自転車屋ではない、むしろ呉服屋?みたいなショーウィンドウに飾られた自転車と、
ガラスに映るランニング姿の俺(掛川城そばにて)
<話の続き>
駅のコンビニで購入したお握りやスナック菓子は走りながらチョコチョコ食べていた。
こんなブラブラ走りでも結構お腹が空くものである。
東海道を走り始めたころは、意外と食欲はなく、ひたすら水分補給のみであった。
だが、前回ぐらいから余裕が出たのか、よくお腹が空く。
しかも、お握りぐらいなら、食べてすぐ走り出してもモタれることもなく、走りながら体中にエネルギーが充填されていく感じがするようになった。
いまのところ、日本人だからだろうか?
弥生時代から食べられていたお握りがもっともチャージ力がある気がするのは・・・。
TVによくでる料理研究家の土井善晴氏はウルトラマラソンランナーで有名だが、レース前のエネルギー補給として、レース前日の食事に三合のご飯を炊いて、おにぎりを作り、三食の間にそれを間食として食べるらしい。
この交差点でみた赤い店が印象的で、写真にとってしまった。
牛じゃないが、俺は赤い色に反応しやすいように思える。
(牛は本来、その祖先が夜行性だったので実際は赤緑色盲である。そして、実は、この赤に後ほど惑わされてしまうのだった。)
店の名が金の豚っていうから、金色の豚の貯金箱とか、金華豚とか思い出す。
さぞかし、うまい豚料理を出すに違いない。
すでにザックの食料は尽いており、お腹が空いてもコンビニ茶屋がみつからなかった。
現代風オシャレな常夜灯
掛川から袋井まで、このタイプの常夜灯をよくみた。
創業文久3年、掛川市葛川(くずかわ)の『もちや』
振袖餅で有名で、見た感じが大きめの長細い大福といった感じ。
写真はもちやのHPから
2個ぐらい食べたかった。
だが、すでにシャツは汗臭い恰好であり、中にお客もいたので、和菓子屋には、ちょっと入れる雰囲気ではなく、しかたなく通過した。
飛ばし屋仕様のシャコタンのV型6気筒ディアマンテである。
綺麗な自宅の玄関前に青春?のモニュメントとして飾ってあった。
ボロボロの廃車だったが、忘れられない思い出があるんだろう。
ここから東海道は掛川宿の七曲りというところになる。
なんで七曲りかっていうと
七曲り案内板の写真
ということです。
参考:右から刺又(さすまた)・袖搦(そでがらみ、袖絡)・突棒
画像はウィキペディア、三道具より
なんだか、とげとげがあって全部痛そうである。
走りながら、この迷路のような街角で怪しいものを取り締まる遠山の金さん捕物帳の場面を想像してしまった。
とにかく、道に迷わないように注意しながら走ったのだが、全く旧東海道の案内標識というものがなく最後で間違えてしまった。
最初の曲がり角
途中のモダン常夜灯
間違えてしまった桂花園の角
正しい道路は次の通り(「やはり間違えた七曲り」よりコピペさせていただきました)
おまけに間違えた先で常夜灯まがいのものまで見つけてしまったので、迷った?んだか、合ってる?んだか暫くわからずウロウロしてしまった。
俺を惑わした「旧東海道沿いの常夜灯」ではない小洒落た常夜灯
蔵を改造した振袖ギャラリー
医者の家(なかなか大正ロマンっぽい建物)
そして、掛川城に着いたのだ。
だが、コンビニがない
食堂にでも入るかぁ
(だが、陽は確実に傾き始めていた)
ところがである。
城の前では物産展のようなものをやっていて、お茶やコーヒーの無料試飲をしていたのだ。
これ幸いにと、コーヒーを2店舗で3杯ずつ、深蒸し茶を2杯試飲してきた。
すきっ腹に飲むのはあまり胃に良くないのは判っているが、食指が動くというより、モンスターのように口から食指がでてきやがった。
本当はコーヒーに大量の砂糖を入れたかったが、試飲のせいかおいてなかった
カロリーはほぼゼロなんで腹の足しにはならないが、満腹感だけは得ることができただけましである。
そして、旧道右側に蕎麦屋を発見!
もう、店に入って腰落ち着けて食べるしかない。
真っ暗な旧道を走ろう!
と思ったら、なんと銀行ではないか
実に紛らわしい建物である。
どうみても、蕎麦屋だ。
カフェインの刺激が脳神経を刺激し、怒りに似たものがこみあげてきた。
もう、何か食べるのは完全に諦めた。
宿まで直行である。
(つづく)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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ガラスに映るランニング姿の俺(掛川城そばにて)
<話の続き>
駅のコンビニで購入したお握りやスナック菓子は走りながらチョコチョコ食べていた。
こんなブラブラ走りでも結構お腹が空くものである。
東海道を走り始めたころは、意外と食欲はなく、ひたすら水分補給のみであった。
だが、前回ぐらいから余裕が出たのか、よくお腹が空く。
しかも、お握りぐらいなら、食べてすぐ走り出してもモタれることもなく、走りながら体中にエネルギーが充填されていく感じがするようになった。
いまのところ、日本人だからだろうか?
弥生時代から食べられていたお握りがもっともチャージ力がある気がするのは・・・。
TVによくでる料理研究家の土井善晴氏はウルトラマラソンランナーで有名だが、レース前のエネルギー補給として、レース前日の食事に三合のご飯を炊いて、おにぎりを作り、三食の間にそれを間食として食べるらしい。
この交差点でみた赤い店が印象的で、写真にとってしまった。
牛じゃないが、俺は赤い色に反応しやすいように思える。
(牛は本来、その祖先が夜行性だったので実際は赤緑色盲である。そして、実は、この赤に後ほど惑わされてしまうのだった。)
店の名が金の豚っていうから、金色の豚の貯金箱とか、金華豚とか思い出す。
さぞかし、うまい豚料理を出すに違いない。
すでにザックの食料は尽いており、お腹が空いてもコンビニ茶屋がみつからなかった。
現代風オシャレな常夜灯
掛川から袋井まで、このタイプの常夜灯をよくみた。
創業文久3年、掛川市葛川(くずかわ)の『もちや』
振袖餅で有名で、見た感じが大きめの長細い大福といった感じ。
写真はもちやのHPから
2個ぐらい食べたかった。
だが、すでにシャツは汗臭い恰好であり、中にお客もいたので、和菓子屋には、ちょっと入れる雰囲気ではなく、しかたなく通過した。
飛ばし屋仕様のシャコタンのV型6気筒ディアマンテである。
綺麗な自宅の玄関前に青春?のモニュメントとして飾ってあった。
ボロボロの廃車だったが、忘れられない思い出があるんだろう。
ここから東海道は掛川宿の七曲りというところになる。
なんで七曲りかっていうと
七曲り案内板の写真
ということです。
参考:右から刺又(さすまた)・袖搦(そでがらみ、袖絡)・突棒
画像はウィキペディア、三道具より
なんだか、とげとげがあって全部痛そうである。
走りながら、この迷路のような街角で怪しいものを取り締まる遠山の金さん捕物帳の場面を想像してしまった。
とにかく、道に迷わないように注意しながら走ったのだが、全く旧東海道の案内標識というものがなく最後で間違えてしまった。
最初の曲がり角
途中のモダン常夜灯
間違えてしまった桂花園の角
正しい道路は次の通り(「やはり間違えた七曲り」よりコピペさせていただきました)
おまけに間違えた先で常夜灯まがいのものまで見つけてしまったので、迷った?んだか、合ってる?んだか暫くわからずウロウロしてしまった。
俺を惑わした「旧東海道沿いの常夜灯」ではない小洒落た常夜灯
蔵を改造した振袖ギャラリー
医者の家(なかなか大正ロマンっぽい建物)
そして、掛川城に着いたのだ。
だが、コンビニがない
食堂にでも入るかぁ
(だが、陽は確実に傾き始めていた)
ところがである。
城の前では物産展のようなものをやっていて、お茶やコーヒーの無料試飲をしていたのだ。
これ幸いにと、コーヒーを2店舗で3杯ずつ、深蒸し茶を2杯試飲してきた。
すきっ腹に飲むのはあまり胃に良くないのは判っているが、食指が動くというより、モンスターのように口から食指がでてきやがった。
本当はコーヒーに大量の砂糖を入れたかったが、試飲のせいかおいてなかった
カロリーはほぼゼロなんで腹の足しにはならないが、満腹感だけは得ることができただけましである。
そして、旧道右側に蕎麦屋を発見!
もう、店に入って腰落ち着けて食べるしかない。
真っ暗な旧道を走ろう!
と思ったら、なんと銀行ではないか
実に紛らわしい建物である。
どうみても、蕎麦屋だ。
カフェインの刺激が脳神経を刺激し、怒りに似たものがこみあげてきた。
もう、何か食べるのは完全に諦めた。
宿まで直行である。
(つづく)
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