11月25日、日曜日、快晴。
朝ゆっくり起きて、新宿でコーヒーを飲み、おもむろにJR湘南新宿ラインにのり、遠藤周作の「海と毒薬」を読みながら戸塚までいく。
比較的早く着いた。
朝の戸塚は肌寒い。
まずは前回のゴールだった駅の東口にある矢部の湯まで戻り、風呂屋の陰でランニングスタイルに着替えて出発。
ザックも夏場とちがい、パンパンで重い。
まずは澤邉さん宅にある澤邉本陣跡にすぐ着く。
(澤邉さんの御先祖様は、明治時代には本陣であった自宅を開放して子供たちのために寺子屋を開くなど学問の普及にも力を注いだそうです。)
そこから、すぐまたそばにある八坂神社(通称、お天王さま)
ここでは「男子十数人が姉さんかぶりに襷がけの女装をして裾をからげ、渋うちわを持ち、うち音頭取りの一人はボテカズラをかぶり」、お札をまいて歩くお祭り『お札まき』があるらしい。
そう立札に書いてあった。
そこで、どんなもんかネットで調べてみたが、それがコレ
(画像はCan Parkより)
これは相当珍しい変わったお祭りだ。
学園祭の乗りに近い。
こんな近くにこんな衝撃的なお祭りがあったとは、・・・これは、日本珍百景になりうる。
その動画がコレ→お札まき
ちょっとグロテスクだけど、面白い!
機会があれば、直接みてみたいお祭りである。
さて、そのすぐそばには戸塚の地名の由来になった富塚八幡宮があった。
塚と言うぐらいだから、鬱蒼とした森の中の古墳である。
全体は一寸眼には、わからないがネット調べたら前方後円墳だという。
たしかに、地図の等高線で見るとそれらしい形状をしている。
そして、その前に東海道があるのだが、神代の時代から東海道はあったのだろう。
東海道は、はるか昔マンモスがのし歩いていたころ?からあったのだ!・・・たぶん?。
そこでは丁度、七五三のお祝いをしていた。
思い出せば、うちの子供たちも七五三は地元の八幡宮にいったのだった。
そこは土支田八幡宮という小さな神社で、地元鎮守の森の中にあったけれど、ここの八幡宮も古墳を中心とした鎮守の森の中にある。
話は脱線するが、神社と森というと日本のダヴィンチ、自然保護運動における先達、破天荒かつ偉大な人物、である南方熊楠を思い出す。
----------ウィキペディアより-------------
1906年(明治39年)末に布告された「神社合祀令」によって土着の信仰・習俗が毀損され、また神社林(いわゆる「鎮守の森」)が伐採されて固有の生態系が破壊されてしまうことを憂い、翌1907年(明治40年)より神社合祀反対運動を起こした。今日、この運動は自然保護運動、あるいはエコロジー活動の先がけとして高く評価されており、その活動は、2004年(平成16年)に世界遺産(文化遺産)にも登録された熊野古道が今に残る端緒ともなっている。
-----------------------------------------
こういった森の中にいると人は優しい穏やかな気持ちになるものだが、考えてみると、古代日本人は農林漁業のもと、信仰の対象を神社というよりも、森そのもの 自然、宇宙そのものとしたのだから、もともと日本人には、そのような素養が遺伝子の中にあり、従って、グローバリズムなどというカッチョイイ名前をつけながら、実のところハゲタカイズムであるところの、狩猟民族的なヒステリックな考えが主流な今の世の中では、日本人なら反原発的自然回帰的思考の人が増えるのは当たり前の現象なのであると思った。
考えてみれば、今の私も朝は早稲田の穴八幡までランニングしている。
八幡さまとは何者なんだろうか?
八幡→やはた(九州)→やまた→ヤマタノオロチ(九州の野蛮人)→九州の卑弥呼(スサノオ伝説)→卑弥呼の墓(八幡神社の総本山である宇佐八幡宮の比売大神=ヒメミコ=卑弥呼)・・・『卑弥呼の墓は宇佐八幡宮にある』を参照にしてください。
という繋がりがあるかのような話を聞いたことがある。
もしかしたら、この私もはるか昔の卑弥呼の影響を受けているのかもしれない???
いかん、いかん、話がどんどん逸れている
さて、七五三のお祝いだが、昔は、子供の死亡率がとても高かったから7歳まで生成長できたら、本当にめでたいことであっただろう。
そういえば、『子供は宝』である、という言い方をするが、方や、『古の時代では鏡は宝』である。
そして、『子供は親の鏡である』という言い方もするわけで三角関係が生ずるのは皮肉?偶然の一致?
・・・不思議である。
というような夢の中の妄想事のようなことをマタマタ漠然と考えながら、トロトロ走りだしたのだった。
途中の石仏だが、相当古いように思われた。
ここで水分補給した。
まだ、数百メートルしか走ってない。
(つづく)
表題の画像は『魔王復活!ヤマタノオロチ降臨 』よりコピペタしました。
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悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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朝ゆっくり起きて、新宿でコーヒーを飲み、おもむろにJR湘南新宿ラインにのり、遠藤周作の「海と毒薬」を読みながら戸塚までいく。
比較的早く着いた。
朝の戸塚は肌寒い。
まずは前回のゴールだった駅の東口にある矢部の湯まで戻り、風呂屋の陰でランニングスタイルに着替えて出発。
ザックも夏場とちがい、パンパンで重い。
まずは澤邉さん宅にある澤邉本陣跡にすぐ着く。
(澤邉さんの御先祖様は、明治時代には本陣であった自宅を開放して子供たちのために寺子屋を開くなど学問の普及にも力を注いだそうです。)
そこから、すぐまたそばにある八坂神社(通称、お天王さま)
ここでは「男子十数人が姉さんかぶりに襷がけの女装をして裾をからげ、渋うちわを持ち、うち音頭取りの一人はボテカズラをかぶり」、お札をまいて歩くお祭り『お札まき』があるらしい。
そう立札に書いてあった。
そこで、どんなもんかネットで調べてみたが、それがコレ
(画像はCan Parkより)
これは相当珍しい変わったお祭りだ。
学園祭の乗りに近い。
こんな近くにこんな衝撃的なお祭りがあったとは、・・・これは、日本珍百景になりうる。
その動画がコレ→お札まき
ちょっとグロテスクだけど、面白い!
機会があれば、直接みてみたいお祭りである。
さて、そのすぐそばには戸塚の地名の由来になった富塚八幡宮があった。
塚と言うぐらいだから、鬱蒼とした森の中の古墳である。
全体は一寸眼には、わからないがネット調べたら前方後円墳だという。
たしかに、地図の等高線で見るとそれらしい形状をしている。
そして、その前に東海道があるのだが、神代の時代から東海道はあったのだろう。
東海道は、はるか昔マンモスがのし歩いていたころ?からあったのだ!・・・たぶん?。
そこでは丁度、七五三のお祝いをしていた。
思い出せば、うちの子供たちも七五三は地元の八幡宮にいったのだった。
そこは土支田八幡宮という小さな神社で、地元鎮守の森の中にあったけれど、ここの八幡宮も古墳を中心とした鎮守の森の中にある。
話は脱線するが、神社と森というと日本のダヴィンチ、自然保護運動における先達、破天荒かつ偉大な人物、である南方熊楠を思い出す。
----------ウィキペディアより-------------
1906年(明治39年)末に布告された「神社合祀令」によって土着の信仰・習俗が毀損され、また神社林(いわゆる「鎮守の森」)が伐採されて固有の生態系が破壊されてしまうことを憂い、翌1907年(明治40年)より神社合祀反対運動を起こした。今日、この運動は自然保護運動、あるいはエコロジー活動の先がけとして高く評価されており、その活動は、2004年(平成16年)に世界遺産(文化遺産)にも登録された熊野古道が今に残る端緒ともなっている。
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こういった森の中にいると人は優しい穏やかな気持ちになるものだが、考えてみると、古代日本人は農林漁業のもと、信仰の対象を神社というよりも、森そのもの 自然、宇宙そのものとしたのだから、もともと日本人には、そのような素養が遺伝子の中にあり、従って、グローバリズムなどというカッチョイイ名前をつけながら、実のところハゲタカイズムであるところの、狩猟民族的なヒステリックな考えが主流な今の世の中では、日本人なら反原発的自然回帰的思考の人が増えるのは当たり前の現象なのであると思った。
考えてみれば、今の私も朝は早稲田の穴八幡までランニングしている。
八幡さまとは何者なんだろうか?
八幡→やはた(九州)→やまた→ヤマタノオロチ(九州の野蛮人)→九州の卑弥呼(スサノオ伝説)→卑弥呼の墓(八幡神社の総本山である宇佐八幡宮の比売大神=ヒメミコ=卑弥呼)・・・『卑弥呼の墓は宇佐八幡宮にある』を参照にしてください。
という繋がりがあるかのような話を聞いたことがある。
もしかしたら、この私もはるか昔の卑弥呼の影響を受けているのかもしれない???
いかん、いかん、話がどんどん逸れている
さて、七五三のお祝いだが、昔は、子供の死亡率がとても高かったから7歳まで生成長できたら、本当にめでたいことであっただろう。
そういえば、『子供は宝』である、という言い方をするが、方や、『古の時代では鏡は宝』である。
そして、『子供は親の鏡である』という言い方もするわけで三角関係が生ずるのは皮肉?偶然の一致?
・・・不思議である。
というような夢の中の妄想事のようなことをマタマタ漠然と考えながら、トロトロ走りだしたのだった。
途中の石仏だが、相当古いように思われた。
ここで水分補給した。
まだ、数百メートルしか走ってない。
(つづく)
表題の画像は『魔王復活!ヤマタノオロチ降臨 』よりコピペタしました。
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