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旅ラン「甲州道走膝痛シ」…相模湖~鳥沢、その1(小雨ラン)

2019年10月27日 | 甲州道走膝痛シ(旧甲州街道ランニング)
苔の絨毯の新緑の美しさに思わず立ち止まりました。


  
    

この日は7月15日でお盆の中日でしたが、自分自身の先祖への墓参りは1週間ほど早めに済ませていました。

天気は生憎の小雨。

ですが、濡れても寒くはないですし、今日は山の中を走って滑りまくるということがなさそうだと思われたので、思い切って走ることにしました。



写真をとればよかったのですが、上下カッパ姿にワラーチという極端に都会的センスの欠片もないアンバランスな変態オヤジ的な恰好。

ただ、いつもの通り他人の目は気にせず電車に乗りこみ相模湖駅を目指しました。



相模湖駅ではかなりの雨量。

なかなか出発できず、帰ろうかと思うほどでしたが、とりあえず思い切って走り出し、嫌になったら途中の駅から帰る作戦といたしました。

まあ、いつもの「なんでも、とりあえずやってみる。」の精神ですね。

もっとも、今回のコースは旧街道がだいたいJR中央線沿いにあるので、いつでもどこでも、それが可能なのでした。
(一応、安パイはきれるようにしてありました。)



そう思って雨中の中を走り出すと、不思議なものですが徐々に小降りへと変わりました。
(だいたい、人生もこんなものですかね。)

とりあえず、コンビニに寄って朝飯をとり、オニギリなどの昼食と飲料水を購入し準備万端にて再出発です。





旧街道は国道20号線から外れていきます。
(上の写真は、その外れる入り口からみた登り坂の旧街道)


與瀬神社 (よせじんじゃ)および別当寺の慈眼寺入り口

登り切ったところに大きな神社がありました。

通称、与瀬の権現様(よせのごんげんさま) といわれ、地元に愛されている神社のようでしたが、どうみても、
長い長~い階段
があるように思われ、立ち寄るのはやめました。

実際、後で調べてみると本殿までかなり階段を登っていくらしく、中央高速を眼下に眺めるほどの高さにあるらしいです。
(やめてよかった!)



このあたりで、カッパを着ているのが暑苦しく嫌になり、全て脱いでしまいました。
当然ながら、小雨で多少濡れますが、涼しくて爽快です。


後ろを振り返ると見える霧中の相模湖

小雨の旧街道ランは、幻想的な霧に覆われ、なかなか神秘的な雰囲気で素晴らしく、思い切って走り出して良かったと今でも思っています。



旧街道ですので、所々に石仏がありました。


ゆるい上り坂右手に石仏


その石仏たち


同じく石仏


コンクリート面に苔がビッシリはえていて美しい!

この辺りから旧甲州街道は直角に曲がって相模湖に向かって下っていきます。
(その下り口は間違いやすい)


中央高速を横断

高速はお盆の中日のせいか、下り方面が大渋滞でした。



薄暗い林の中の旧甲州街道を走っていきます。



そして、街道は相模湖IC入り口交差点の真上辺りにでました。



この後、再び国道20号線と合流するのですが、ちょっと雨が激しくなってきました。

このままでは我がiPhone SEは雨水で破壊される恐れがあります。

そこで、国道沿いのコンビニに入り、ラップ1本を購入。



雨濡れ対策としてiPhone SEをラップでミイラ巻きにしました。

ラップで巻いても指操作はできるんですよね。

ただし、カメラがラップを通しての札絵になるため撮影になるため、画像が歪みますが・・・。

まあ、その辺はしかたないです。

---------アップルに一言

濡れ対策万全の新型のiPhone SEが早くでないかと待ち遠しいのですが、いつまでたっても発売されず(T_T)

他のタイプ買うしかないですかね。

でも、この小柄なサイズは捨てがたいのですよ。

何とかしてください
---------




ここは吉野宿の本陣跡なんですが、聖蹟と刻まれた石碑がありました。

そもそも聖蹟とは何?

歴史民俗用語辞典によると「聖人の事跡またはその遺跡」とありましたが、この場合はちょっとニュアンスが違っていてどうも次のようなことらしいですね。

---------コトバンクより

聖蹟(読み)せいせき
世界大百科事典内の聖蹟の言及

【天皇】より

…行幸は,このような教化で説かれた天皇の姿をみせる場であっただけに,全国巡幸を軸にその多くが87年までに集中していた。天皇が行幸の途次で休息や宿泊した場所は後に〈聖蹟〉とされ,その使用した器具類を〈御器〉とし,ともに保存した。かつ天皇がみずから植樹した樹木(おもに常緑樹)は〈御幸松〉などと称された。…

---------


明治天皇の行幸の足跡のようですね。

普通は明治天皇〇〇とか書いてあるのですが、ここはただ聖蹟と刻まれたのみ。
なにか、理由があるのかな?

なお、吉野宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠3軒の小さな宿場だったということですが、江戸時代末期、その本陣は五層楼を含む壮大なものだったようです。


吉野橋の袂にある石碑(肝心の橋をとり忘れました)
下の川までは相当の高さがあります。

この橋の南寄りに小猿橋という、日本三大奇橋の猿橋にソックリだが、規模が小さめ(長さ14間、幅2間、高さ5丈8尺)の欄干付きの板橋の橋があったらしいです。
ただし、その特殊な橋は維持にお金がかかるため、この小さな宿場町である吉野宿は飯盛旅籠の設置を幕府に願い出ていて、飯盛り女がたくさんいた?ようですね。

(つづく)



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