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インド、クソオヤジの心の旅(ガンジスを走れるか?)・・・1日目(その1)

2013年03月02日 | インド、オッサンの心の旅
2/18 昼間に成田からエアーインディアで出発した。

今回、行きはエアーインディア、帰りはJALにしたのだ。
ジェット機はかなり古かった。
入った途端、すでにインドっぽい。
インドの匂いがするような気がする。
シートから、モニターから、なんとなくインドっぽい。

客はガラガラで3列シート貸切状態。
日本人は意外に少なく、2人連れの若い女の子を2組、老夫婦1組、ビジネスマン数名を見かける程度。
若い男は皆無。



大体、出発してすぐカレーがでた。
飲み物はタイガービール2本

結構スパーシーでうまい。
毎日カレーでうれしいなぁ。(・・・と、このときは思っていた。)

俺は、いち早くインドに慣れようなんて思っていたので、なんか調子悪いモニターをなんとか使って、ラビ・シャンカールを始めとする古典インド音楽を聴いて悦に浸っていたのだった。
 音楽を聴きたい人はココをクリック(CMはスキップしてください。)

なんとなく、頭の脳細胞も黄色くインド色カレー色に染まってきたころ、お腹の調子が・・・グル、グルッと

ええっ、もうかよ。
インドのウエルカム洗礼がやってきたぁ~。

早速WCに直行したのであった。

トイレに行くこと3回。

吾輩、祖国を出立して、まだ3時間・・・。

「飛行機の中で既にこれでは、アチラに着いたらどうなることやら、ホテルから一歩も出れなくなるのでは・・・?
インドでは単に下痢しにいっただけで、観光なんかできずに病院へ直行なんじゃないか・・・?
ガンジス河どころじゃなく、トイレの水ばかり観る羽目になるんじゃないか?」
とトイレの鏡に映る、まだ栄養に富んだ小太りのオヤジ顔を見ながら心配したのだった。

(ところが、下痢はこのときのみ、これ以降全くしませんでした。
この時に体内の免疫細胞がすでに活動しはじめたんだと思います。
清潔なJALに乗っていたら多分これは無かったと思いますね。
そして、初日のデリーで苦しんでいたんじゃないでしょうか?
一種の種痘みたいなもので、抗下痢ジェット機内式種痘でもいいましょうか、いやはや、ある意味ラッキーでした!)


中国大陸、昆明の赤い大地、土地よりも沼や湖が多いビルマの上空を通過し、真っ白なヒマラヤを眺めながらインドの首都デリーに定刻通りに着く。

なお、今回の旅では、基本的に一人旅なのだが、途中アグラというところで1日だけガイド付き観光をすることになっている。

2年前に女房たちがインドに行ったときの感想として、タージマハルとか、アグラ城とかは、きれいな建物見てるだけで、あまり面白くない、と聞いていた。

だが、それは歴史や成り立ちを教えてくれるガイドがいないからであって、説明をしてもらう人がこの日だけは必要だと思って、出迎えと翌1日だけガイドを旅行会社に頼んだのであった。

そのガイドがデリー空港に迎えに来てくれることになっていた。
(この選択は大正解だった。初めてのインドの場合、デリー空港からホテルに行くには、Taxiかオートリキシャで行くのだが、インドになれていない状況でTaxiと丁々発止の駆け引きを英語でやるのは大変だ。まず、絶対ボラれる。下手すりゃ、違うホテルを紹介するとか、ホテルに行く前に俺の知り合いのお土産店に連れてってやるとか言い出すだろう。→次にインドに行くときはもう大丈夫。)

行けば、ガイドさんは、すぐわかるだろうと思っていたが、欧米人が沢山旅行にきており、出迎えのガイドが沢山いたので誰が僕のガイドなのか全くわからない。

あっちをウロウロ、こっちをウロウロしているうちに、向こうが私を探してくれたのだった。

「ホテルに行く前にドルをルピーに両替したい。」
とガイドにいったところ、
「両替するなら最小限にしなさい。」というのだ。

「???」
「両替の奴等は結構ずるい。
ごまかしますから、必ず、枚数を勘定してください。
それに両替は町中の闇の方がレートがいいですよ。」

なんということだろう、国際空港の中の両替所がごまかす???



とりあえず、俺は100ドルだけルピーに交換することにした。

両替の人は制服着ていてシッカリしてるし、よっぽどガイドの方が怪しいと俺には思えた。
俺は制服の男から滅茶苦茶早口で、なんだかんだと英語でまくしたてられたのだった。
(まあ、日本人で英語がしゃべれないと見るや、こんな調子らしいです。
ゆっくりしゃべろ!といったのに、無視されていました。
また、制服の男というのは意外に信用できないことを後で知るのです。)


俺は昔、20代後半の頃、外人と英語で仕事の話をしていた経験があり、インドに行ったら身振り手振りを交えれば、なんとかなるだろう、ぐらいに思っていたのだが、全くわからないのだった。
相手のペースに巻き込まれ、焦りもあり、わけがわからず「YES」を連発!

結果、終わったら、レシートと1000ルピー札を5枚渡されたのでした。

ガイドから、どうでしたか?と聞かれたので確かに5枚ありましたと言ったのだが、
「端数をごまかしてますよ。」
と言われたのだ。
(後で経験したことですが、闇の両替だと手数料なしで5300ルピーぐらい戻ってきます。)

どうも、話の中で「Rs5000でいいか?」と聞かれたらしく、意味わからずYesと言ってしまったらしい。
端数は制服男のポケットに入ったのであった。

インドの洗礼をまた受けたのだった。


とにかく、俺らはガイドが連れてきた運転手の車にのり、ホテルに向かった。

女房から聞いていたが、インドの運転は滅茶苦茶荒く、我先にと隙間、隙間を潜り抜けて走る。
ちょっと大阪っぽい。

もう、辺りは暗くなり、街灯もあまりないデリーの街は、人こそゾロゾロ沢山いるのだが、その全員が相当怪しい。

終戦直後の日本みたいな街、闇市みたいな露店、乞食、ジプシー、超満員、鮨詰め状態のバス、ゴミの山、車は新しいのもあるけど、大抵はポンコツ、オートリキシャ、人力車、犬、牛、豚、馬、そして糞・・・

もう滅茶苦茶糞味噌のカオスの世界の入り口を僕は目を白黒させてみたのだった。

(つづく)


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