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旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その2(はるか昔の中心点、酒折)

2020年06月14日 | 甲州道走膝痛シ(旧甲州街道ランニング)

  
    


甲州街道は酒折宮で突然左直角にまがります。
いわゆる桝形ってやつです。

街道の途中で酒折宮の石柱がありました。
この石柱、よく見ると二カ所折れたものを繋ぎ合わせたように見えますね。

何かあったのでしょうかね?



酒折宮は日本武尊(ヤマトタケル)に所縁のある神社のようです。
ですから、創建は不詳です。

とにかく、相当古い!らしい。

ということで、是非とも立ち寄らなければと思っていました。

その石柱の脇に斜めに道があって、ここを行くのだろうと思いました。


まず、いきなり踏切を渡ります。

丁度、踏切がカンカンと鳴り出し、電車(JR中央本線)が通りましたので動画を撮りました。

石和温泉、石山踏切


踏切からみる電車って「やってくる方向の姿から過ぎ去っていく姿」まで見とれてしまうのは何故なのでしょうかね。
横断歩道から見る車なんてまず見惚れることなんてないですからね。

つらつら考えるに、「電車は長いから」なのではないかな?
仮に、超長いトレーラーが横断歩道を横切ったら、同じことをするんじゃないかな。

じゃ、なんで長いとみちゃうのか???

・・・わかりませんです、ハィ




渡ると、ちょっと急坂を登った先に一般車道が横切ってあり、さらにその先はダンプが行き交う西武建材という石材置き場なのでした。

あきらかに、酒折宮の参道と違う雰囲気!

そこで街道に戻ることにしましたが、戻るべく振り返るとそこに
頭をヒョッと出した富士山
がみえたのでした。

チョットした高台だったが故にみえたのでした。





こりゃ最高ダス!


道を間違えましたが、富士山の白い頭がみえたので結果オーライですね。
道を間違えるのもなかなかです。

ソクラテスは言いました、

「簡単すぎる人生に、生きる価値などない」





突然、辺りの雰囲気とは異なる立派な建物がみえました。

これが、かの駅伝で雑草軍団として活躍し有名な山梨学院大学かぁ

ケニアのオツオリという選手がいましたね。





歴史の在りそうな肥料屋さん

酒折駅前交差点をすぎると、酒折宮はありました。


酒折宮

---------<由緒>---------酒折宮公式サイトより抜粋させていただきました

酒折宮は山梨県で唯一、古事記、日本書紀に記載のある古い神社です。


記紀には、日本武尊が東夷征伐の帰りに酒折宮に立ち寄り、


日本武尊 月岡芳年画

「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」
(新治、筑波を過ぎて、幾夜寝たことであろうか)

と片歌で問いかけたところ、御火焚の者が

「かかなべて夜には九夜日には十日を」
(日数を重ねて、夜で九夜、昼で十日でございます)

と片歌で答えたことが記載されています。

この問答歌のやりとりが日本における連歌の起源とされ、
酒折宮は「連歌発祥の地」
と言われています。


当宮の由緒によると、日本武尊が酒折宮を発つときに

「吾行末ここに御霊を留め鎮まり坐すべし」

と言われ、自身の身を救った「火打嚢(ひうちぶくろ)*」を塩海足尼(しおのみのすくね)に授けました。

日本武尊の御命を奉戴した塩海足尼がこの「火打嚢」を御神体として御鎮祭したと伝えられています。

* ここにいう「火打嚢」は、日本武尊が東夷征伐に向かわれる前に参った伊勢神宮で叔母の倭姫命より「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」とともに授けられたものです。駿河の国で国造に欺かれて野火攻めに遭ったとき、これを用いて難を免れたといいます。(古事記による)

---------


というわけで、こういう歴史ある神社が山梨にあるのだということは旅ランをやらなければ一生知ることはなかったでしょうね。


拝殿

本殿はみえませんでした。

後で知ったことですが、この酒折宮の西側の木々の間に磐座(いわくら)らしき巨石群があるらしいです。
(磐座(いわくら、磐倉/岩倉)とは、古神道における岩に対する信仰のこと。)

そこで、「酒折宮 磐座」で検索してみると面白い記事が掲載されていました。
聖地の印象より、甲斐国 酒折宮と月見山の磐座群

そこにこう書かれているのです。

---------
最後に気になることについて触れておこう。
それは「酒折」という地名のことだ。酒=サカ=坂=境であり、この地は様々な意味で「境界」だったという指摘である。
---------


9つの古道「甲斐九筋」の結節点、すなわち(酒折という)境界なのですね。
はるか昔、この辺りは関東甲信越の中心ということでしょうか?

とんでもないパワースポットにいたということになりますね。



アンパンマン!





ヤカンの広告が素晴らしい!



街道沿いのお蕎麦屋さんの角に「右風穴」と彫られた石碑がありました。



注意してみないと気がつかない場所にあります。


矢印のところに石碑が・・・

でも、この辺りに風穴なんてあるのか?
富士山の麓ならわかるけど、・・・?

いまだに、この謎の解が見つかりません。
もしかすると、今は廃れたが風穴があったのかもしれません。


JR身延線ガード下を潜り鍵の手道路、桝形(敵の攻撃からの防御の役目)です。

ここから甲府柳町宿(甲府城の城下町)となります。


重厚で立派な建物ですね。


門柱の明かりが素敵です。




大きな松ぼっくりを発見しました。

自宅に持ち帰ろうとしたのですが、ポロポロと種が落ちてしまい、ザックの中が種だらけになりそうでしたので、捨ててしまいました。
帰ってきてから調べるとドイツトウヒという唐桧の一種で明治のころに伝わった渡来植物の実のようです。
クリスマスツリーとして多用されるらしいですよ。
こんな感じ




なんだか、ポカポカいい天気です。

(つづく)


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