この日は2020年10月6日です。
塩尻に一泊しました。
昨日、最後にJOGした地点に忠実に戻りました。
カネホン商店(屋号が曲尺の中に本の字)
よくみえないが、中央入り口に屋号の書かれた暖簾がぶら下がっています。
立派な家屋で酒屋らしいのですが、なんとも入りにくい感じですね。
今日はココからスタートです。
平出の一里塚
南塚、北塚の間に近所にある昭和電工の通勤自動車がバンバン通る道路(旧中仙道ですけど)があり、しかも大変珍しいと思うのですが一般住宅も一里塚の間にデーンとありました。
写真右が南塚です。
南塚は「勘助子育ての松、平出の乳松」と言われていて、「天文14(1545)年、塩尻の桔梗ヶ原で武田晴信(信玄)と小笠原長時が戦った時、山本勘助が戦場で泣き叫ぶ赤子を発見した。体が不自由な勘助(隻眼、身に無数の傷があり、足が不自由で、指もそろっていなかった)は、松の大木に赤子を置いて、戦場に戻った。戦いが終わった後、その松の所に戻ると、松からしたたり落ちる露で飢えを凌ぎ、なんと赤子は元気だった。」ということなんですけど、水だけで耐えていたということなので戦は短時間だったんでしょうね。
山本勘助(松本楓湖作、恵林寺蔵)ウィキペディアより
うまそうです。
でも販売所も無人販売所もありません。
ただ、眺めるだけです。
JR中央本線第一中仙道踏切
中仙道踏切という名がつくJR中央線の踏切で番号がつくのは第一から第十七まであるのですが、第一なので写真を撮ってみました。
まあ、「だからどうした?」ということなのですが・・・。
肘掛け松
細川 幽斎(ほそかわ ゆうさい)は隠居後の雅号です。
大河ドラマ『麒麟がくる』でに頻繁に出てくる明智光秀の盟友、 細川 藤孝(ほそかわ ふじたか)のことですね。
なんということのない細っこい松なので通り過ぎるところですが、ちょうど大河ドラマを見てまだ1年経っていなかったので写真を撮ってしまいました。
分去れ常夜燈(1857年建立)
分去れ道標
善光寺西街道とわかれる所
邂逅(あうた)の清水、洗馬(せば)の地名の由来になった清水
挙兵した木曽義仲と忠臣今井四郎兼平が合流したところの清水です。
下の動画が詳しいので載せました。
ふるさと歴史講座 中山道シリーズ 「邂逅(あふた)の清水」
木曾海道六拾九次之内洗馬(せば) 歌川広重・・・ウィキメディアコモンズから
動画でも説明がありましたが、洗馬宿の西を北に流れる奈良井川の夕景です。
この邂逅(あうた)の清水あたりから東の風景を描いたものらしいですよ。
この清水は飲ませていただきました。
木曽義仲は平将門と同じで反逆者として扱われていますが、天才的な軍略家で、まっすぐな性格で情熱を持って革命を先導した義仲と将門。
不器用でやらかした失敗も多いが既存勢力に負けず、自由奔放なところが魅力的で好きな武将です。
なお来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では木曽義仲がでますので、楽しみにしています。
本当は木曽義仲を主人公にした大河ドラマがみたいです。
邂逅(あふた)の清水の全体の景観
静かで雰囲気のあるいいところです。
洗馬宿 百瀬本陣跡
当時は名園があったらしいですが、今は跡形もないです。
荷物貫目改所跡
貫目改所(かんめあらためしょ)という、荷物の目方を検査する役所で、中山道では洗馬と板橋、追分の3宿に置かれたものだそうです。
よくみる典型的な古民家
(つづく)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
当ブログはボランティア団体不登校・ひきこもりの親の会 FIRST STEPを応援しています。
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昨日、最後にJOGした地点に忠実に戻りました。
カネホン商店(屋号が曲尺の中に本の字)
よくみえないが、中央入り口に屋号の書かれた暖簾がぶら下がっています。
立派な家屋で酒屋らしいのですが、なんとも入りにくい感じですね。
今日はココからスタートです。
平出の一里塚
南塚、北塚の間に近所にある昭和電工の通勤自動車がバンバン通る道路(旧中仙道ですけど)があり、しかも大変珍しいと思うのですが一般住宅も一里塚の間にデーンとありました。
写真右が南塚です。
南塚は「勘助子育ての松、平出の乳松」と言われていて、「天文14(1545)年、塩尻の桔梗ヶ原で武田晴信(信玄)と小笠原長時が戦った時、山本勘助が戦場で泣き叫ぶ赤子を発見した。体が不自由な勘助(隻眼、身に無数の傷があり、足が不自由で、指もそろっていなかった)は、松の大木に赤子を置いて、戦場に戻った。戦いが終わった後、その松の所に戻ると、松からしたたり落ちる露で飢えを凌ぎ、なんと赤子は元気だった。」ということなんですけど、水だけで耐えていたということなので戦は短時間だったんでしょうね。
山本勘助(松本楓湖作、恵林寺蔵)ウィキペディアより
うまそうです。
でも販売所も無人販売所もありません。
ただ、眺めるだけです。
JR中央本線第一中仙道踏切
中仙道踏切という名がつくJR中央線の踏切で番号がつくのは第一から第十七まであるのですが、第一なので写真を撮ってみました。
まあ、「だからどうした?」ということなのですが・・・。
肘掛け松
細川 幽斎(ほそかわ ゆうさい)は隠居後の雅号です。
大河ドラマ『麒麟がくる』でに頻繁に出てくる明智光秀の盟友、 細川 藤孝(ほそかわ ふじたか)のことですね。
なんということのない細っこい松なので通り過ぎるところですが、ちょうど大河ドラマを見てまだ1年経っていなかったので写真を撮ってしまいました。
分去れ常夜燈(1857年建立)
分去れ道標
善光寺西街道とわかれる所
邂逅(あうた)の清水、洗馬(せば)の地名の由来になった清水
挙兵した木曽義仲と忠臣今井四郎兼平が合流したところの清水です。
下の動画が詳しいので載せました。
ふるさと歴史講座 中山道シリーズ 「邂逅(あふた)の清水」
木曾海道六拾九次之内洗馬(せば) 歌川広重・・・ウィキメディアコモンズから
動画でも説明がありましたが、洗馬宿の西を北に流れる奈良井川の夕景です。
この邂逅(あうた)の清水あたりから東の風景を描いたものらしいですよ。
この清水は飲ませていただきました。
木曽義仲は平将門と同じで反逆者として扱われていますが、天才的な軍略家で、まっすぐな性格で情熱を持って革命を先導した義仲と将門。
不器用でやらかした失敗も多いが既存勢力に負けず、自由奔放なところが魅力的で好きな武将です。
なお来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では木曽義仲がでますので、楽しみにしています。
本当は木曽義仲を主人公にした大河ドラマがみたいです。
邂逅(あふた)の清水の全体の景観
静かで雰囲気のあるいいところです。
洗馬宿 百瀬本陣跡
当時は名園があったらしいですが、今は跡形もないです。
荷物貫目改所跡
貫目改所(かんめあらためしょ)という、荷物の目方を検査する役所で、中山道では洗馬と板橋、追分の3宿に置かれたものだそうです。
よくみる典型的な古民家
(つづく)
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