいました。
その直後にある大河ドラマ「風林火山」で家臣に売られた悲劇の上杉龍若丸の墓もパス。
国道から旧東海道はちょっと外れるのですが、両方とも確実に其の前を通っているはずなのに…。
今回、ここまで不思議なことなのですが藤沢の義経首洗い首洗い井戸、とか平塚の怪談「番町皿屋敷」の主人公として有名なお菊の墓とか、見ようとおもっても見つからない。
まあ、見なくてもいいですけど。
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